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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:悔い改め

こんにちは、「暑いですね!」の 挨拶や

ニュースがいつまで続くのかな?


今日は、室温が正午で29度 湿度72 何ですが、 風が部屋の中を通り過ぎて 体感は素肌には涼しく感じます。クーラー無しでも大丈夫になります。けれど体温のチェックはしています。体感が涼しい、熱さを感じなくても熱中症になるそうです。{水分補給をしていても!!}ご注意下さいね。

 

暑い日が続き、涼しい風が吹いてくるとヨナの事を何故か?思い出します。イラクの砂漠の中。若い頃に、仕事をしました。49-50度になります。夏時間で早朝からの仕事はじめました。


ヨナは神に逆らい逃避行しましたけど、異邦人に神の福音、悔い改めをつたえました。

そのニネベがどうなるかと、丘に登って様子見をしました。

暑さの中で、神は唐胡麻を生えさせ日陰を作ってヨナを慰めました!

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悔い改めたニネベに、神はイスラエルと等しい恵みを与えたことでヨナは思わしく思いませんでした。     

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私たちも「あの人は恵まれた、癒された!なのに私には何も無い!」と不満を言う事が無いでしょうか?

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私たちは罪が許され 永遠に命が与えられたことが最高の恵みがあります。
この事を考え喜ばずして、次の恵みと癒しは中々 難しくなります。

常に 救われたことを心に留めて 常に感謝、賛美の言葉を神に捧げましよう。

あなたが喜ぶ姿を見て 家族や隣人がイエス様の魅力を知るキッカケになります。

例え小さな恵みや癒しが有れば賛美、賛美をすれば 次の大きな祝福に変わります。


ヨナは不満を言います!すると 折角 神が与えた唐胡麻を枯らします。
私たちは、「神よ!何故ですか?」と不満を言っていませんか?

神は人智を超えた計画をお持ちなのです。


今は祝福されていないと感じても 癒やしが無いくても大丈夫ですよ。
あなたが天国に国籍があることを喜ぶ姿を見て、神は次の大きな祝福 恵みと癒しを与えますよ!


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写真はイラクに有ったヨナの墓、モスクでした!ISに破壊されました!残念ですね。



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神はあなたを心配して

あなたの側に、あなたの所まで来て下る。 そのようになるまで祈りませんか?
!祈っても答えられない? 豊かな祝福を受けられない? 祈っても癒されない? 祈っても恵まれない! 誰かと意見の相違 仲違い 喧嘩した! ある時には無視された!あるいは就活、はたまた結婚が上手くいかない。

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根気よく、しぶとく神と向き合えば、必ず 神は、私たちのところに来てくださる。
そんな事を希望して、また諦めず 希望を捨てずに祈っています。どうしても 祝福されたい 達成したいことがあって祈り続けています。

ヤコブは将来的不安、殺されらるかも知れない、家族との離別! ヤコブは絶望の淵から祈り始めました。その真剣さにいつもと違うぞ!?と神はヤコブの様子を心配して天から下りて来た 。すると彼、ヤコブは神を掴んで 離しませんでした。
そのような状態下の賛美の 動画です。

私自身もっと真剣に神と向き合おうと・・祈り込まなくてはと悔い改めた日です。・・普通に 常識的に 神を知る事と違う事! 普段通り習慣的に祈る事とは 何かが違う日がありませんか? 

神は実際に、あなたの前に現れて、神の意志や 祝福をして新しい導きを示すときがあります。ヤコブだけが特別では無く、私たちも神の目から貴重な存在です。
けれど、、この日のヤコブは何かが違う祈りをしたのです。
これを探求して、実際に神の声を聞いて 祝福を受ける事が出来る希望を持っています。

