google-site-verification: google8bec6e3f3bda2812.html

心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:違い

批判 非難 評価は人によって様々。

意見や考え方のズレはどこかにあり 人は一様ではありません。
イエス・キリストも 讃美で迎え入れられたエルサレムですが、数日後には人々の評価が急変してしまいました。

昔、親せきに赤ちゃんが生まれたと御祝いに産科病院に行きました。新生児室のガラス越しに、父親が、私に言いました。『あの子、見てごらん、まるで猿みたい。みっともないな〜!あの親が可哀想だの〜!?』と評価しました。面会時間が来て、看護師が「お名前は?」と確認しました。「はい、名前は佐伯です」すると、あれだけ酷評していた新生児を目の前のガラス越しに連れてきた!!父親は赤面!!我が子との最初の出会いでした。
当時は産室に入る父親はいなかったのです。

 時々ですがネット、SNSを見ると一つの意見 聖書教理に対しても様々の意見があります。
ある方が、尊敬していた方の牧師の意見を書き込みました。するとそれを見た読者からとても汚い言葉で酷評をされました。その書き込みをした人は、「実は尊敬している方の意見をコピーペイスとしました。」と正直に伝えました。何と!!酷評した方もその牧師を尊敬していると日頃から公言していたのです。

様々牧師リ−ダ−からの話を一度聞いたら、牛が反芻(一度食べてから また口に戻して噛みしめる}ようにする。やはり鵜呑みにしないで、ご自身で聖書を調べて読む、確認する。聖書に書いてないことは余り話題にしないようが懸命かと思います。牧師、リ−ダ−間違いに気づいたら、進言できる、話し合える環境を先ず整えておくことが重要です。充分理解しあえる環境 感情を整えていくと異端も発生しにくいのではないだろうか?

人の噂も同じです。本人確認できない噂を鵜呑みにしないです。

ある人は信じて ある人は信じない!この事も同じかと思います。シッカリと確証と証拠が要ると思います。伝説以外に・・
クリック→聖母マリアの取り扱い方もカトリック内でも様々


聖書では唯一生きたまま天に神に取り上げられたのは、預言者エリヤとエノクだけだと書いて有ります。聖書は神が絶対に残したいことだけを書いたと信じます。 
またそれを言うと私が聖書原理主義者だと非難もされますが・・。

言葉は受け取る相手の心の有り様で意味や効果が変わりますね、同じ言葉でも好きな人や尊敬するる人からかけられた言葉と、嫌いだったり見下している相手からの言葉だと受け取り方が違います。実際の交流がないとわからない。顔を見ての会話だと表情や声からでもわかり合えることが多いのです。

「心に愛がなければ、どんな言葉も心に響かない」

ネットでもクリスチャンが汚い言葉で馬鹿呼ばわりをしているのを見かけます。それが喩え正論を述べていたとしても品格に対しての疑問が生じます。悲しくもなります。

批判 避難 評価するは、その境目は曖昧だけど、愛や思い遣りは触れた言葉使いなら 受け入れやすくなります。また、それをした人の品格も滲みます。ネットなどでよく見る死ね、馬鹿呼ばわりは反感 反抗しやすくなる。聖書も馬鹿呼ばわりを避けるよう進めているし、。

避難 批判の基準はキリスト(聖書)から、人の考え方だと私的基準になり千差万別です。

同じ批判するのにも、適切な言葉での批判と、相手を罵倒する批判では、効果も違います。
そこには、その人の心が現れます。

マタイ5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
yamayuri

変だなぁ 嫌だな おかしいな? 文句言わず 静かに祝福を相手方に祈ってから去って来ましたね。 神はアブラハムに言われたように、あなたが祝福する者を祝福すると言われましたから、、創世記
12:3 「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

争い 教理違いは、本人は余り言わずに、神に相談して神に話しかけて来ました。
間違った噂を流されたりもしました。
けれど、神はお互いに悟らせます。 いつわりの噂を流した人は、病気 困難 様々な方法で神は本人に知らしめていました。
出23:1 偽りのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはならない。
有る事から不祥事 その牧師を辞任。ある人は私に関する偽りの噂を しかし脳の病気になりました。固い約束を違えた方 信頼して人から裏切られましたが、その方は後に死を迎えた人もいます。

