孫文記念館 明石大橋に行きました。

友人を連れ立って,神戸垂木アジュール舞子海岸まで行きました。明石大橋の袂には孫文記念館が在ります。近年の中国人観光ブームで来場者も増えているようです。参照、Wikipedia  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8この近くにはアジュール舞子の海水浴場がオープンしています。どちらかというと須磨海岸に比べて家族連れが多いです。 着用した男の着物は、黒字に井の形をした綿の絣の着物です。角帯は白生の麻織りの絽です。下着に半襟付の半襦袢を合わせると,単の着物としても着られるが柄を選んでいます。浴衣としても当然着られます。最近は,何とか男子という言葉に合わせて, 浴衣男子という言葉もあるようですね。

明石大橋下孫文記念館前
 幼い時には母の手作りの着物が好きでした。 結婚した時には妻が沢山を着物作ってくれました。短い10年間の結婚生活でした。ですが40年前の着物を今でも着ています。

 

明石大橋 井字絣 結婚当初から33歳、海外生活を始めるまでは、毎日のような着物を着ていました。当時も着物着る男性が少なくなりかけていましたね。又、着物の着始め<幼い時も簡単な着物でしたけど。。>二〇歳でしたので,珍しがられもしましたね。  着物の着始めは、浴衣から始めると着慣れして良いですね。



グレーに白色縦縞の小地谷着物 

私も着物に着慣れないときには,体系的に下腹が出ていないので,角帯が擦り上がってきました。晒しを腹に巻いていたときもあります。その晒しに小さくたたんだ手ぬぐいを挟んで,仮の下腹を作っていたときもあります。妻から、歩き方も注意されたことがあります。今は、着慣れたので、腹巻きは余りしなくなりました。後ろから注意してくれる妻も亡くなってしまい・・。  所で。男の着物は、腰で着るとも言われます。角帯の締める位置に気を付けています。

 また、私の後ろを歩いていた妻から『背筋が伸びていないよ!』と・・背筋を伸ばして,腹から歩く感じだと,男の着物姿は凛として見える。右手のグレーの生地に白の縦縞、小地谷縮みなど着るときには下着も透けるので,麻、もしくは綿紅梅の下着をつけます。ステテコでも良いですが、町中では透けてみてるのが好きではないです。長襦袢または裾よけ(麻の腰巻きも下半身だけですから楽で涼しい。!)


有松絞り 上半身 男の着物では、夏には外出着としては,麻の上布などがあります。小地谷縮み、能登上布、夏塩沢が有名です。浴衣は一般的には夕方からですね。と言っても近所くらいの買い物程度にはいつも浴衣を着ています。左の画像は、有松総絞りです。絞りが,肌にサラサラ感を与え着心地が良いです。帯も総絞り。この絞りの技術を継承者が少なくなり年々高くなっているようですね。透けて見えない着物ですと、着物を肌に直接着ます。風が入り見た目よりはとても涼しいです。


ベージュ綿紅梅 008 左の画像は、ベージュ色の綿紅梅の着物です。 それほど透けては見えませんが,着物を長持ちさせる先人の知恵で腰、尻に当たる部分だけに晒しのいしき当てを縫い付けてあります。帯は・・兵児帯風の縦絞りです。 朝からの外出時には白足袋と襦袢を着ければ,ちょっとした夏の男の着物として涼しく重宝です。麻の腰巻き=裾よけも着けています。

WEBグレイ綿紅梅のコピー


 
 


  左の画像は,グレーの生地の夏塩沢です。サラッとして着心地が良いです。 少しシミを作ってしまい残念ながら普段着としてきています。着物は着た後に、風に当てて,汗からの湿気を飛ばしておくと良い。角帯は献上博多帯です。


着物のたたみ方もあります。 しっかりたたんでおけば、  しわになりにくいです。正式なたたみ方ではなく簡単にたたんでいたので、多少  しわが出来てしまいました。

越中褌作り母や妻が健在なときには、半襟のつけ代えを初めとして肌襦袢、越中褌まで全て手作でした。専門店で買う、頼むと結構な値段が取られます。日本手拭いに細紐を縫い付けて、久し振りに越中褌を作りました。着物の下着としては、着崩れしにくい。用足しが楽。私が結婚した頃に、後ろを歩いていた妻から注意をされました。洋物の下着(ブリーフ)線が見えるとかで、それから、妻が手作りをしてくれました。五〇歳を過ぎて着物を再び着始めた頃に、『着物好きな人には、愛用者が多い。』とかで?呉服屋さんでも奨められていましたが、買うと結構な値段が付けられていました。急に思い立って針を持ちました。今時、古い感じですが、変わり者?でも涼しくて楽ですね。笑い・・