どうぞ 動画を ご覧ください。
          

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原罪と宿業の質問。

 ある方の質問に答えて・・。
********************

 こんにちは。御元気ですか?  私たちの主イエス キリストの御名を賛美します。
メール有り難うございます。 ただ返事が送れてすみませんでした。

現在の私の近況は、ブログをご覧になっておられるとは思いますが「ミカエル小栗の心の旅路}や YouTubeで讃美の動画を作り、依頼されてカウセリング、癒やしの祈りに出かけたりしています。

ブログでは癒やしに関する事をシリーズで書いて、No1~36になりました。 母以外にもアルツハイマー病 脳梗塞の言語障害の方が癒やされたり、心臓弁膜症の方が癒やされたりしています.当然ながらあなたのことは一日たりとも忘れずに祈っていますよ。

 あなたからの質問の原罪のことですので間違ったことも言えませんから聖書を再度調べました。
そのために返事が送れました。 

十字架を信じた私たちには、罪に定められることはありません。あなたの質問の先祖が犯して罪。この報いは4世代まで影響することは書かれています。
                 
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出エジプト
34:6 主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、
 34:7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」と書いてあります。

これは旧約の時代の頃です。キリストが十字架にかかった現代では先祖の罪の影響を深く考えなくて良いのです。?

ただ霊的に考えると、主の恵みの千代に影響とは?
。 
神学的と言うよりは私個人の考えです。 キリシタン大名の高山右近をご存じでしょうか? その子孫の血が、私の家系 小栗家の血に混ざっていて、私が救われた?と思う事があるからです。

大げさでは無く、私は高山右近の直系では無いです。直系の方は石川県の能登に折られます。
中学生の頃に、私が洗礼を受けました.その時、父は反対でしたが、祖父赦しました。「能登のキリシタンの家系から数代前に嫁にいているから、ま〜それも良いじゃろ」といったのです。 その頃 高山右近のことは知りませんでした。

名も無く弾圧されて亡くなった多くのキリシタンの人々。その流された犠牲の血が、今日のクリスチャンにつながっていると思っても不思議では無いのではと思います。

先祖の犯した罪どうなのでしょう?

 何らかの遺伝子に影響していると思います。罪を犯しやすい性質とか?病気になりやすい体質とか?
極端でもありますが、十字架にかかったとき、ユダヤ人達はその血の責任を負うと公言してしまいました。
ある神学者は、その責任が、第二次世界大戦のドイツナチスによるユダヤ人の虐殺につながったと主張していますけれど、罪の責任が四代で消滅することから、この主張は当てはまりません。

何があっても、キリストの十字架の購いの血.その力が全ての罪からの影響。体質。遺伝子に勝ると信じます。

あなたの質問の影響ですが、罪に関しては個人々の問題です。罪、原罪の影響を払拭するするにしてもしなくても、原罪はアダムから、私たちが受け継いでいますから、私たちが個人としての悔い改めが必要になります。

仏教でいる宿業(輪廻、前の人生の生まれ変わりの影響)という考え方もキリストの中にはありません。何を持って宿業というのでしょうか?

例えば経済的な富があれば良いという現代社会とは真逆ですが、山頂の垂訓にもありように、「心貧しい人は幸いです。」など逆転の発想からしても基本的にはありません。 個々のタラント個性を活かすことからの差は確かに生じますけれど、それを宿業とは言えないと思います。

1度、信じたから、大きな罪を犯したら、十字架の救いは取り消しになると言う事は無いのです。それは下記の聖書の言葉からです。

ローマ
8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
 8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
 
信じたのち。罪を犯したと思うのであれば、その都度。悔い改めなくてはいけません。
サウル王とダビデの違いがあります。 ダビデは姦淫の罪を犯しましたが、しっかり悔い改めました。
「私から聖霊 あなたの霊を取り去らないで下さい。」と悔い改めました。
赦されてソロモンが生まれました。サウル王は大きな罪の悔い改めをしなかったのではないでしょうか?

