癒しと霊的な父の心。

 今から二週間前に、私のホームページや十字架の救いと癒しのミカエルミニストリーを見てくださった青年から、彼の母親が末期ガンであると共に、祈って欲しいと依頼を受けました。その母上の容体を聞くと未だ元気だが、余命は医師の話では、長くないとのことでした。私は、その依頼を引き受けました。 私には日曜には礼拝のメッセージがありますので、平日なら、関東にある母上の入院先の病院に行けると伝えつつ、キリストに在る癒しの信仰を伝える資料と共に祈り方の資料をお送りしました。また同時に、私の生活面では経済的にはギリギリで、次の年金の支給日が過ぎないと東京に直ぐには行けないことも伝えました。

 それから毎日のようにメールや電話はありましたが、「直ぐに来て下さい。」とは言われることなく 歯がゆい数日間を過ごしていました。末期ガンと言われる方にも祈ってきた経験はあります。 私自身も初期でありましたが、ガンにもなりましたが、5年を過ぎたので癒やされいます。完全に回復する癌の方はいますが、末期ガンで余命宣言をされながらでも延命したり、回復に向かった方もおられます。医療も癒しのための祈りも早期が一番です。

彼は私の都合を考慮して下さった上で、『直ぐに来て下さい。』言われなかったのです。
『未だ元気ですから大丈夫です。』とも言っておられたのですが・・でも末期ガンで腸閉塞の重大性も感じつつ、私は自宅から電話を通じて祈り合っていました。 癒しには本人の意志が大切です。『母は病気になってからキリストを信じた」と 語っておられました。でも病床洗礼が未だでした。私が洗礼を行っても良いのですが、依頼してきた青年には所属している教会は客員席でもあり、彼の立場を考えて、あまり、私が出て行くことにも疑問がありました。

教会には色々の賜物が与えられます。私の癒しの祈りもその一つですが、私自身が牧会する方ではないので、信徒は牧師の霊的な保護下にあることも伝えて、牧師との相談を奨めました。賜物の用い方の健全さは、教会を通じてであり、個人での賜物の用い方には大変 注意がいると思います。

私から、彼が客員となっている教会に連絡も入れました。病床洗礼の依頼をしました。
共に癒しを祈りたいと申し出ました。多生、後手になってしまったようですが・・?
牧師先生から、彼に電話が行き、病床洗礼を受ける日が決まりました。

私はその話を聞いた晩、夢の中で、先に送って頂いていたお母様の画像と同じ顔の方の側に、主イエスがおられ、体に触れる姿を見ました。私は手術を拒んでおられた母上が、その手術を受け入れると思いました。しかし、それは違っていました。それから間もなくして、母上は危篤状態になりました。その日が洗礼の予定日でした。

その時になって要約、彼は『交通費を先に振り込みます、ですから来て下さい、母に祈って下さい。』と申し出をなさいました。夕方になって要約入金を確認してから新幹線に跳び乗れたでしょう。それでは千葉の病院に着くのは深夜になるので、早朝に変更し飛行機の予約をしました。

ルカ8:42〜44
「群衆がみもとに押し迫って来た。ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。」
マルコ5:27 「彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。」

マルコ2:4「群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。」交通手段の予約を入れてから祈りました。

私自身からの交通費等の請求は出来ませんでした。何故なら、いつもこの御言葉通りに行ってきました。先に私から請求するものではないと思っていました。
マタイ10:10『旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。』最初の田派があったときには、片道分の交通費もありませんでした。けれど、祈っていたら、片道分の交通費の献金が別の方からの献金があったのです。でも要請がないと行けませんでした。

何故?・祈りながら、こんなに遅れて危篤状態になってからの要請になったのかは分かりませんでした。彼が私の教会の都合などのことを優先し配慮くださったのは理解をしていましたが、それを越える願いが伝われば、いくらでも変更が出来たのです。イエス様のそのような事もなさいました。祈りながら、逆に主イエス様自身が変更を遅らしたことも思い出していました。

