阪神淡路の震災から25年。

それぞれの悲しみ、苦しみを乗り越えて、新しく立ち上がってきた人がいます。
話は飛びますが、あの震災の3日前に、大阪の教会セミナーに参加、司会者の勧めから、日本の救いとリバイバルのために10人ぐらいのグループに分かれて祈り始めました。

祈り始めた私の瞼に、映画とかプロジェクターに移されたように、大きな街が地震で揺れた後、大勢の人が火災の中に未だ救われていない消えて行く幻を在り在りと見ました。
018b93e63c2bc6f50fa72e525e8149e1e207c50730

それを機に、「何で私がそんな幻を見たのですか?」と神様に真剣に問いかけ始めました。
神学校卒業後、多くの牧師先生は、セルフサポート、働きながらの宣教活動をなさる方が多い気がします。私もその1人。長く調理師だったので、他の職業を選びがたく、けれど、職種にトライはしたけど不採用が続きました。今となっては言い訳ですが、調理師は拘束時間が長く、疲れから中々、トラクト配布には出かけられませんでした。
010f06368bdbd05da24778adc7db2346444449e662

東北、四国 鹿児島の島々。 沖縄本島と離島を回って巡回伝道。知人の教会を周りもしました。
神の愛と救い。癒やしがテーマでした。 目の見ない人、歩けなかった人。耳が聞こえなかった人が癒やされ。癌とか透析中だった人が良くなりました。死人の蘇りは見ておらず、「神様!私が生きている間に、御心曲げて見せて下さい」と祈っております。
日本では定期的に巡回伝道しながら生活は難しくてと思う現実に突き当たりました。
一旦 就職したら なお出来ませんでした。

女性が来ても 男性が来ても、私1人では継続的礼拝は、<楽器が無いと>好まれない傾向に気が付きました。男性の宣教活動の協力者を探し、また再婚も考えたり。。良い出会いがありませんでしたね。
01cd5b1575d21f3105fa5f6e80760f4624aac91ef9

教会に人を集める事が難しく、ある方からパソコンを頂き、福音を伝え始め、国内外からのビックリする程のアクセス。コンタクトしてきた方々のケアを毎月、毎日してします。日本の小さな教会の平気的な会員人数位かなぁ?
宣教使命は変わらずとも 電動、宣教アクションの賜物は、個々に違うと感じるこの頃です。

アブラハムはイサクを持つ 生まれるまで 宇用曲折の25年でした。
私も神には霊的な子ども=教会の建物が欲しいと願って期待しています。
震災からの25年目。キーワードの25年目として・・。
建物以上に、本当の願いは多くの人が救われること、癒やされる事
死人の蘇り、神の栄光を見る日本になることです。死人の蘇りも、日本であることです。