詩 34:18 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。

詩 51:10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
 51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。

下記に聖書から抜粋した言葉を書きました。

信仰によって救われる事が大前提です。 弱い私たちではありますが、罪を繰り返さないように、聖霊の助け、導きを必要としている私たちでもあります。信仰と行いのバランスが大切かと思います。

下記の聖書の言葉も参考にして下さい。
                        
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ローマ
7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
 7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
 7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
 7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
 7:25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
 8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
 8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
 8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
 8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
 8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
 8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

ヘブル
6:3 神がお許しになるならば、私たちはそうすべきです。
 6:4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
 6:5 神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、
 6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

ヘブル
9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

ヘブル
9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
 9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

ヤコブ
2:13 あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。


ヤコブ
2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
 2:24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。


マタイ 6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

マタイ
12:7 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。


マタイ12:37 あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」マタ 12:31 だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。


マルコ 3:29 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。

ヨハネ
8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕


ローマ
 3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

ローマ
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
 3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
 3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

ローマ
5:21 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。


ローマ
 6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
 6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです


キリストへの信頼 信仰が、私たちの希望です。あなたの祝福を祈っています。
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人生の挫折感と知らなかった罪。

何故.妻が30歳で亡くなったのか?答えが見いさせないまま、33歳頃に、海外で働くチャンスが巡ってきました。アブラハムの生まれ育ったイラクでの調理の仕事でした。妻を失った悲しみを仕事で紛らわすにはちょうど良かったです。アブラハムの生き方にも強い関心があり、また聖書に登場するパウロ他などが訪ねたにも、行ってみったい気持は洗礼を受けたときから温存していました。
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それが33歳の頃に実現しました。仕事の内容は駐在員の3度の食事作りでした。 仕事の合間を見ては、メソポタミアの遺跡にも訪ねるチャンスがありました。上記の写真は、アブラハムの生まれた街、ウルの遺跡です。18歳頃に出会って宣教師からは「あなたは将来、両親から離れて外国に行くようになるでしょう。」と言われていました。その時には現実味が持てませんでしたが、振り返ると祝福の預言だったのでは?と思いました。

バビロンの遺跡に行くこと、聖書の世界が広がっている喜びと、その反面、心の疑問が解決しないままでした。
妻は信じると言ったけれど、諸事情から延び延びになって洗礼が受けていませんでした。教会の奉仕などは、普通に妻はしていました。 けれど、妻が亡くなった時には、教会の葬儀が出来ませんでした。やもえず、仏式で・・これが1番悲しくて・・そして許せない思いが強く残ったままでした。

そんなある夜 砂漠に出て、この長く胸に残っていた疑問の答え無い不満を、改めて問いました。
その日の夕暮れに、その場所から火の柱が登ることが気になって出かけたのです。
祈っても直接、神の答えは私たちの耳には聞こえません。しかし、頭を下げて祈っていると、突然。濃厚な臨在感を感じました。懐に抱かれる暖かさでもあり、また砂漠の真ん中、人がいないところですから恐怖感も同時にありました。 いつの間にか、5〜6時間。気を失ったと思います。

その間に神様への悔い改めに導かれました。色々の時に、神さまはこれ以上に私が悪くならないように導いていたことを理解出来ました。


                 
 

聖書の言葉としても、下記の言葉を、私の記憶の中に語りかけられました。 
イザヤ59:2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

人はいつもどこかで、自分が正しいと思いがちです。
私たちが憎んだ人、許せない人も、神様から見たら等しく愛されて許されている人たちだと言うことを 気がつきました。この罪に付いては誰も教えてもらえず、神様が指摘するまでは気がつきませんでした。神様との大きな仕切りは、人を憎んで許さないことでは無いでしょうか?
 また神様に対しても疑問を抱いたまま許せない無い事、神を恨むことは罪でした。 

ローマ2:1 ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。

ローマ3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
 3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
 3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
ルカ 6:41 あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。

神に愛されるために、用いられるために。癒やされるためには罪の悔い改めは教会では度々言われています。 クリスチャンになったとしても、神に愛されて、用いられる.癒やされるためにも、赦しの告白宣言は必要だと思います。
用いられることも、認められること以上に、神の子らしく歩むためにも 神が望まれる生き方をしたいと思うようになりました。

12弟子の一人。ヨハネは弟子の中で1番愛されたと自負し告白しています。単純に、そのような告白が出来るように、私たちもキリスト様から愛されたいですね。そのためにも、光の子供らしくなりたいと思いませんか?