なので人を呪うと怖いし それが自分にも帰ってくるので、祝福するようにします。
神は真実を知る。そして神はその人の心をシッカリと見ています。その言葉の心と言動から裁かれます。

「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。」 ローマ人への手紙2:1

酷いことをした人、自分と違う意見の人に対して物を言うのはいいけど、いつしかそれが激しい言葉で相手をののしったり、馬鹿にしたり、その人の人格さえ否定するような呼び方をするようになるのはいけない。そんなことをしたのでは、結局相手と同じようなことをしていることになるのです。

死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。
箴言 18:21
言葉は神から与えられました。『初めに言葉あり。』その言葉で神を呪う、人を傷付ける、人を祝福する。言葉には品格が表れる、言葉に注意が要ると思いました。

*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます。 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村 にほんブログ村 ライフスタイルブログ こころの風景へ
にほんブログ村
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

賜物としての預言は

新約聖書時代に入っても 面々と続いていました。{前記、旧約聖書の預言から続く}
ユダヤ人はキリストを阻害したように 預言の言葉に 耳を傾ける人は段々と少なくなりました。 ユダヤ人以外の人々がキリストを信じるようになりました。
その結果、おおやけ、つまり国 ユダヤ国家への預言はすたれてきました。
{その結果、現代では預言不要論の元になっています。}
reveration

預言の目的も 国に対するものから、 教会や信徒の信仰生活を円滑に進める為の助言的な祝福を得るにはどうすればいいか?具体的な指針預言に変化して来ました。

預言そのものの目的は、神と正しく 秩序 誠実さ 確実に 信仰して神の御心を如何に遂行するか?神から離れた場合の信仰の軌道修正です。その場合は多くは旧約聖書に実例があります。{預言が当たる 当たらないはと 言うのは占いの領域ではないだろうか。}

神からの神託 預言で有るなら、私たちが聞いたら実行して実現に至ります。 私たちがもしも耳を傾け無いなら、神は別な人に 実行する人を再度 選びます。
例としては、サウルからダビデに変わったように!

教会への預言で代表的な黙示録の7つの教会への預言が有ります。 聖書をしっかりと学び知った上で 訓練された人が教会への預言をしていたのですが、ローマ迫害から次第に教会会員が散り離散して預言者の働きが小さくなりました。

七つの教会、それをもし、七つの人格とすれば、私たちにも当てはめた適応と注意喚起になります。
7つの教会-1024x576

ローマカトリックが生まれて地方に点在していた家庭での集まり 小さな教会 集会が組織化されてきました。それでも時には、聖霊は一部の人に望まれ、信仰生活アドバイス 預言を受けた人もいました。カトリックが権力を持つようになり、預言者の働きが現象、法王がが認めないと預言者のは働きが出来なくなりました。狩りに預言をしたとしても、法王がその預言を認めないと民衆には伝わりませんでした。

19世紀 プロテスタントの中から聖霊のリバイバルへ続く。

*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます。 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村 にほんブログ村 ライフスタイルブログ こころの風景へ
にほんブログ村
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イスラムといた創始者のムハンマドは、

メッカを支配していたクライシュ族の子として生まれ、6歳で孤児となった彼は、成人すると隊商貿易に従事、25歳頃に裕福な未亡人ハディーシャと結婚した。2人の男の子と4人の女の子に恵まれた。

 ある日、メッカ近郊ヒラー山の洞穴で瞑想にふけっていると、天使ジブリール(ガブリエル)がアラーの啓示を伝える。これが最初の啓示で、その後何度も啓示が下り自分が預言者であることを自覚する。
画像 398

 ムハンマドは、近くの者に啓示の教えを説き始めた。最初に、妻のハーディシャが信者となり、従兄弟のアリーや友人のアブー・バクルなどが続いた。これがイスラム教の原点である。

 最初の啓示から4年が過ぎたが、ムハンマドの信者はまだ30人程度だった。多神教を信じる商人や貴族からの反感が強く、妻や後ろ盾の叔父も亡くし次第に孤立感を深めていった。
画像 285

