あなたの親族が亡くなり
キリスト教で葬儀をしないとき。如何ななさっておられますか?
私の母が亡くなった時、洗礼を受けたのだからて兄に伝えてたら、 母の、この葬儀は俺たちの別れ方だから仏式ですると、、終われば お前な教会に行けば良いだろ!?」と、。「アッそうだ!葬儀は生きている人たちの為に有る!」と思いました。兄が喪主している間は、お前はクリスチャンだから焼香はしないのだろうが、見て居れば良いと、片隅に座っていました。
遺体焼却前にお別れの時には、母には頬ずけした後、日ごと伝えていたクリスチャンライフ =信仰と生き方を話していました。
遺体の焼却後、母に洗礼を授けて下さった牧師のところに行きました。
瀧元明牧師から 教会のロビーで、祝福のお祈りを受けました。 遺骨は両親 妻と一緒に富山にある墓に眠っています。
その後、兄が亡くなり、やはり葬儀には出席、片隅に座って焼香はしなくてもいいと兄の息子からの理解をもらいました。 亡くなる前に兄は信じる意志を示しましたが 、仏式でするとは言いませんでした。信じる意志を示しただけ十分でした。
クリスチャンだから仏式 焼香をしない!と急に言い出す、言い張るだけでは理解され無いと思います。
普段からさりげなく キリストの神と他の神々との違いを説明しておくこと。強引では無く謙って。。クリスチャンライフの一環を説明と理解を求めておく必要性はあるとおもいませんか!?
私にはエキュメカルな考えは出来ないからです。
エキュメニズムの説明 リンククリック → エキュメカルとは!?
キリストの教派を超えた理解と協調性は 多少理解しますが、他宗教をけなすことはしません。どんな信仰を持たない、否定する方々よりは尊敬、敬意を持ちます。宗教的な争いを起こさない努力、相互理解を求め明日事は必要です。 {宗教に限らず、不理解な人々、過激派などはどんな社会にも居ますけれど}
かと言って仏教 神道、イスラムやヒンズー教の神々を拝む 礼拝する事は出来ないし、彼らの神を拝むことは、私には出来ないからです。
尊敬すると思い、また語って 仏式 神道などの式に参加して、その神々に礼拝することを私は避けています。
イスラエル人、ユダヤの国で神殿にアシュラ像やバアルの像を安置したマナセ王{その他の王も}が居ます。
神は喜ばれませんでした。結果的に主キリスト 父なる神を敬い尊敬し礼拝しなかった王たちの国は滅びました。
葬儀に出て焼香 、信者での柏手にたいして、キリスト教の中でも、その線引きを曖昧にしている教派がありますけれど・・あなたの神殿に、父なる神、主キリスト 聖霊を持ち込むような気がしてなりません。 私には・・。
クリスチャンの1人として、信仰的な教理だからと、一方的な拒否をしたり、葬儀でキリスト以外を拝んだり、キリストを知らない人々から嫌悪感を持たれる前に、クリスチャンライフの一部を善意を持って 好意的に理解して頂けるように 普段からの証しが 大切かと思います。
他宗教を尊敬するからと その流儀にも従いません。
何故かと申しますと、私は海外でイスラム教を信じていた方の葬儀に出ました。
私がクリスチャンだと知っていましたので、イスラム式葬儀礼拝をしなくても良いと語って下さいました。
遺体を埋めるまで見送りしましたけれど、イスラムの人は過激派ばかりでは無いのです。
各自が持つ宗教に対しての尊敬がありますから、強要しません。
無神論者を否定しますが、信仰を持っている人は尊敬されています。
多の宗教を尊敬するからとその流儀 焼香 柏手礼拝をするのとは違う気がします。
一部 FACEBOOKに投稿した記事を ブログ投稿しました。