それはラザロが死にかけていたときに、イエス様は直ぐには、依頼を受けてからも行きませんでした。『神の栄光があらわれるためだ。』と言われただけでした。神を動かすのはパッション、情熱と何をしてもらいたいか?です。マタイ15:26〜28には、『すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。
しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。 イエスがノーを突きつけても、揺るがない信仰と確信が必要です。夜中にパンを借りにいくような者ですね。ルカ11:5〜8『 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。
友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします。
すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』
あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。


いかなる場合でも、諸事情を超える神の力がありますので、心沈めて出かける準備していました。

その晩、遅く彼から電話があり、『母の血圧が低く危篤になっています。』と言いながら電話口で祈っている彼の声に、私は言いしれぬ思いが与えられました。 しばらくは一緒に祈っていましたが、ふと『今は母上の側についていなさい。明日はそちらに必ず行くから』と伝えてから、電話を切り、また祈り続けていました。 深夜になって、彼から、母が亡くなったとの連絡を受けました。一瞬、私の用。役目は終わったと感じました。けれど、父なる神様が、彼の側に行くように語られました。(もちろん神の肉声ではなく、とても強い思いが来ました。) 彼の側に行って彼の悲しみを、私の全身で受け止めようと、神は彼に対して 私に父親の心を下さったのです。彼が『キリストを信じた母とクリスチャンとして一緒に教会に行きたいです。そしてクリスチャンとして親孝行もしたいのです。』と語った言葉にも動かされました。

先のラザロの時にも、イエス様は二つのことをなさっておられました。

ヨハネ11:17 「それで、イエスがおいでになってみると、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっていた。」

ヨハネ11:4
イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」

イエスは埋葬を終わらせました。その後に神の栄光が現れるようにもなさいました。


マタイ10:1イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。
この言葉によって 沢山の癒しを祈ってきました。癒やされた人の数 以上に祈ってきました。今回は、初めて今まで無かったチャレンジも下さいました。
マタイ10:8病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
病人の為に祈ってきた経験はありましたが、死者のためには祈った事がありませんでした。私の親、兄が亡くなったときにも、それほど祈ってはいませんでした。

私が到着したときには既に、母上の遺体は自宅に引き取られて寝ておられました。到着して、直ぐに、親族に挨拶を交わしてから、遺体に香油を頭に注いで祈りました。 どれくらいの長さを祈ったでしょう・・ 親族の方も大勢おられたので確かに祈りづらかったです。 どうすればいいのかを、神様に訪ねました。一つの思いが来て、埋葬の準備を先に済ませるように、私に思いが来ました。それは、祈っていることは死者の復活だとも未信者の親族に言えませんでした。早く親族が納得する方法で埋葬の準備を済ませてから、親族を早く帰られてから祈ろうと思いました。

彼は母の死を前にして気丈夫でした。危篤の連絡を受けたときには、『強く雄々しくして下さい。お母さんの復活もあり得るから。』と伝えていました。私が冷静になってから葬儀の準備はと聞くと 『未だです。 キリスト教の葬儀をしたい。』と彼が語りました。

親族の方にはキリスト教式の葬儀の方法と、その心構えを伝えました。了解を取り付けてから、 それで葬儀屋を決め交渉をしました。祭壇の作り方など細かい注意をしました。それでも、キリストを信じていない娘さんからは、三途の川の渡し金を どうしても入れたいとの要請もありました。彼女に無意味であることを説明しました。中々。納得は出来なかったようです。 祭壇に沢山の花を飾りたいとも願いが出されました。
故人が崇められ無いように注意をした上で、私も思いやりの心を持ちました。 葬儀費用も抑えるように伝えましたが、残された家族が満足できるようにすることも認めました。花の十字架を作るように要請をしました。

葬儀準備がすすんで、葬儀式は誰がするのかを訪ねました。彼は、私にと言われ考え込みました。何故なら客員教会員とは言え、牧師がおられるのだから、電話するように伝えました。電話をして日曜日を挟むので、伸ばして前夜式はないと決まりました。
すると通夜に代わるものがないことで、反対意見が出ました。牧師先生の礼拝都合と少しでも死者の為に祈りたい事が重なって1日、葬儀式を伸ばすこととなりました。
あいた1日を、復活の祈りに費やすこととなりました。
また司式牧師の都合も考慮し、前夜式を私が行うようにして親族の了解納得を取り付けました。