 そこで新しい活動の場を求めて、メッカの北ヤズリブ(メディナ)に移住した。これは、ヒジュラ(聖遷)と呼ばれ、移住した622年がイスラム暦の元年となった。この回廊には、アブラハムの遺骨 一部が納められている。 メッカ巡礼した人は、ハッジと呼ばれて、周囲から尊敬される。


伝承では、ハンマドはメッカのカーバ神殿から天子ジブリール(ガブリエル)に連れられてエルサレム神殿まで旅をし、神殿の岩から天馬に乗って昇天したといわれている。ムハンマドが昇天した場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。

平和を保つようにも言われるが、家族をたの部族から守る事のために闘うことは否定しない。
当時は多神教であったが、ユダヤ教の一神教。旧約聖書が土台でもある。 経典には色々混ざっているね。 

この時 既にキリスト教がアラビア インドにも伝えられていました。インドに伝えられ・・中国に伝わり景教に(キリスト教と仏教が入り混ざった)



あとからの聖職者は、経典の解釈によって変えてきた。原本はあり、写本が在り。解釈 仲介書も沢山生まれて 本来の物を確定することは、
イスラムが中東からスペインまで及んだときに、支配者の統一見解も乱れたと思う。

ローマ帝国後に、ローマカトリック また聖公会が分離 東方教会と プロテスタントと別れた事と同じ事が、イスラムの中でも起きている。
ユダヤーイスラムーキリストjpg
 


 間違ったキリスト教ー支配者の都合もふくめた 西洋からの視点でイスラムを見てきた歴史から、大きな誤解も生んでしまった。いい気な間違いは十字軍。虐殺と略奪のイメージを中東に残してしまった。
日本人の多くは知らないこと=無関心でもあったかな?


1980年代から90年代に イラク アルジェリア 他の国で仕事をしていました。
一緒にイスラムの人と生活して、彼らは戦い、暴力は禁止され殴り合う事はしなかった。
信仰持つ物には喩えクリスチャンであっても敬意を持ってくれました。



85年当たりから 暴動、テロが増えました。 主張を権力で押さえて全く聞き入れないから、ガス抜きが出来ないから力や暴力に変わる。

訴えられた側、その主張を聞かない立場から見たら、それがテロ、でも 少しだけでも 聞く耳があれば 

主張する側の緩和 ガス抜きになるよね。 

私がいた、キルクーク またニネベ 予言者ヨナの墓のあるモスクでは 
イスラムの放送 アルジャイーラーでは、イスラム国とイラク軍がヨナの町 ニネベを奪還する模様が放送されていた。 ヨナの墓は大丈夫かな? 壊されていないかな・
            
画像 399
ユーフラテス川 メソポタミア バビロンの遺跡の殆ど海外に持ち去られた。これ、色タイルのライオンも、元々はバビロンの遺跡だった。しかし、これはNYメトロプリタン博物館に所蔵された壁画 

画像 408


国とは同じ部族は言語の集団が茎の基本ですけれど、武力制圧していたイギリスが、第一時戦争。二次戦争後に、現地定住者民族 生活無視で 国境を分けてしまった。

アルメニア人。クルド人は国を失った。イラクには大きく分けると5部族。言語習慣が違った部族は本来は
一つ国になるはずが、イギリスによって無理矢理一つの国、イラクになってしまい 今日の争いの元を生み出した。
画像 419
                  
                  ニネベ郊外の遺跡

日本を捨てたのだろうか?Twitterを見ていると、やけに日本を知る感じ。イスラム国に参加している日本人がいる可能性も否めない。

アラブ連合のアキレス腱。ヨルダンを混乱させて、分裂混乱させて、イスラム国の力を誇示が目的か。ヨルダン国民をイスラム国にも誘い込む書き込み。Twitterにはイスラム国からの日本人を勧誘がある。既に数人の日本人がいるようだ。勧誘手法が、昔も今も存在するオーム真理教とと同じ。                    

