先日。明石市の美術館に行きました

 放浪の画家 山下清展を見に行きました。山下清展NO1



館内は大勢の人でした。その人気が分かります。この明石美術家には、2度目です。初めて来館はピカソ展でした。
この館の企画が良いですね。この場所は明石城の一角にあります。明石城の堀




この日はとても暑い日でした。大勢の人が来ているために駐車場が満杯で、少し離れたところ。図書館に車を止め五〜八分歩きました。途中の堀には沢山の亀が甲羅干しをしていましたよ。私自身は、今年も海での甲羅干しはしていません。頼み込んでの2週間ぶりの休日でした。



堀の亀

友人と一緒に見ようと受付横で待っていましたら、電車に乗り遅れたとかで10分ほど待ちました。入場券を買い求めて見ようとしましたが、本当に混み合っていました。
彼は張り絵が得意分野でした。単に張っただけで無く、色々張り方にも工夫したりしています。ギザギザな感じを出すために切手の淵を利用。こよりで花火の放射状を表現してありました。とても繊細で細かい。

貼り絵以外にも油絵、線画 色々の窯元に出向いたようで、各地の有名な焼き物の絵付けもしています。
ほとんどが自宅で制作。旅先の風景の記憶が残り、それは実際の風景と変わらなかったと記されていた。それでも知的障害者だったとは思えない驚きの記憶力ですね。知的障害にも色々のタイプとレベルがありますけれど・・

彼の代表作と言われる長岡の花火が、修復されていました。彼の作品制作時期のほとんどが戦戦 前戦後間もない頃が多くて紙質が悪かったでしょう。色は年月とともに色あせている作品も多かったですが、それでも彼の心、画風が素敵です。すました絵では無く、身近で親しみのある作風でした。絵の脇には彼の言葉で単純明快なコメントも添え書きされていました。彼の直筆が素敵で綺麗でしたよ。

山下清、長岡の花火



『裸の大将』としてタイトルが付けられて映画やTVドラマで、彼は有名にもなりました。本人と演じた俳優さんのと写真と会話も記されていました。これがおもしろい彼のコメントでした。

彼は独自の道を歩みましたので、所属する画壇団体を持っていませんでした。彼の才能を見いだしたのは、アメリカのタイム誌の記者だったようです。?個人的には確証は無いですけれど・・ 彼の紹介記事を見て思います。

施設を飛び出しては、放浪して軒下でご飯をもらい、(絵を描いて=確証は無いですが?)小銭を貰っていた。
夏には裸で歩き旅したので「裸の大将」と言われるようになったようです。 けれど、その時代的にも、それは普通でしたね。褌一丁で軒下での夕涼み姿を一般の人たちの姿をしていた時代。良くてもステテコ姿が多かった時代でしたから。祖父も越中褌一丁に半天姿で野良仕事していた夏の記憶が残っています。

 沢山の絵を見て素敵な時間を過ごせました。知能障害があっても、教え方や環境から素晴らしい物 才能を生み出したり人生が送れるのだと改めて思いました。

 彼は若くして50歳代で病死をしています。惜しいですね。今。存命ならば80歳代ですね。もっと素敵な作品が見られただろうに・・

 例によって記念撮影を、彼に撮して頂きました。午後、昼食を取りながら、互いの感想を語り合いました。
山下清展・明石美術館前

詳しい彼、山下清の経歴はこちらで・・URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E6%B8%85