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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:神と愛


テロと政治と信仰の利用に反対しています。 

 先日。アルジェリアのテロで知人だった神父様が殺害されて事を、このブログで書きました。
それをご覧になったある夫人からFAXが届きました。 その方は、大阪で、映画「神の男達」 この事件を題材の映画もご覧になっておられました。

コメントでは、私が訳した聖歌の意味に 感銘を受けたことと、『あなたが、それらを理解できる年齢に達したのですね。』と書いてありました。確かに若い時には理解し難い奥深い聖書の意味と真実が在ります。 

それらの聖歌をもう1度。掲載しようかと思い立ちました。 
原語はフランス語ですが、それを記載しないで、訳した物だけを記載します。

下記の動画は、迫り来る死を迎える中で歌われています。多少 聞き辛いです。
神に全てを委ねることが出来る事は素晴らしいことです。 死に至るまで従順で在ることが
時には求められます。 その覚悟も必要です。


 

O Pere des lumieres,  天の父の光

 すべての光、永遠の輝きの根源、
あなたは人生の全てをを照らさん
あなたの顔の光。
あなたのためにその輝きの為に暗闇はありません。
あなたのために夜は、日の光のように明確である。

私達の祈りはあなたの前では お香のように立ち上ります。
夜の犠牲として、私たちの祈りの手をあげます。


 

Psaume 142   詩編 142  
 
ダビデのマスキール。彼が洞窟にいたときに。祈り
 142:1 私は【主】に向かい、声をあげて叫びます。声をあげ、【主】にあわれみを請います。
 142:2 私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の苦しみを御前に言い表します。
 142:3 私の霊が私のうちで衰え果てたとき、あなたこそ、私の道を知っておられる方です。私が歩く、その道に、彼らは、私に、わなを仕掛けているのです。
 142:4 私の右のほうに目を注いで、見てください。私を顧みる者もなく、私の逃げる所もなくなり、私のたましいに気を配る者もいません。
 142:5 【主】よ。私はあなたに叫んで、言いました。「あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。
 142:6 私の叫びに耳を留めてください。私はひどく、おとしめられていますから。どうか、私を迫害する者から救い出してください。彼らは私よりも強いのです。
 142:7 私のたましいを、牢獄から連れ出し、私があなたの御名に感謝するようにしてください。正しい者たちが私の回りに集まることでしょう。あなたが私に良くしてくださるからです。」


Cantique de Simeon 
   

 

シメオンの讃美  

 
アッ〜 いま全ての主権者
あなたのしもべは、私の全てを手放します
安心して、あなたの言葉に信頼しますから・・。

私の目には、救いを見たことがある事を確認したために
あなたはすべての人々の存在の下で創造されることを・・

国への啓示のための光とあなたの民イスラエルに栄光を与える。


Voici la nuit   

今ぞ はじまる その夜

 
 無の夜から
始まり愛のほかに存在しない者はない
 生まれ来る愛のほかには砂と水を分かち 神は大地を創られた
 御子を揺りかごとして
 
 今 その夜
 パレスチナの平和な夜 御子のほかに在るものはない
 神の御子のほかには 私たちと同じ肉となり
 神はすべての砂漠を 永遠春の大地になされた
 
 今 その夜

 私たちが歩き続ける長い夜 この場所のほか どこにもない
 
 希望が打ち砕かれた
 しかし この場所のほかには
 私たちの家々に立ち止まる。
 
  神は大地をご準備なされた
 天の炎が放たれるシバとして・・

PUISQU’IL EST AVEC NOUS




暴力の時にも主は私たちと共にあるから、あらゆる所に主を・・
 夢見るのはやめよう 私たちが死ぬ所の他にはない。

 忍耐をあの御方へ向けよう 苦しむ御方の元へ行こう
 十字架の上で印を示された主の元へ
 
  復活の日の暁のように、私たちと共にあるから
 あの御方を見失うことはない流れ落ちる血とパンを分かち合おう。アーメン


  NOUS NE SAVONS PAS TON MYSTERE”
私達は神の不思議を知らない。 この動画は直接映画とは関係ないですが、背景に聖歌が歌われています。
 
 