イスラム国や、後藤さんの写真を可笑しくいじったコラージュ写真が世界に飛び回って顰蹙を買っている日本人がいる。FACEBOOKで I'm KENJI と書いた写真を掲げて、救出をねがい写真投稿する世界の人もいる。


                    
画像 419

自己責任の書き込みが未だにある。 自由の日本! 批判する人は、自由な世界 日本を望んではいないのだろうか? 日本は本人、自由の選択が保証されている!!  批判する人々は、自己の選択は出来ない世界を望んでいるのだろうか?
彼等は選挙に出かけているのだろうか? いかなる場合、理由であっても、国はその人の責任と保護を持つ。それはその人が国に属しているから、その人は、日本人です。

イスラム国との交渉を極秘にしていたのだろうか? 外務省の怠慢も考えました。でも公表してしまうと、旨く往かないことも在りますが、彼らの方で、公表してしまいました。彼らの力と優位性を誇示したいからとおもう。

イラクに滞在中、イラクの政権に反対する武装集団が日本人を誘拐拘束しました。 それから、私が仕事で外出する際に、イラク兵士とか武装民間人が、私を護衛してくれました。
外務省からの依頼があったのかは不明です。
そんなことから民間戦争ビジネスが生まれたのでしょう。  外務省の認定を受けていたのだろうか
動画から、パスポートの色が赤くなかった気がした?
 

          世界の争うが止むことを願って作った動画です。

            

 


後藤さんの救出を祈りながら。

既にFACEBOOKに投稿した記事と一部は同じです。


 
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

今、話題の映画ノアは、

聖書からの題材にしています。けれど、全体像は別な物に変わっていました。
 ノア 約束の舟 公式サイト ここをクリック
昔から、一部は聖書から話を取り込みながら、別な物語に成った映画も多数あります。

キリストの着ていた服を題材に聖衣と言う映画がありました。バウロやペテロ、聖衣を手にした男女の愛の物語でした。一部は、聖書に書かれたシーンがありましたが、後は創作の物語でした。

ノアもこれと同じく、ノアの父親像と家族愛の物語としてみれば、スペクタクル映画として観れば面白くみれます。
アララテ山トルコ

      写真はノアがたどり着いたと言われるトルコのアララテ山。

何処が一番聖書からの話をを映像化されたかと言うならば天地創造の話を短時間ながら伝えていました。

     
 
カインがノアの敵対者と登場します。箱舟作りを手伝う天使がロボットの様だったり、神の手で箱舟の扉が閉められたシーンは削除飛ばされていました。

実際、詳細な脚本のような表現は、物語は聖書には書かれてはいませんから想像し解釈する部分が多くならます。

例えば いかにして動物を集めたかは、詳細な事は聖書には書かれてはいませんから、。

個人的にこの箇所が好きな聖書の言葉なんですよ。
最初に神がノアに語り掛けるシーンは幻、夢として表現されたシーンに成ってしまいます。

ノアは、自分の家族が救われた使命を誤解しています。孫を殺そうとするシーンがありました。

ノアは善悪を試された。と映画の解釈が挟まれて、父親像と使命感の間違いに気がつき、約束の虹を見て終了します。



ノアも一人の人間として、善悪の間で苦しむ部分は共感かな?
ノアが葡萄酒を飲み過ぎて、自分を見失うほど酔ってしまうのは何故か?聖書には詳細なノアの心情は書いてありません。映画では、のあの苦悩として描かれてもいました。


どこが聖書的?と調べず、ありのまま楽しめる映画の一つに成っていますから、御覧になられても損はしませんね。




    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 昨日。リンゴを頂きました。

宅配でお礼の手紙と共にリンゴが送られてきました。

メールや電話でカウセリングをしている方が送り主で大変嬉しかったです。

かれこれ数年間の交流が在ります。
リンゴ12

私が気ままに書いているブログからのアクセスでした。離婚の瀬戸際での相談でした。

アドバイスで離婚しても,子供との関係を保つように勧めました。欧米では当たり前ですが、離婚した夫婦でも,子供とは自由に面会が出来ますし、養育にもお互いの責任が伴います。聖書でも、離婚そのものは、天の神様の本来の本心で無い。しかし許容されている場合もあります。子供に関しては別れても、信仰他に対しての責任があります。

