前記のように、キリストに祈ってても

癒やされなかった例もありますが、キリストはその栄光を表すために、癒しを私達に与えられます。

最大の癒しは、キリストの十字架の御代わりのあがないを信じて救われて、天国においての永遠の命が最大の癒しと救いです。


 過去に白内障や歩けなかった人が歩いたり、私の母の痴呆症からの記憶消失が治ったときもあります。

この言葉は、預言です。その後、それがキリストによって実現しました。預言の実現は、信じて、信仰の備えが大切です。 癒しの予言の一つです。信じる者の上に待ち望む者に実現します。
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15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、【主】の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは【主】、あなたをいやす者である。」


今からさかのぼる事、ユダヤ人が300年余りに及ぶ奴隷から、エジプトを脱出し砂漠の中にあるエリムの泉に着いたら、その泉の水が苦くて飲めませんでした。
エジプトを出ることは、神の命令と導きでした。なのに何故? 神に従うときに、この世とのズレ、違う生活と結果もあります。

しかし、神ご自身が、『私は主、癒す神で在る。』と宣言なさいました。

罪の許しの象徴である十字架は、アダムの原罪と私達の罪を許します。その罪が無ければ、病も無く、産みの苦しみも無く、( クリスチャンは、一般的に産みの苦しみは少ないとか!たしかに私が関わり祈った妊婦クリスチャンは、助産師から、お産が軽かったと聞いていますよ。 ) 額に汗してパンを食べる事も無い。神に従う時には、経済的な祝福を得られる約束されている。

私達は現実、足元をみて、そのギャップから、神の約束を不安視してしまいます。 天国に在る約束と救い。先ず、その事を硬く信じなくては、この地上で、天国の恵の延長の実現は在りません。

神の十字架の許しは、全ての罪が原因で起きる災いから、私達を護り救います。
富士子さんから、信仰告白、信じて祈ります。と聞いて嬉しかったです。

不安と疑いは、心の中に、サタン、悪霊に、私達につけ込み、災いの足がかりを作り与えますから、賛美と感謝の生贄を、父なる神様に、聖霊に、そしてキリストに捧げましょう。

不安に囚われすぎると、キリストが先に見えなくなります。
キリストから目をそらすと、ペテロのように、嵐の海に歩き出す奇跡を体験しても、その嵐が大きすぎると不安になった。そして、折角。水の上を記シストに向かって歩いていても、沈んでしまいます。 うつ等の病気は現実と自分の考え方。ズレのギャップから来る場合もあります。それでも、キリストを見続けるなら、貴方の上に、癒しは預言の通りに来ます。