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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:赤穂城

友人と一緒に

ドライブに出かけて 梅の見物に行きました。

姫路の隣、たつの市にある、綾部山梅林でした。 未だ梅の花は全体的には咲き駆けでした。黄砂も相成ってざんねんでした。 私が車を出し運転すると、彼が高速代金と昼食代金を出してくださいました。これはお得だったかも!?

その時の動画です。    

この梅林は広いです。 瀬戸内海の眺めで 家島 小豆島などが見渡せて良いです。


 
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少し、早いと思いながら、黄梅が見たくて行きました。過去に、何度か行きましたが、黄梅は早咲きなので、何時も見損なっておりました。

                 
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早咲きの赤い色梅が綺麗に咲いていましたよ。 

                
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またこの山全体の頃に出かけて見たいですね。

山を下りると 菜の花畑が広がっています。

 
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春先を知らせる水仙の花も綺麗でした。

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春うらら・・ドライブで 赤穂岬まで足を伸ばして かんぽの湯まで行きました。家島が瀬戸内海上に浮かんで見えます。

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昼食と入浴込みで1800円でした。温泉につかった後の昼食で、友人はここでビールを頼みました 
私が運転を引き受けているので、安心してビール美味しそうに呑んでいました。私は小さいときから酒には興味が無いのです。仕事上の付き合いも無し。

 
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赤穂は牡蠣の名産地です。 昼食の鍋にも入っていました。
温泉の湯は塩分が含まれて肌がつるりをしますね。

 
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赤穂の佐越港には美味しい牡蠣が水揚げされます。

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殻付きは1Kg 15 個くらいで 950円でした。生牡蠣を三杯酢で頂きました。

       
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残りの8個は電子レンジで3分半暖めていただきました。
残りをレンジで温めて、水菜を混ぜて牡蠣丼にしました。

生牡蠣を皿に移して、塩こしょう してからレンジに・・それをご飯の上に水菜をのせるだけ美味しくなります。
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赤穂の佐越には古い町並みが残っていますよ。伝統の祭も残っていますが・・

 前期の動画も合わせてご覧下さい。
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連日寒いですね。 

如何お過ごしでしょうか?  過日。12月14日。兵庫県赤穂市で開催された播州赤穂の義士祭に出掛けビデオを撮影しました。 忠臣蔵を発端に、今回で111回目だそうです。


赤穂城やぐら1

大石内蔵助役には俳優の松平 健 さんが扮しました
高橋 健(1)


その模様の投稿動画です。ご覧下さい。
                


幻の天守閣としてのプロジェクションマッピングも開催されました。大阪城で開催されている物とは違い無料で見られました。 時間も10分ほどですが、その雰囲気、見応えは負けないですよ


                 
観客から、「健さん!健さん。」と声が飛ぶと 微笑んでいましたね。
赤穂城大手門t(1)
 
大名行列 子供義士  踊りなど3時間あまりのパレードがありました。

また一部は、只今 編集長ですが、数年前に撮影したあった3D写真スライドショーの動画です。 
 
                   


 今回撮影した 同じ内容の3D ビデオ 

                            
最後のパレードが、この赤穂義士行列でした。  義士達は全国に散って故郷が有り、そこでも義士祭がおこなわれているようです賀、此処は本家門元ですよね。

終了後、赤穂城の中と 大石記念館 その庭、実際に大石内蔵助が眺めていた庭です。
 家老としての風格を残す庭ですね。そこを散策しました。

大石 庭


大石手紙
 
江戸から届けられた手紙を読む再現シーンですね。 近藤伝八(義士の一人)が住んでいた住居跡
近藤伝八
 

  大石内蔵助 藩主の浅野家の歴史資料館もあります 討ち入りの時に使われた道具 微妙に血糊が残る衣装などの展示があります。
 
甲

この城には天守閣が建てられませんでしたが、建てようとして迷った?経済的理由他があったみたいです。
天守の門1


庭園は見事だったようで、後々の全国の城 そのモデルとしてに広がったようです。

 
城の庭

城廊1

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忠臣蔵の武士道。敵討ちは 世の中平穏だった元禄時代。当時としても画期的
多くの日本人の心に 訴えてきました。
現代でも映画化され 舞台化されています。

