主に向かって喜び歌おう。

救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
御前に進み、感謝をささげ 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。詩篇95:1−6
詩篇33:3 新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。


イエス様 聖霊 父なる神に 何時も賛美と感謝を捧げることは大切だと思う、しかし日々 そうはいかない事もあります。 悩み苦しみが 病を私達を襲って 中々 賛美と感謝を捧げることを困難にさせます。 私たちに在る神の計画を打ち壊し、神から引き離そうとするサタン 悪霊が働くからです。

そんな時 神から直接 神の言葉を無性に聞きたくなりませんか!?
アブラハムは 様々な問題あると神の前に祭壇を築き祈りました。何も良い事が有った時ばかりでは有りません。 飢饉から家族が飢えることも有り、隣接する部族の争いに巻き込まれることもありました。 親族間の問題も抱えました。

調子の良い時だけ祈り賛美する事が難しく時から 心を奮い立たせて居た事は聖書から分かります。

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アブラハムは浅はかな考え方、エジプトに妻を連れて行き 難を逃れる為の想いを叱られもしました、行ってはいけない所に行ってしまったからかなぁ? 差し迫る飢える恐怖に困惑した行動は神の計画とは違ったりしました。

愛する親族 ロトが住んだ町を滅ぼそうと神は計画した時、神はその事を話しました。 アブラハムはその悪の町にさえ執りなして祈り嘆願しました。「例えば10人正しいと人が居れば、、」あの有名な聖書箇所ですね。

神はどんな時でも アブラハムには話しかけていました。 アブラハムはの信仰が良かったから?いいえ 彼の信仰が義と認められたのは もっと後イサクを捧げたときからでした。
それ以前から、神はアブラハムに何でも話しかけていました。何故だろうか?

生まれ故郷の神々には使えたくない思い アレは 月の女神は神ではないと心に強く決めたからでしょうか? 聖書はその点には触れていません。
しかし神は こいつに アブラハムに決めようとなさって 彼の信仰成長を見守りたいと思いわれました。
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           上記の写真はイラク ウルの神殿跡遺跡と出土した物


神は私たちを見て 選ばれました。 私たちもイエスはキリストだ!と決心をしました。

イザヤ51:1 義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。


相互の契約を結び時 お互いのこと知ります。契約書の中を丹念に調べたら契約書にサインをします。

クリスチャンの契約書は聖書です、キリストの十字架で流された血がサインするインクの色です。
だけど、それ以上に、〔神の言葉を直接 聞こえるようもなるのだ!」と 強い期待感を持っても良いのです。
いつ その声が聞けるかは誰も知りません アブラハムも最初から知った訳でも有りませんでした、日々の地味な積み重ねて 失敗 罪を重ねてさえも、神との信頼関係を築いたからです。
私たちには希望が有ります。
下記のように 神から何でも話しかけられる希望が有ります。
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*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます。 ブログランキング・にほんブログ村へ
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