神であるキリストとの間は!?

私たちの立ち位置、その距離感に隔たりがあると、どうなるのでしょうか?

神を信じても、困難に 予定外辛い 嫌なことばかり続くと 信仰しても無益な感情になります。

妻との死別後は、何故・30歳を前にして無くなったのか?と解答を得られず 教会と信仰生活から離れました。
それでも不思議な存在と云う大きな力を持つ方は否定はしませんでした。不思議な存在、私は聖書の書かれてある神、つまりキリストだと言う思いは止められない。正確な表現で言うならば、捨てられませんでした。信仰とか教会とか・・それは確かに消えかけていましたが、アブラハムが旅したユーフラテス河 近くでプラント工事に参加していました。

聖書の神、アブラハムの神にで会いたいと 何年も 何年も願い、それは心の中心になりました。 私自身が旧約時代的な信仰になっていた気がします。 
救い主が生まれる 会いに来られる と希望を持つような信仰だったかも知れません。

メソポタミア砂漠418

人は、、日本人は自分に利益があるものを神とします。いわゆる御利益主義ですね。

その点で言えば、キリスト 父 聖霊を心の中心に据えると神は恵みを与えると約束し手はずを整えて下さいます。

『あなたの神、主を心に据えなさい。{そうすればあなたを豊かにする。}あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである』申命記8:18 
正式な聖書の書き方、言葉表現は下記の絵の通りです。
申命記

{上記この言葉から経済的な豊かさを強調する傾向もあります。確かにユダヤ人をみてみると・・? けれど 神の豊かさは 経済の豊かさだけではありません。先祖に誓った約束全般にわたっています。}

物資 経済 精神的 あらゆる点の豊かさが満たされることの基本はいつも神を心の中心に据えることが大事ですね。
また同時に、感情で信じないで不動の聖書の言葉を土台に信じます。人生理念とも思っています。信仰は期待し続ける希望でもありませんか?
祈れば直ぐに、答えられる事を期待します。しかし、時には神はその期待感 、神を信頼続けることを試され、回答を送らせることが多いことは聖書にも書かれています。

感情や奇跡、癒やしの体験はその時限りと成って仕舞います。時を過ぎますと、癒やしや奇跡体験をしたときの感情 喜びは過ぎ去り消えてしまいます。

感情と同じく、人の教えも変わります。考え方 思考の
ムーブメントともあります。

様々な哲学、神学も
ムーブメントともあります。 神学に・・信仰的哲学さえ有ります。
しかし、それらにも流されないように、シッカリと聖書の神ご自身の臨在を強く求めませんか!

神の考え方 御心を知って、神ご自身をいつも讃美、讃えて神の臨在を歓迎して、
私たちの心の中心に据えるならば 父なる神は、私たちの心を精神的 肉体的 信仰 経済的にあらゆる面で豊かになさいます。
信じて心に歓迎して据えるだけです。 
砂漠の体験と記憶は神学以上、ただ一つ!神はおられることです。

経済的な豊かさ以上に、神の臨在の豊かさを知る事は何にも増して人生の壁を乗り越えて天国に続く道なのです。

先祖に誓った約束とは一体なんでしょうか・・?
どうか 聖書を調べて読んで下さいますか。お願いいたします。
hinohashira2

*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます。 ブログランキング・にほんブログ村へ
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