昨日、久々に富山の義兄から電話がありました。

声を聴くと、心のどこかで緊張が解けてゆきますね。そして、兄からの国なまりに釣られて、私も富山弁が出てきます。今年の富山は大雪だそうです。それもそうですね。滅多に降らない雪が、神戸でも積もったのですからね。

            画像は雪の富山城雪の富山城 




 屋根の雪下ろし路面の雪かきで、毎日。奮闘しているそうです。雪下ろしは晴れた日でないと危ないです。滑り落ちてケガや時には、雪に埋もれて死亡する方もいます。


 富山は豪雪地帯です。一晩に50cm〜1m降ることは珍しくないです。雪になれているとは言え、大変です。神戸に変わって雪の苦労はなくなりましたけれど・・
 


   

               屋根の雪下ろし
電話をかけてきた兄は、亡き妻の兄です。妻が亡くなって30年以上過ぎています。直接の血のつながりはなくても、私が心から『兄チャン』と呼べる雄一の人です。妻が亡くなった後も、寂しくなった私の心支え続けてくれています。妻の葬儀の時に、一緒に泣いてくださり、心の痛みと悲しみを共有してくださったときから、素直に義兄のことを『安ちゃん』と呼べるようになりました。

 私が海外生活をして留守の間も、私の母の面倒も何かと見てくれました。母が大変恐縮しつつ喜んでいたことを思い出します。妻が亡くなってしまうと普通は縁がなくなると言いますか、そこまで見てくれる人はいませんね。

 一般的には、妻が亡くなると、自然消滅する親戚付き合いが多い中で、兄の心からの思いやりに随分と励まされてきました。
                 
                 富山市内の路面電車   
           雪.の路面電車

 私がが、少し疎遠になりかけたかな?と思う頃には、いつも義兄から電話をかけてくれます。私が遠慮して立ち寄らないと、いつも義兄、義姉から連絡をしてくれていました。私は神戸に移転後には懐かしい故郷の味を 奥さん義姉の手作り郷土料理の昆布締めなどを宅急便にして送り届けてくれたいました。

 義姉の細やかな配慮にも感謝していますね。妻が病気の時、自宅療養している間に、私が仕事で不在の時には、義姉が良く妻を面倒見てくれました。妻からの遺言で、私は妻に贈ったエメラルドの結婚指輪を差し上げました。高額だったので、結婚したときには買えなかった数年かかってかった指輪です。妻の誕生石がエメラルドー幸せな妻という宝石言葉に心が動いて、数年かかって買いました。

その兄から 昨日。電話がありました。{どうしたのだろうかな?」と思いました。


五箇山12

 兄も『電話することに迷ったが!?』と前置きして話してきました。義姉が直腸癌になったそうです。それは、私の妻と同じ病名でした。義姉の闘病生活のことを聞かされて、ついつい。私も妻の事も重なってしまいついつい、泣いてしまいました。心ゆるる義兄の前だから、安心感と痛みがわかり、兄の声を聞きながら泣けてしまいました。奥さんのことと妻のことが重なりました。


 妻の時、33年前に比べては、現代は医療も発達しています。でも人の心や不安には変わりないですね。

今は癌の転移が無く落ち着いているそうです。富山に帰り見舞いにと思いましたが慌てて行くと、かって不安を奥さんに与える気がするので・・良くないとかで、雪が溶けたら行こうと思います。

 今は私が出来る癒しの祈りを捧げています。奥さんの 義姉の癌が広がらずに癒される事を信じて、キリストに祈っています。