私たちの願いが

叶うように懸命に祈ります。
すべての結果は神様にゆだねています。お任せしながら、祈った事が御心に叶うように何年も祈り続けます。

その結果がどのような結果であったとしても、神様は私たちに決して悪いことはしません。だから安心してあまり、くよくよ不安にならないように努めています。何故なら、私たちの心は日常的に不安定に様々心配を思うことが多い気がします。

アレはどうしょう?あの契約はうまくいくかなぁ? あの人は私を恨んでいないかなぁ、怒っていないかなぁ?
アッ チョット 腹が痛いなぁ、病気が重症にならないかなぁ?死ぬかなぁ? などなど様々な不安を考え込むこと多いですね。
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しかし不安=神への不信にもなりかねません。この根拠はヨブ記冒頭にあるように、ヨブは様々な悪いことが起きないかと心配をしました。

サタンはその心配につけ込みました。そしてその心配通りにことを。神様に進言を進めました。『神よ、ヨブがどれだけあなたを信頼できる神かと思ってるかを試しませんか?』ヨブ記1:9 サタンが登場します。

私はたちは神がいつも良いことをしてくる神だと思い、また祈れば叶うと信じます。私たちにとって悪いことを極端に起きないと期待感が高いですね。

確かにこの点の心のバランス、心配と委ねた後、神様にお任せした心中のバランスが大変 難しいです。

神様に一旦。委ねたら、極端な心配をしないように私はしています。私たちの神キリストは、どんな場合も最善を尽くしてくださると信じるからです。
長い時間 年月を過ごした結果。願った通りにならず気落ちするようなことも「委ねる中に」含まれる場合もあるような気がします。
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なぜだろう?
神様は、私たちの願うこと 考える以上の考えておられる場合があるからです。
例えばガリラヤ湖を渡船の中、イエス様がおられたのにかかわらず嵐が襲ってきました。
弟子たちは、その恐れおののきました。イエス様が一緒にいたのになぜ災いが襲ってきたんでしょう?

その突然の嵐の中で、私たちはイエス様の栄光と神様の権威を見ることができるようになったのです。

私たちは願い祈れば、直ぐに答えを期待しがちですが、神には神の思ってる事が有ります。
苦しみから、苦い経験から、突然の悲しみから、神を一層探し求めること願っておられる気がします。罪に対して曖昧だった事から敏感になるようだったりもします。

また、苦しみはすべて悪いわけじゃない! 神のいつくしみを知る機会です。「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。」詩編119:67-68

色々な出来事から、神との信頼度が深くなるように願っておられる気もします。
そして神子の栄光の現れが、救いが現れるように、全てを導き経過しておられる、私たちの神、キリストです。神の栄光を第一に、神の国の救いを第一に願い求めた上での。身体と心の癒やしもあります。

この優先順位を、第一にすることから(するので、)
神は私たちを見捨てないキリストです。
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