私たちは主の神秘を知らない
  限りなき愛を

 しかし 主は御心をもって
 道に迷った子らを探される
 
 そして 御胸に抱かれる
 この厄介な私達をご自身の子として
 
 限りある人の世で
 私たちは主の御顔を見ない
  限りなき愛を
 
 しかし 主は御目をもって
 虐げられた人々のために涙を流される
 
  私たちの上に
 光あふれる
 眼差しを投げられる  赦しに満ちた眼差しを


 
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 昨日はバイトも休日でした。

 
年賀状を頂いていた方を。訪ねました。8年前に、カナダでホームステイした方の妹さんです。
その妹さんのご主人が肺がんになったので、癒しを祈って欲しいとのカナダから依頼を受けて、お訪ねした始まりでした。

お目にかかったときには、肺がんの末期でした。一ヶ月は持たないと医師からの説明でした。
もう少し早く出会っていたならば・・・・と正直に思いました。未だキリストを知らなかったので、癒しの祈りの許可と聖書の救いの説明をしました。

毎日は行けなかったので、毎週。一度訪ねて祈りました。祈りを重ねて、一ヶ月は持たないと言われていたのですが、一時退院が出来る程に成りました。その後。神様は、1年延命なさいました。奥さんの話では、聖書を毎日、読み、私が書いていた祈りの手ほどきの言葉を、自分の言葉に置き換えて祈っておられたそうです。

私が洗礼を勧めて、キリストの御名によって病床洗礼を行いました。亡くなってから7年。時の流れは早いですね。 ご主人が亡くなってから娘さんの処に身を寄せておられたのですが、昨年と今年年賀状を頂きましたので、伝道をかねて訪問しました。

IMG_0630イースターの頃に墓前で祈ることを約束して帰路につきました。

訪ねる途中、神戸住吉にある四川と言う名の中華料理店で、ランチをいただきました。台湾酢豚(一般的な甘酢あんが無いタイプ)と蟹あんかけチャーハンを頂きました。



IMG_0626

昨日は全国的にも冷え込みましたね。
六甲山頂には、初冠雪がありました。寒いはずです。
幸い私の住まいも六甲山系の西に在りますけれど、雪では無く雨でしたね。

Twitterもしましたが、芦屋川では無くて、住吉川と言うことが
正しくて、此処に訂正申し上げます。

下記が、その画像です。

六甲の冠雪0627

昨日は成人式でしたね。
和服姿の男女を見かけましたがけれど
色合わせや他にもは変だな?と思う着こなしも見かけました。

これでは和服が泣くよな〜何て余計な事も考えたりする着こなしに洋服でも良いのにと
おもいました。

帰り道に映画を見ました。
Les Miserables   哀れな人々 を見ました。
http://www.lesmiserables-movie.jp/

原作は、ああ無情=ですね。
僕はフランスでは映画とイギリスでは舞台を観に行きました。
語学の勉強を兼ねていましたけれどね。

テーマの歌I Dreamed a Dream 夢破れて にはやはり感動します。

未だ30歳代の若いときでしたけれど、歳を重ねて見ると また違いましたね。

未だフランス語が自由に理解できていなかったからでしょうけれど・・

映画が日本語字幕だから会話や歌の意味が、また物語の背景が好く理解できたからでもあります。
隣に座って居た夫人も泣いたのかな?目頭を拭っていました。僕も涙が出ました。
人生のこもごもと・・若かった頃の頃の夢 破れている部分にも・・・
共通する感情の部分がありましたからね。
また観に行きたい映画でした。

お奨めですね。

人を許し愛するならば、神はその方の側に居られる。
映画の中の台詞にも感動。

神にあっては夢を見続けるならば、必ず叶うことも
聖書には書かれていますね。
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