相談を受けてから間もなく調停に入った結果 別れて、子供は母親に親権が行きました。それは面会できることが条件でした。

日本では父親に親権が行く事は少ないです。
日本の母親は時には,子供を個人所有の様に考えてしまう傾向が強くて・・自殺の道連れにして仕舞う、悲しい結果をもたらす母親が・・・子供だけが亡くなって母4親が生き残った事も起きています。 

相談して下さった方は,力を尽くして子供との面会が出来る様になさいましたが、時が流れるに従って会えなく・・合わせないように,離婚した相手側の意向が働いてきました。 せめて成長していく,我が子の写真だけででもと願いました。それがしばらく続いていました。 

私もその子供の写真を送って貰い、 その写真を見ながら祈りつつけて数年が過ぎていました。

母親から子供の写真も届かなくなり,裁判所の調停に申し込みをしたら、 逆にセクハラとか誘拐の恐れがあるから辞めたいと言われたそうです。人の気持ち変わりように現実としても驚きました。
父親の親権を全く無視した通達でしたね。 調停官がクリスチャンならどうなったかな?と思いました。

私自身も数年間。相談者とその子供の写真を祈って来たので。。何故か・・孫がどこかに強制的に隠されたような気持ちになってきて・・電話でそのことを相談されながらも悲しくなりました。 カウンセリングをする時には,感情移入はいけない事ですけれど・・ 祈っていた時間が長いからでしょうね。

逆に言えば・・ 神は相談者が聖書の言葉 第一に神の思いに従って,子供の親権を手放さないように頑張ってきたこと、神は知っていますし、完全にシャットアウトの結果が,相手から出たのだから、彼は再婚を考えないで,会えない子供のために祈り続けてきたのですから・・逆に考えたのならば、新しい道が開かれたと思います。

電話の相談に乗りながらアドバイスをして「新しく再婚を考えて前向きに生きます。」と言って下さったので、私としても,神が一つの答え,道を示されたのだと思いました。


彼は1度 遠方から新幹線を乗り継いで神戸まできて来て下さり 聖書の基本を学んで下さいました。神の祝福を、その人生にあるように祈りました。 彼の地元の教会を 幾つかの紹介 今はその一つの教会に通っています。自由に選べるように、教会への紹介状は書かないようにしています。 数回 紹介状を書いたことが有りますが、教会は一つの家族関係に似ています。希に合わなくて長続きしないのは困るから 紹介を書くことは控えました。

 さて時には,最初に私たちが思い描いていた人生と祈りが聞かれる時間等が、神の計画とは違うことが在ります。振り返って・・そうだったのか!! と分かることも多いですね。

神から,子供を与えるとの約束に アブラハムは喜んだでしょうね。 けれど イスマエルでは駄目で,イサクが生まれるまでには25年近く掛かりました。その間にも沢山の信仰の試練 夫婦の間にも危機と言えることもありました。乗り越えて神の本心を知りました。

それぞれの立場が在りますが 多数の相談者が神様の救いと癒やしがあるように・・その想いが最初と違ってとしても 父の心 神の御心を理解して、救われ 癒やされることを強く願っています。

 
repentance-prayer1
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 色々の人生経験を体験した人々や

職業、考え方の違う人々が一堂に会して,神、キリストに讃美と祈りを献げて、
それぞれの教会の長老 牧師 司祭 神父と言う立場の方々から、聖書からの教えを受けて、神の気持ちを知り,更に神に近づく所です。

教会の長い歴史の中で悲しい結果を生み出し分裂もして争ってきました。
私自身も同じ経験をしました。 神に求めた事(癒やしが有る無い)が違うことで,悲しい思いで,その教会を静かに身をひきました。


仕事で,30〜40歳代にかけてイラクやアルジェリアのプラント工事に参加して,教会がないところでの生活も長かったです。

その時は、一人で礼拝して,聖書を調べていました。日本から、これは良いな〜と思う神学書も買って持って行っていました。結果。それらの神学書、信仰書を買うときには色々の教派の先生方の書いた書物なってしまいました。

