広島 原爆投下後、


焼き場に並ぶ少年。背中の子供は亡くなっている。最近、ローマ法皇がこの写真に平和の願いを込めて発信しました。


私は数十年前に知りました。無言でも平和の願いが叶うことは素晴らしい。

有名人が発信しなくても、私たち一人一人が 平和は憎しみを立ち切り、自ら背負った悲しみを隣人に味わせ無いようにする事から 平和は叶う気がする。憎しみを立ち切るのは確かに辛い! キリスト 父なる神が私たちを愛した事、許された事を考え、罪を思い出す事をしないという神に感謝しています。 


イザヤ
43:25 わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。

          

報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」撮影者のコメント記事。 
(1945年長崎の爆心地にて) 


佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。

すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。

男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。

荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。


10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。

おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。

弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。

重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。

しかも裸足です。

少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。

背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。


少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。

白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。

男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。


まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。

それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。

真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。

その時です。

炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。

少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。


夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。