どうしたら 祈りが聞かれるのだろうか?
クリスチャンである私たちは思います。
色々の回答が聖書に書かれています。その中で今日は許しを求める、和解する事を考えました。
『だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。』マタイ5:23〜24
祈りは私たちからの捧げ物、その一つです。
孤独なようでも神は見て、私たちを養い育てて下さる!空の鳥を見よと言われましたね。
安心して神の時を待てば、祈りの答えもやって来る。
けれど忍耐がいる。アブラハムは何年間、待っただろうか?少し焦って御心では無い事をしたけれど、神はその息子 イサクを通して試みた! 神への全体的な信頼を育てるには時間を 年月を要しませんか!?。
またビジョン、夢を見ても直ぐには実現は難しい。ヤコブの息子は夢を見て、兄弟から馬鹿にされ、奴隷として売られた!売られたエジプトでは、潔白なために誤解を生み出し、牢獄に。それでは神は見ておられヨセフを見放さなかった!
ビジョンの達成には人が見向きされないときもあるが、コツコツと積み重ねが要りますね。
各自が示された、心に重荷を負ったことを日々。コツコツとの積み重ねが大切かと思いませんか? 聖書の言葉を実生活の中で適応するにもコツコツと訓練されますね。
訓練されると神が言わんとしていることも謎解きの回答のように、神様はヒントを与えて下さるのではないだろうか!?
「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」エレミア 1:11〜12
希望は父なる神の救いと御子キリストとりなしから生まれる信仰=強い信頼だと思う。
よく言われる愛と希望と信仰を心に刻んでいます。
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