帰国後に、母の癒やしから違いを感じたことも事実です。保守的なバブテストの教えを土台に、聖霊はと言うペンテコステ カリスマの集会にも導かれました。

1960年代、中学生の頃。調理師になること目指したので、高校には行きませんでした。 昔の言葉ですが,当時の中学卒業生の就職は金の卵と言われてもてはやされていた時代です。 高度成長期に入りたての頃です。

 若い時に、神学校入学したくても、宣教師から、高校卒業していないから、あなたが神学校には入れません。駄目ですと言われていました。 結局。50歳になって,色々の神学校に学歴の件で問いあわせても,良い返事!!

 私は 色々の集会で,カトリックの神父様にも数名出会い,その教会に出向いて祝福の祈りを受けました。
カトリックとプロテスタント。マリアやパウロ、ペテロの聖人、神格化の違いがありますが・・現在、生きている人にとりなしの祈りを依頼するかしないか・各自の判断と信仰です。争って私たちが結果を出さなくても,神様の判断が最後の時に在りますから・・。

 プロテスタントの中でも、それそれの教派の良さが在ります。お互いの違いを認め合っても,違いを強調して争うことは、神が悲しむと思います。クリスチャン同士が細かいことの違いでもめるのは変だと思っています。神様は悲しむと思います。愛と一致するように心がけています。

 病気の癒やしは絶対にない。それは使途行伝の時代だ! と言っていた牧師の息子が重い心臓病に・・そうなれば。人はやはり自然と神に祈ります。その息子は癒やされました。医療と信仰の力です。大きな、小さな違いは,神は直接。各個人に教えられると思います。その方(牧師)は神の癒やしがあったと方向を変えました。私たちが直接違いを指さすことは無いと思います。

 指さすと言えば・・ インターネット上で。2チャネルなどでは,教会や牧師を、指さして色々書き込むことは悲しいことだと思います。 人の目、額に付いているゴミのことで呟いているのと同じです。
自分自身のゴミ&チリを綺麗にしてからでないと書き込みはいけないのでは?と思います。
インターネット上では未信者さんも観ます、その未信者さんがキリストご自身に結果的に失望したら,書き込みした方々が,神の前では、どの様な責任を果たすのでしょうか?

 聖書に書いてある額面通りを信じています。教理教派の違い。解釈の違いが多生あったとしても、その点を争わすに神様にお任せ、私たちは主キリストに在って一つです。

 ペンテコステ系の牧師さんの悪霊の取り扱いの間違い 行き過ぎから傷付いてしまう方もいます。異言は絶対と言われて傷付く方もいます。神が時を与える。と思います。急ぎすぎた結果をもとめるのは・・? 神が子供を与えると言ったのに、何年かかってアブラハムは子供イサクを得たのでしょうか?

清め派と言われる教会では,清めを強調しすぎて・・傷付いています方もいます。
罪を犯したからと毎日のように罪の赦しを祈る方もいます。ナーマン将軍は,自分の描いた筋書き通りの清めはなかったのです。


人はうっかりとか。意識的にも罪を犯しやすい性質は,死ぬまでは治りませんからね。開き直るのでは無く,悪から遠ざかり,罪を犯さないように,自分を見張る必要は無くなりません。でも、過って犯したならば、素直に神に告白し,神の力、十字架で許されていることを確認して讃美する方が良いです。
 
 安心して十字架の下にある救いの憩いを得てください。繰り返して、『許してください。許してください。』と言う祈る必要は無い。それ以上の神との信頼関係を・・つまり親子の関係の下にある絶対的な信頼を築いてください。

幼子は親に逆らっても,親が自分を赦す事を信じ切って,ケロとしています。それは親子の愛と信頼だと・・神様も同じ、嫌それ以上に 十字架で死の代価を支払い、買い取った親子関係なのですから。許しを毎日請うのでは無く、こんな事(罪)をしてしまったけれど,告白した後、過去現在 未来と許されていることを讃美したいです。

 各自家庭でも,意見の違い考え方が違いますけれど、家族として纏まるときのように,クリスチャン同士も違いより愛し合う。認め合う方が余計に大事だと思います。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