神が認めてくださる信仰、義とは一体なんだろうか?
アブラハムが見上げた同じ場所で{現在のイラク-ユーフラテス河のほとり、駐在員中だった頃に見上げた砂漠の星空は日本よりよく見える星の数が多い!)
アブラハムが見上げた同じ場所で{現在のイラク-ユーフラテス河のほとり、駐在員中だった頃に見上げた砂漠の星空は日本よりよく見える星の数が多い!)
それで私は思ったよね。
聖書にはアブラハムをテントからわざわざ引き出す神が描かれている。そして彼、アブラハムは満天の星を見上げさせて、神はひと言伝えてました。
その言葉を彼アブラハムはそのまま受け入れ信じた!
神からはアブラハムに対して わずか数歩の行動と考え方を義と認めてくださいました.
「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」創世記 15: 6
罪とか。善行とか 悔い改めとか 信仰義認や神学.条件や教理教派の違いなどなどは 神はアブラハムに認めた 義の中には言われなかった❗️
あなたのテントから出て、神のおられる所に歩み出ることも大事だよね。天幕ーテントとは私たちが持つの自己の抜け出しにくい殻だと思うけどな〜!?
暗黒の砂漠にはサソリ他の危険な動物など、その他にも危険が一杯あるけれど・・踏み出そうと考えることが大切じゃないのかな〜。