一つの祈りでした。45歳迄{父が私を生んだ年齢}迄に、

再婚が出来るように神に願い祈りました。しかし叶わなかった。
再婚前提に付き合って 生活感、信仰価値観の違いを感じてしまい中止しました。
その後、その方は数年後。癌で若く亡くなりました。

私の妻も癌だった{30歳で亡くなりました。}から 再婚していたら二度、同じ悲しみを味わった事になります。

また、海外駐在員から帰国後 別な方とも再婚を目指す。これはという方には巡り会えずに良い出会いが無かった。しかし、再婚していたら、その方を別な面で苦しめ苦労かけたかも知れません。

それは海外から帰国後に、幼いときからの念願だったレストラン経営者になるが 母親の認知症や看病疲れから、折角、開業出来た小さなレストランを、私自身の病から止めることになりました。
開業したとき、新聞やテレビの取材を受ける店でした。長く海外生活をしていたら銀行は開業資金を貸さなくて、店子になっての開業。{貸しビルのオーナーからお金を借りました。}


資金不足を祈ったときに多少の不安がありました。神からの不安を押し切りました。
3〜4ヶ月私の病気と、母の認知症看病で店を休んでしまい、必然的に運転資金が不足。閉店に追い込まれました。借金支払いのために自宅を売りました。家財道具を全部 運び出した夜、ガラーンとした部屋で一晩泣き明かしました。
私が再婚していたら、その人に苦労掛ける出来事が暫く続いていましたね。

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振り返って 先のことは私達は分からないが神は知っているね。

妻が癌で亡くなり、神には何故。妻が先立ったのか?と祈っては聞いていました。
しかし神は明確には答えませんでした。
妻の亡き後。友人の紹介から、海外の仕事(調理師)に付いていました。
イラクの砂漠の中。プラント工事で日本人技師達の食事を作る仕事でした。

そんなある日。仕事が終わる夜。砂漠の中に火の柱を立つのを見て、その方向に引き寄せられました。そこで祈っていると、本来ならば人気の無い夜の砂漠の中に、私の方に近付いてくる気配を感じました。もしこれは、これはあの時と同じではないかな〜?と思いました。

それは中学生の頃。洗礼を受けた夜。教会内で電気を消して二人で祈っていたときにやはり同じ感覚になり、その後。祈ろうとしたら、訳の分からない言葉で、自分が祈り始めて始めて
止めてしまいました。

同じ事かと・・濃厚な臨在というのか!?と思うと異言が口から出て・・そして止めると気を失って数時間。

その間 色々の夢 色んな言葉?未来に起きそうなことの幻を見てきたような気がします。
夜露で気が気が付いて、部屋に戻って、聖書を広げると目に飛び込んだ言葉が、

イザヤ 
59:1 「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。59:2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」
でした。

その頃。ある方を憎んで赦せない怒りが一杯ありました。その事を反省して、赦せるように祈り始めました。



その後。コリントの遺跡に行ったときに、第一の再婚の為。第二の願いはレストラン経営者になりたいとも祈りました。また献身=神学校に行けたら良いとの第三の祈りは叶いました。
それから約15年後、レストランを持つ事が出来ましたが、前記のように母親の看病疲れからレストラン経営を止めて仕舞いました。

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それからの五十歳になってから、ある方の学費全面サポートで神学校に行き、今に至ります。

人の計画は自己中心性。神のなさる計画と叶える時のズレは合っても後々良くなります。
神のなさる時、叶って下さる時が、私達が計画した通りで無くても、神にとってベストな時に叶えられます。それまで諦めずに祈り待つ希望 忍耐 信頼 信仰が大切だと思いました。

聖書。「神は全ての時にに叶って美しい。」良いこと}なさる。て書いてある通りです。伝道者の書 3章11節

何でも私たちの思い通りで無くても。祈りは、神には届いております。
ただ神は私たちが思い巡らす時では無くて・・御子の栄光が崇められるときには答えて下さいます。


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