前記にも触れましたが、

ピリピの教会はパウロの使命を共同体として、パウロの使命を共有して、またパウロの宣教活動を喜んで支えた教会でした。ピリピに散らされたユダヤ人、そこに始まった小さな祈りの場に、パウロの励ましと支えがあり、教会ーシナゴーグ シナゴーグとは!?
現代の教会は、シナゴーグと呼ばれる処{この場所で祈りと聖書朗読をする場から}発展して 教会と呼ばれるようになりました。
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ピリピにあったシナゴーグ宛てに、バウロは獄中にありががらでも喜び 信仰によって共同、共有する喜びを語っております。


キリストを共に礼拝する喜びを語っています。

ピリピ 3:3 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
このあとパウロの過去の経歴と誇りに触れつつも、キリストが絶対者であるとも証ししております。

3章のテーマとも云えることは、運命共同体〜コイノニアとしての意義を説いています。
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ピリピ
3:10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、3:11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
 3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
 3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

コイノニアとして喜び、福音を語り伝える原動力を解いています。それはキリストの復活に預かる 田津買った物としての意識を高める場がコイノニアです。
お互いに切りとから預かった深い霊的な交わりの場がコイノニアなのです。

教会内の友情 食事やお茶するだけを指していないことに気が付いていただけ幸いです。人に行き違いがあったとしても{多くの場合、この点で「つまずく」 無視されてとか・・?方も悲しいかな!?おられるのではないでしょうか? 
神様を見上げて 共有して 共に祈り合う許し合う場が コイノニアでもあるのです。

励まし合って完成を目指して 捉える場がコイノニアでもあります。ピリピ
3:12参照


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神は隣人を許すように命じられました。 しかし神を見上げないで、憎しみ合う許さない人には、神からの恵みから遠のく はく脱されると思いませんか?

愛し 許し合い 励まし合い 聖書を分かち教えあい 共にキリストの姿に近づく処がコイノニアなのです。

*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげますブログランキング・にほんブログ村へ
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