キリスト式葬儀

親族が三々五々帰宅について、彼と奥さんと三人になり、癒しと復活信仰について話し合いました。直ぐ午前三時になって、彼と二人きりになり、遺体を前にしてハグをし抱きあい 彼を慰めることが出来たときに、長い緊張が解けたのか、彼も要約涙を流しました。聖書の御言葉から慰めの言葉を伝えてから、遺体の復活のために祈り始めました。長い時間、私達は祈りました。でも祈り足らない気もしました。朝を迎えて親族がまた集まりましたので、中断しざるを得ませんでした。 出棺の祈りをしてから、葬儀場に着き、きれいな祭壇に治めてから祈り始め始めました。

式が始まる時間になり、私が司会を務めつつ、彼が母親の思い出を語って頂きました。その後に。キリスト教の葬儀式の説明を私が話して、明日の牧師の説教と重ならないように配慮をして、聖書箇所から天国と葡萄の木とクリスチャン、天国の門の朗読をいしました。聖書で聖書を説明しました。親族からは理解しやすかったと謝辞を言われてホッとしました。焼香に代わる別れのために献花をしました。 賛美歌を皆さんが知っているもの選曲して、私の独唱もしました。

前夜式が終わった頃に、彼から、『全ての使徒が生き返っているわけではないので、今まで祈って下さり有難うございます。』と丁重に言われ、余計に悲しくなりました。 確かに、いままでは祈った事が無い祈りでした。でも聖書には、死人を生き返らせと書いてあり、イエス様も命じておられます。 何故?聞かれなかったのか。アフリカでは、トーマス牧師、ガジマ牧師は 死の祈りが聞かれていて、死人もよみがえったと知っています。同じクリスチャンでもあり、神の葡萄の木につながっている者です。今回は聞かれなかったけれど、自分自身のためにも 私のと神様との関係をより深めたいとおもうようになりました。母上を生き返らせられる事が出来なかった、私の信仰を深く、彼にわびました。

火葬が終わり帰宅も考えましたが、彼ともう一度話し合いたくて残りました。
居間に遺骨を置いて、色々話し合いました。奥様とも信仰の話をしました。奥様も祈ってきましたからです。また深夜になって、夫妻が眠りました。私は遺骨を前に、息を吹き替えて祈りました。
エゼキエル37:9
そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」

何度も息を吹き掛けて祈りました。 深夜の静まっている部屋に、骨壺から二〜三分間音が聞こえました。私は驚きました。蓋を掛けたい気持ちを抑えました。蓋を破っては来ませんでしたが、音が深夜の部屋に響きました。驚きと信じられない気持ちになると、音は聞こえなくなりました。私の不信仰を信仰を責める気持ちにもなりました。

けれど、神様はエレミア1章を開くように促され読み始めて、私はハッとしました。
1:11−12 「次のような主のことばが私にあった。『エレミヤ。あなたは何を見ているのか。』そこで私は言った。『アーモンドの枝を見ています。』すると主は私に仰せられた。『よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。』

以上の言葉に、再度。勇気付けられました。私達が、ビジョンとして主が見たことを実現に導いて下さるのだと言う事を・・主は命じてもおられる癒しと死人の復活の日を、心に見て行こうと決心をしました。 今回は依頼者の母上はよみがえりはしませんでしたが、神様が彼に出合わせて、祈りに導かれたことを感謝しました。彼の母上も天国にいると確信しています。母の骨が短い時間であっても飛び跳ねたような音を出したのですから・・

これらの事も彼に伝えました。洗礼は受けられなかったが、神の国での永遠の命があることを骨が 喜びを伝えたと思います。癒しの祈りは出来ませんでしたが、神様は彼の父親のような心を、私にも与えて下さり冷静になって色々と話が出来たことを感謝しました。

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