始めに 皆様に
素晴らしい一日でありますように祝福を祈ります。
様々な問題が、私たちが信仰すればしただけあります。謂われの無い誤解。苦しみ、悲しみ等など、加えて病にも襲われます。
ただ天に居る私の父さん、父なる神 キリストのお名前で聖霊の助けを祈るしか私たちには残されないことを最近、確認をさせて頂きました。
今までも祈りながら様々な問題を乗り越え、実現した時を想像して楽しみにして祈ってきました。
何もキリストの事を一切知らない中学生の時に 扁桃腺入院中、隣りのベットの人が聴いていたラジオから流れた宣教師の祈りの言葉を偶然にも聞いて
、訳も解らずアーメンと一言、言いましたら 何故か?頭から足の指先迄
感動に震えて涙が溢れました。『手術後の高熱が出ないね !』と
看護師に言われて キリストに急に会いたくなり
退院後 教会を探しました。若く幼く未だ純真?いや疑うことが少なくて単純だったから幸いでした。
初めて行った教会は若い人が多い教会でしたから、まるでキリストにつながる家族の様になりました。学校帰宅する前に 教会に自然と集り 勉強を教えてもらい、自然と賛美の練習 近所に 伝道チラシを配っていました。
二十歳前から コックの仕事しながら 暇を見つけて 日曜日以外に 教会に行きました。しかし親しんだ人が成長 仕事を始め、宣教師も代わると 教会の雰囲気も変わりました。
私も子供から大人になり始め 宣教師 牧師の行動発言との違い、聖書の教えからキャップを感じました。私自身も聖書の教えからしたい事があっても出来ない キャップも出来ました。そんなときには、始めて聖書を読んだときのマタイ福音書の言葉が励ましでした。
マタイ6:33 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
解らないことは探し求めよう、一番知りたいのは、扁桃腺の手術の時に感じた、たとえようも無い不思議な あの感動の理由と、神様に出会いたい思いでした。
暫くして聖書の中に、
マタイ 16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
当時、幼いなりに感じていた親子関係のこじれや他のことなどを、十字架に付ける、預けられるように祈りましたら、なんとなく心がスッキリ軽くなった気持ちなりました。
十字架に自分自身を付ける決心をすると、キリストは持って行ってくれるのだと、幼いなりに信じました。続く。
*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます。
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