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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:痴呆症

賜物は教会の徳を高めるために。(セッションNo2)

私の賜物の活用。 癒やしの祈りの出発点。

教会で賜物を活用するために。求めるには、聖霊様の助け、歓迎することを避けては通れないのです。

最初に、私は賜物をと言う意識からでは無く、母の癒やしを求めたことからが始まりました。
母は、アルツハイマー型、痴呆症の記憶喪失に成り廃人同様でした。当時の私の牧師に癒やしの祈りを依頼しました。1度は病院に来て頂きました際に、牧師は私にこの様に告げました。「お母さんはもう死んでいる。」と一言。
( 癒やしのメッセージは余りなさらない牧師先生でした。)

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この一言が他人任せに祈ったら駄目だと、私の心に火を付けました。
そこで、自ら色々の癒やしに関するあらゆる文献を調べました。またそれまでは読んだことの無いクリスチャン関係の本屋雑誌を読み始めました。 過去の自分は余り聖書も読まず、牧師のメッセージ後もそのまま。噛み砕くこと、再度、聖書を調べることもしていませんでした。

キリスト教書店で、癒やし関係の本が沢山出版されていたことのも驚きました。牧師から聞いた事が無かったからです。出筆者にもお目通りをしたいと願いました。パソコンの普及していない頃でした。クリスチャン新聞の告知欄から、主筆者のセミナー開催を知って出かけるようになりました。
使途行伝時代で終わったのでは無く、現代においても、賜物が在り各自に当てられて意分野が在る事をも知りました。(所属していた教会では、使途の時代の特徴として教えられていましたからです。)

信仰のセミターで、母のこと伝えたときに、牧師からは
使途 16:31「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と個人的に祈られたときに、この聖書のことはを引用されました。

使途 16:31
の言葉が、まるで、神が耳元で囁いたかのように。私の心でインパクト在る生きた言葉と変わりました。まさに神のロゴスからレーマに変わりました。普段方知っていた言葉が、牧師先生から、私のために祈られたときに使用された言葉がレーマのようになりました。

ロゴスとレーマは同じ聖書の言葉です。

微妙な違いはより親密に、生きた言葉として心に入って来た言葉とも言いましょうか?日本語に訳すと同じ言葉となります。過去形 ロゴス。現在形 レーマの使用の違いです。
聖書を読んだり聞いたりしたときに、聖書の言葉が、格別心に残るときがありませんか?強いて言うならそのことがレーマと表現するば場合もあります。しかし元々は過去形表現と現在形表現の違いですけれど・・ 
深い意味合いの含みを持たせないで、聖書の言葉の意味をダイレクトに受け取れば良いと思います。
適当に開いた聖書から・・そんなレーマは無意味に近いです。

ローマ10:9〜10 ぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

第一コリント12;3 また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。

母は食べる事、息子の私の顔も分からない状態で、信じた証しの告白、母はそれが出来ませんでした。
全く現実的には、絶望的でした。「御心なら癒やされ、救われるように。洗礼が受けられるように。御心なら癒やされますように。と祈りました。

 格別の変化の無い月日は流れました。半分はあきらめの気持が多かったです。 ただそのように祈る時、かすかな反応、私の声にかすかに反応しているかのように思えたときもありました。意識が無くても霊は生きていると母と楽しかったときの話しを語りかけてはいましたが・・。
 
ある日、この言葉は目にとまりました。 

マルコ 9:21 ー 24 イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。」

マルコ 9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」

 また、ヨハネ 19:28 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。

イエス様が関せ町、完成した居るのだと再認識して悔い改めました。大胆に祈ろうと 御願いしようと決意しました。御言葉に従って、3日断食をしました。 そして3日後に病院に出向きますと、看護師さんとたちが私の顔を見るなり、『大変なのよ』と声を掛けてきました。病室に入ると母は正座して『今まで何処にいっていた?』 一瞬 何が起きたのか分かりませんでした。『エッ?母さん!僕が分かるの?』と言うと 『何言ってるのだ・!?』と怒りました。  まるで、レギオンが出ていった後。 正気に戻ったようにかんじました。