裁判制度がありますから、現代では直接的な仇討ちは出来ません。

黙示録のなかにある 「死に至るまで神様に忠実であるように。」 黙示録の言葉は
個人的に、忠臣蔵を思い越させました。

 

 
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 12月14日は討ち入りの日でしたね。

 討ち入りと言ってもと言っても、和解方はご存じないかな?
元禄時代に、江戸城で刃傷沙汰で赤尾城藩主が切腹を命じられ、藩は没収され、喧嘩両成敗でなかったために、家老の大石内蔵助が藩主の無念を晴らすために、相手方の吉良上野介の命を偉い、思いを遂げた物語です。

 その日が1214日でした。
前回。京都に一緒に出かけた前職のおばちゃん2人と一緒に、前記の物語の赤穂城に出かけました。大人が臥した大名行列、子供が扮した大名行列。京都撮影所からは殺陣の会が路上でのチャンバラのパホーマンスなど沢山の模様行列がありました。その最後には赤穂武士に扮した47人が行列の最後でした。
とても良かったです。画像をクリックすると大きくなります

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忠臣蔵の芝居、映画では有名な物語です。元禄時代とは、戦国時代が落ち着き、現代で言うならバブル期のように色々の考え方、文化が咲き始めた頃です。内乱が落ち着き、その頃に起きた事件に、仇討ちは武士の鏡としてもてはやされたようですね。喧嘩両成敗にはならず、赤穂藩が責任の一切を背負いました。歴史では、相手方の吉良家の藩主は良い殿様だったとも言われています。家老の忠義心をひた隠しに、色々の物語に達成し成り立ちました。

将軍の裁きにたてつくのですからね。大勢いた赤穂の武士にもそれぞれの家庭や事情がありました。一人去りまた一人去り、最後には47人だけが残りました。

私は、物語としてしか知らなかったのですが、遺品や遺書を見ると、現実味帯びてきました。大石内蔵助が住んでいた敷地には、そのような遺品が納められたところが公開されています。筆頭家老の家ですが六畳間が三間 八畳間が1部屋でした。以外と狭いですが、共同の庭は大きかったですね。
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家老の大石内蔵助が使用した遺品に現実としての歴史を感じました。政治の世界の乱れは現代でもあります。口では何とも言えますが、命をかける政治家は何人居るでしょうね。

また、自分の意思で、この仇討ちに加わった若い侍が、その実母に当て書いた、最後の手紙には、親を思う気持ちがあふれていた。涙を誘う文章でしたね。

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 藩主の無念と藩の没収と言う政治的な不公平に対して、47人が命をかけて訴えたのだな〜と、私は思いました。命を掛けてと言えば、キリストの復活を見た人々も、それは嘘だという声に対して・・政治的な判断。思想的な判断に対して命を賭けて戦いましたね。


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ペテロ始め聖徒たち、パウロもこう言っています。

使徒20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

高山右近も同じ事を告白しています。信仰を捨てずに。フィリッピンへの島流を甘んじて受けました。私自身。自分に置き換えると、キリストの命をどれだけ掛けているのかと反省しました。帰り道。海岸線を通り。道の駅巡りをしました。
今時期は特産の瀬戸内の柿が美味しいです。通常1kg 1200円の殻付き牡蠣貝が 閉店間際も手伝い八〇〇円台で売られていました。自宅に持ち帰り、レンジで温めて夕ご飯に頂きました。新鮮で美味しく、神に感謝しました。

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赤穂城大名145余談ですが、大名行列には、所作が定めれていました。そのを忠実に再現して感心しました。相当の練習を積んでいたことが思わされる行列でしたよ。

赤穂大名47


京都 太秦 撮影所から殺陣の会が来ていました。路上での立ち回りを披露しました。やはりプロですね。
赤穂の東映殺陣の会
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