渋谷の思い出

 上京した際に、時間があったので、48年ぶりに渋谷に行きました。私が十五歳の時の思い出が渋谷にはありました。。

 田舎から上京して、丸の内のレストランでコックを見習いをした時に毎週通っていた教会は目黒にありました。同郷から東京の大学で学んでいた方がいました。その方が、その目黒の教会に毎週通っていたのです。私も中学を卒業する前に、私は洗礼を受けた教会とは同じ系列の姉妹教会でもありました。
shibuya-hatiko 104 上京して、初めての休日に教会に行くために、右も左も解らないまま、渋谷のハチ公前で待ち合わせをしました。今も昔も待ち合わせスポットですね。


 教会の礼拝が終わり、一緒に渋谷まで帰ろうとしましたが、彼は来週の教会奉仕の打ち合わせがありましたので、私は一足先に一人で帰路につきました。初めての東京の休日を渋谷駅付近で過ごしていました。いかにも田舎者、お上りさんに見えたことでしょう。交差点で、都会の雑踏に覆われて、ボ〜としていたのでしょうね。信号が変わったとたんに、後ろから体当たりされ、はっと気がつくと財布がスリに盗られていました。寮までの帰る電車賃も擦られ、途方に暮れました。

 路上で「神様助けてください。」とっさに祈りました。ふと心の中に「彼がいるよ。」と思いがわいてきました。しかし彼が、いつどこから来るのかも解りません。解っていたのは、彼と教会に行くために一緒に乗った電車が東武東横線でした。私は上京して初めての休みが真っ暗になりました。

 初めての渋谷での休日を過ごしている間に、彼は帰ったかもしれません。会社や彼の電話番号も控えずに出来てきていました。もちろん携帯もない時代です。

 彼がJR、地下鉄に乗り換えるのか?また東横線のどこの出口から出てくるのかも解りません。乗客も一日に何十万人と乗り換えする渋谷駅です。「彼に会えるように。寮まで帰る為の電車賃が、彼から借りられるように」と祷りながら半ば当てもないのです。けれど祷りながら待ちました。

 財布が擦られてと気がついてから、約4時間程が過ぎました。午後8時頃になって半ばあきらめ始めた頃。最初は緊張しながら、彼と一緒に入った改札口見つめていたのですけれど、祷りの思いが途切れてきて、半ばあきらめ掛けて、・・この改札ではないのではとか?よそ見もしはじめていた頃に、

 急に声を掛けられ、私の名前を呼ばれたのです。なんとそこには彼が立っていたのです。何十万分の一の確率の出会いが、大勢の乗客の、広い大都会の中で、たった一人との出会いが、神様の哀れみで実現したのです。 

 聖書 詩編 146:5 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。       ローマ書 9:33 それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

 この世に中には何故?と思えることが多いですね。まさかスリに遭うなんて思いもしていませんでした。思わぬ災難でした。信仰を持ってから初めての事でした。神様に助けを求めて・・実体験として、神の助けを期待する者には、神は助け手を送ってくださることを実体験したのが、この出来事です。渋谷の駅に降り立ちこのことを再び思い出して、神に感謝しました。

shibura-ranti 106 さすがに渋谷のあの四八年前とは様変わり。変わっていないのは、ハチ公前が待ち合わせスポットくらいです。センター街と言われる物さえなかった?時代の追憶です。道玄坂あたりを散策しましたが、面影はなく、町並みもパリのような風情が無く、看板やビルもケバケバしい感じでした。
道玄坂で、ふと見つけたステーキ定食830円の食事をして帰りました。

電車に乗ってから、クリスマスイルミネーションをみたいと思い立って表参道で下車しました。しかし並木道の装飾には時期が早かったです。有名ブランド店が軒を並べる町並みに変わっていました。昔のこと言えば笑われますが、下町の風情が残る町並みだった記憶があります。表参道半ばに、表参道ヒルズのショッピングモールがありました。 カナダ、トロントのビクトリアモールにも似た感じでした。中に入るとスバロスキークリスタルが飾られたツリーが点灯していて綺麗でしたね。傘を持たずに、上京していたので、小降りになるまで雨宿りをして過ごしました。
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