記憶が回復するまで3年半掛かりました。信じて良かったです。
その後 寝たきりで歩けなかった母が、 ある集会で祈られて時に、急に歩けるようにもなりました。使用して居た杖はその時から使わなくなりました。 その後、母は洗礼を受けました。
神に栄光がありますように。

神は信じる者には、その栄光を表すお方だと確信することが出来ました。
 
マルコ 9:23ー 24 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 

末期癌の癒やし 現実的に不可能でも祈り求める姿勢 
 マルコ 9:23ー 24 

知人の奥さんが末期癌で入院したこと知り、お見舞いにいきました。腹水で妊婦のように膨らんでいましたし、あと1週間の命だと、医師からの診断でした。癌の痛みで辛そうでした。ただ神の栄光が現れるように祈りました。
すると、急に笑い出して、私は驚きました。 奥さんは 『 祈られたら急に楽しくなって、身体が熱い。』と全身で笑い始めました。 付き添いしていた友人もビックリ 当然 わたしも・・  私が帰った後も、よく笑っていたようです。 

腹水は注射器で吸い取っていたのですが、その注射無しで、翌朝には全部無くなり、医師が驚いて居たそうです。 余命、1週間だったのが、元気に退院するまでになりました。 退院後に、福音を伝えられてキリストに導かれました。奥さんはクリスチャンでした。 

肺気腫の癒やし。
海外で出会ったクリスチャンの義兄のために祈りを依頼されました。未信者さんでした。この方も余命3ヶ月でした。
聖書の内容、救いを説明し、「キリストに信頼すれば、癒やしもあります。」と伝えましたら快諾されましたので、祈りながら聖書を説明し癒やしを祈りました。 

この時には、エリヤが雨を降らせるために、7度 祈ったこと思い出して、異邦人に対しても恵みを祈りました。

第一列王18:44 七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』

 同じように、末期癌の祈りには1度だけしか祈らなかった事を悔い改める言葉にも成りました。何度も繰り返し恵み、癒やしが在るまで祈ろうと、私が導かれた言葉です。 3度目の訪問で、キリスト信じると告白。5度目に訪問で病床洗礼を受けられました。洗礼を受けた後に、困難と言われていた、肺に溜まっていた水が消え始めてました。
6度目の訪問では、肺に溜まっていた完全に水が消えてました。7度目は迎えること無く、退院をなさいました。余命3ヶ月でしたが、神様は、2年余りの延命をしました。 遠方でしたので頻繁には訪問できませんでしたが、電話で祈り励ましていました。

 歩けない人の為に。
宮古島の教会を紹介されて行きますと 、怪我で1年以上寝たきりの方とで会いました。
キリストの救いと癒やしを説明してから励まして祈りました。「チョット、立ちませんか?」 『いや出来ません。』を繰り返し、聖霊様がその足に触れられるように懇願しました。 暫くしたら、『足が熱い!?』と言われたので確信を持ち、手を持って立たせました。 次第に手を指さなくても、その部屋を歩き始めて、私たちは抱き合って泣きながら神様を讃美感謝しました。

私は癌に
ある日の早朝。腹に激痛が、、。救急車を頼んで緊急入院しました。診断は胆石でした、手術のために更に検査すると胆管周辺に癌が見つかり失望しました。詳細は前記のブログにも書いてあります。
体長を整える数日間を過ごしている間に、神はその癌を消滅させて下さいました。詩編23から得た言葉『喩え死の影を歩むとも災いを恐れません。』を繰り返して神に信頼したいと祈りました。多くの人の加祷によって支えられました。

