クリスチャンは神の家族です。

家族とは?同じ親の血により、遺伝子を受け継いだ者達を家族と言います。
クリスチャンは、キリストの血により家族となりました。

 Twitter、FACEBOOKで白血病の躁病していたキリストに在る姉妹のために、癒しの回復を 特に危篤状態に陥ってからは、私の呼びかけには、癒しの助けの祈りを受けました。本当に感謝します。6名のドナー登録者も与えられた。皆様の愛に心からの感謝を申し上げます。

 最初は主に在る姉妹と闘病する姉妹のことをブログで紹介していました。 その彼女が、幼い頃に父親を別れていたので、私が親身に成りメールなどで、信仰のこと、癒しや聖書の理解、祈り方、闘病する為のアドバイスをしている間に、、彼女は、私を父親のように感じて、ある日。面会中に、医師に対して『私の父です。』と紹介。驚いた医師を見て、あわてて、『父のような方、牧師先生です。』と紹介された。

 やはりそう言われると嬉しいです。私には家族はいませんし、より一層身近になり、肉親的な感情も備わりました。多数のメールのやりとりには、彼女の甘えや泣き事も素直にぶつけてきていました。わたしもそれらのメールに応じて、父親としても叱咤激励、牧師として祈りをしながら、キリストの福音、聖書の理解方法などの指針を伝えてきました。

 Twitter、FACEBOOKでは危篤の時に、キリストにある姉妹から、キリストの娘に代わり、次第に、「単に娘が危篤です。」と気持ちが付いてきて呼びかけました。また『貴方の娘さんの癒やし、回復を祈ります。』沢山のメールをもらいました。実の娘と勘違いもされたと思います。

 娘は闘病には負けましたが、信仰には勝利しました。今は天にてキリストの胸に、その懐に抱かれていると思います。娘、富士子のために祈ってくださったことを、厚く御礼申し上げます。

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 今も彼女の笑顔が焼き付いて会いたいです。これが父親の心かな?私の妻は癌で亡くなり、子供がいませんので、本当の親の気持ちは分かりませんが・・ 亡くなった富士子が与えてくれた事が大きいです。

 
 

 中学生の頃に、初めて教会に行きました。

 教会では、誰々兄弟とか、誰々姉妹とか呼び合っていたことに不思議に思いました。前記にも書いたピッカリン宣教師が責任を持つ30名から50名の小さな教会でした。

帰校する途中に毎日立ち寄り、宿題を教えてもらい、賛美歌の練習をしたり、ワイワイと教会の案内、トラクトを配りに出かけたり教会がリビングでした。


 年配のクリスチャンもよく仕事帰りに立ち寄ってから自宅に帰る教会でした。ですから聖書のことの質疑応答をうけました。宣教師夫人が作るケーキ、当時は魅力的な珍しいおやつでした。食事も頂きました。

 余りに帰宅が遅いので、親からは『、その教会に住んでしまえ!』と叱られるほどでした。何々のお兄ちゃん、お姉ちゃんと心の底から呼べ程、肉親に近い感覚にも成りました。 今思えば、ピッカリン宣教師の考え方の影響を受けています。 宣教師は優しくもあり厳しくもあり、ふざけ過ぎたら叱るときには真剣でした=怖かった!わらい!そのしかり方、私達の扱い方は、実の子供達と変わりなかったです。一人、一人の人格を認めてくれました。

 それは、協会内で、誰々さんの代わりの兄弟姉妹と呼び合う事とは、ひと味違った者でした。
富士子のために祈れば祈るほど、そのときの協会内の感覚も蘇りました。


 ユダヤ人の一人の婦人に対して、攻めているパリサイ人には、アブラハムの娘、アダムの子とも呼ぶ聖書箇所もあります。 私達は、ユダヤ人では無いですが、キリストの流された血によって、一つの成りつながっているのです。 亡くなった富士子のために、多くの人、クリスチャンが祈ってくださり、心を合わせてくださった事も、主キリストに在る家族の大きな恵みです。

 神に在りて本当に感謝します。

 人間関係が希薄になった今時、兄弟、姉妹と心から呼び合える教会が良いな〜!!思うように再度記憶を帯起こしています。 いつも特定の人のために・・ ネットでカウセリングしている方々を祈りつつけていると、特に若い人には、本気で向き合い、時には叱りますね。

 牧師としては、余り感情移入はいけないとも思いつつも・・ 親子兄弟の健全な関係の感情ですね。時々協会内で傷付いてと嘆く方もままいます。 本当の肉親の兄弟であれば、次第に何で喧嘩をしたか忘れて当たり前に、普通に生活をしていけると思います。 そんな教会を形成したいですね。