耳が聞こえない人。
神学校卒業後、クリスチャン新聞、リバイバル新聞に癒やしの働きを告知されました。
在る教会員が、それを見て個人的な依頼してきました。けれど教会に属しておられるならば、一旦、牧師と相談してから返事を御願いしました。受け入れられて、その教会出向き、礼拝メッセージ後に、全員に祈りました。 最初に新聞を見て、依頼してきたかたは 耳が聞こえるようになりました。

            

 
祝福の大きさは 教会の徳を高めるためです。個人的に引き受けていたら、教会全体の喜び、益にはならなかったと思います。耳が聞こえて、その教会全体が神の力と祝福を受け取りました。 

この事を知るまでには、反面教師の例もありました。 個人的に依頼されてノコノコ出向きましたら、その依頼者の牧師先生と病室で鉢合わせをした事があります。依頼者は、私が来る事を、牧師先生は伝えてはいませんでした。
その牧師先生とは心合わせて祈り事が出来ましたけれど、違和感が残りました。
何故だろうと色々考えながら祈りますと、霊的な領域を越えてはいけないこと 。霊的にわきまえること。聖霊は紳士的で在ることから、賜物は教会を通して働き、熱心に求める者に与えられることを再認識。聖書から教えられました。(前記のブログを参照してください。)

癒やし他の祈りは、神の栄光を表すやめに。治るとき、治らないときが在りますように。第一には人間側のベストなタイミングでは無く、神に取って最も栄光を表すときに答え叶えられます。

賜物は求める人が、感心持つ領域に働きます。
霊的な賜物、タラント性があります。預言など霊的な者 音楽、教師はタラント性に別れます。
此処のタラントが・・霊の賜物が個人的な物では無く、教会のためにあるのです。個々の賜物がつながって教会を立ち上げます。 賜物を用い個人のために喜ばせるものではありません。

ローマ 15:3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。
第一コリント 12:31 あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。

私は母の痴呆症から関心を持ち、癒やしを特に祈り始めました。祈り求めていく中。色々経験し学びました。
教会に仕えたいと、癒やしの集会の依頼を受けています。分け合って教会から離れた人の為にも祈っています。癒やしとカウンセリングをいたします。

 遠方の方には按手したハンカチ、手ぬぐいをお送りします。長血の病の女性目がイエス様のことに触れたならば・・ パウとの前掛けに触れたなら ・・その信仰から癒やされた例から・・遠方にはチョクチョクは出かけられない事情もありましtた。ハンカチに手を置いて願い込めて祈り送ったところ、目が見えるとか、心臓病がよく成ったなどの報告を聞いています。

祈りのハンカチは、按手の意味をご理解になれない方には、カウセリング後にご理解後にお贈りしています。

ご依頼は、このブログのメール欄から、またはfacebook 小栗龍男からのアクセスを御願いいたします。

癒やしは 十字架の上で亡くなって身代わりに成られるときに主は言われました。

「完了した!」 
ヨハ 19:28 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。ここでの完了はイザヤ書「打たれた傷によって癒やされた」を意味します。

イザヤ 53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。


するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。
マルコ 9:23ー 24 このイエス様の言葉を何処まで現実として受け取っているかが問われます。

マルコ 9:23ー 24 この意味できるものかでは無く、御心が癒やしことです。 最大の癒やしは永遠の命だと言う事も認識して頂きたいです。 重い病気でも癒やされる。そのまま無くなったとしても永遠の癒やしがあります。出来るか?出来ないかはイエスさまは、私たちに問いかけています。重い尿器でも最後の最後まで諦めないこと。 癒やしは病人本人よりは、神の栄光のため出ることを認識して頂きたいです。その神の栄光が現れるためです。


主に信頼、その人は必ず守られること知って下さい。箴言29:25

処に書き切れない癒やしを見せて下さり経験させいた来ました
神様に感謝します。読んで下さった方が、神の御名を崇められますように。 

癒やしにリアルな関心を持って頂けると嬉しいです。
神学校で学んでいた頃に、治療費が払えずに、途中で終わっていた歯に、あるとき被り物が新しく出来ました。ある牧師に祈って頂いていたときです。信じられるかな? 

一時、この様な事が起きました。今ないのは、神様に聞いてみないとね。求める人が居ないからでしょうね。わたしに強い信仰が有ったとはおもえません! 子供の様に、あの人が経験したと聞いていた歯の癒しが欲しいと小さい願いを持ちました。ただそれだけでしたよ。

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  口の中が熱いなと思っていたら 新しいかぶりものができていました
17年が過ぎました。

          このブログをご覧下さり感謝します。 祝福を祈ります。

 
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 昨日の予定通りに大阪に・・

映画「ふうけもん」を見に出かけました。 ふうけもん=佐賀県の言葉で馬鹿者の意味があるそうです。
友人がやくざの息子だったことから 、その家業を手伝うようになりました。
その裏には、親子の断絶から家を飛び出していた事が後で分かりました。
荒れた生活の中で、キリストの福音に触れて、クリスチャンに成られました右近さんです。

余り話すと映画の楽しみが半減しますから・・
しかし現代抱えている、家庭問題 断絶。意見の相違様々な問題に踏み込んでもいましたし。その解決、和解にも触れていて、笑ったり 泣いたり 感動したりでした。

俳優陣も良い俳優ばかりですね。

主人公 右近さんには中村雅俊が演じていました。奥さん役には浅野ゆう子さん。他には中村玉緒、竹中隼人 藤村俊二 竹脇無我 哀川翔 錚々たる名優が出ていて驚きました。

都をどり 茶席0002

夫婦 親子の絆 友情 信頼 引きこもりからの脱却、現代が抱えている問題にも、キリストから教えられている隣人愛 色々のことを取りあ使いながら、問題と和解を一つの光としての方法などが盛り込まれていました 。 便利屋さんとして難題な依頼を誠意を持って受けて解決する泣き笑いも盛り込まれていました。

痴呆症がすすんで、我が子、娘の顔を忘れている母親役には、中村玉緒さんが演じて つい涙しました。 私の母も段々と記憶が無くなり、認知症になっていった経過が在ります。
幸いにも、3年あまり諦めずに祈り続けたある日。それも突然、記憶が戻りました。

キリストの愛に立ち返った私。深くささえ指導して下さった牧師先生方の御顔が浮かび上がりました。 中々 一片通りの祈りで癒やして下さいとは言えても、・・一歩踏み込んだ癒やしの祈りを、祈る決心が出来ませんでしたが。御霊様の助けが在りました。 思い出しては感謝の涙でした。 映画の物語にも単純に泣き、笑えました。

映画終了後に、監督の栗山富夫さんが舞台挨拶をなさいました。釣り馬鹿一代の監督さんでしたから、上手い撮影編集でしたね。 
 栗田富夫監督
右近さん舞台挨拶

富田監督は 右近さんの事を フォレストガンプのような方だと評しておられました。
女性プロデューサーの金さんと右近さんも舞台挨拶 南海キャンディズのしずちゃんも 明日明後日は舞台挨拶に上がるそうです。
関西の方々は是非お出かけ下さい。 大阪城近く ビジネスパークにある 松下IPMホールです。
午前10時開場 10:30上映 午後は14時と18時開場で6日までの予定です。
 

出口挨拶の際に、お願いして記念撮影をさせていただきましたら 快く 受けて下さいました。

右近さんと一緒に
 
午前10からの上映に本当は行きたかったのですが、FACEBOOKの知人とのメールのやりとりやコメントしていて 自宅を出るのが遅れてしまいました。

時間つぶしに 数年ぶりに 大阪城に行きました。 ゴールデンウイークとあって大勢の人で、天守閣に登ることを諦めました。建物自体はコンクリート製ですが、中では歴史に関する展示物が抱負です。 戦国時代の手紙の企画展をしていたので観たかったですね。
 
oosakajyo12
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