「光の子供らしく歩みなさい。」エペソ。5:8

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 突然の手紙で驚きました。

仙台刑務所で殺人罪で服役中の男性からの手紙でした。
その刑務所は、若林区で津波の被害が大きかったところですが、幸いにも刑務所には津波が来なかったようです。

 その方はある女性の勧めで、クリスチャンになりました。彼の信仰と物質的なサポートしていたクリスチャン女性が津波で亡くなり、私に信仰的なサポート依頼してきました。

 私自身も、そのクリスチャンの姉妹とは面識はありません。ただ。ミクシーだったか?一〜二度メール交換した記憶があります。ミカエル・ミニストリーの問い合わせでした。服役中の彼からは、彼女から私の事を紹介されたと手紙には書いてありました。津波で亡くなった姉妹の祝を祈らずにはいられませんね。

彼を助ける人がいなくなり、私の依頼をしてきました。主イエスの名前によって・・それは断ることの出来ないお名前ですね。
仙台刑務所

彼が希望する信仰書と言っても専門書とも言える解説書です。解説書も良いですが、時には著者の入れ込み、思い込みを紛れ込むので・・要注意が要ります。

聖書を理解するには聖霊の助けが要りますね。それは聖書は聖霊によって書かれたからです。文脈を読み取り、書かれた色々の背景を知らないといけないですね。 彼に聖霊を事。聖霊のバブテスマのこと聞きましたら、知らないとのことでした。

新約聖書 使途行伝
19:2 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。
19:3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。
19:4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。
19:5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
19:6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。


手紙を出してきた、受刑者の彼も、その一人でした。
解説書よりは、聖霊の本を。。また主の祈りの、私の解説体験記と本を数冊送りました。 これから東北は寒くなるので、ヒートテックの下着を送りました。

 彼の恋人がレイプされました、そして自殺。その怒りを抑えることが出来なくて・・恋人をレイプした相手を殺してしまったそうです。いかなる事でも人を怒りにまかせて殺すことは、神の意志に反します。彼は悔い改めています。

彼とは違い、人の手を通じて合法殺人もあります。よくある事ですが、殺人罪として刑が決まった時の多くのコメントは『私の思いが通じて嬉しい!あいつは死んだ方が良い。浮かばれる』等々 直接 手を下さないが、確かに心では殺人をしています。これは殺人罪というのは、神の定めです。

規則。

先月と今月。2度に渡って郵送、差し入れのために送った本と下着が送り返されてきました。下着は彼が必要な物リストの中にとして 数度手紙で書いてありました。それで送りました。

しかしそれらが送り返されてきました。非常に残念ですね。

 刑務官からの書状=説明書によれば、受刑者には細かな規則があります。差し入れの本は一日、一冊です。私以外に誰から先に送っていたら、彼、受刑者は受け取れないのです。
他の日用品。下着などには決められた業者が在り、そこから購入した物で無いと、差し入れが出来ないそうです。

このことには疑問??ですね。小さな官民癒着みたい気がしました。決まりは決まりで仕方が無いと言えばそうになりますけれど・・ 指定業者は仙台市内にあります。たぶん刑務所の近くだと思いますが・・?
私が仙台に行って指定業者に出向かないと差し入れが出来ない仕組みです。これには疑問ですね。直接面会しないといけないような感じ・・行きたいけれど・・資金不足です。

せっかくの信仰書も送り返されてきました。 彼からは事前に、日本図書目録、出版会社から発行されていないトラクト類は、カウントされないと事前に手紙に書いてありましたが、全部返送されてきました。次回からは、返送品も、着払いになると説明書に書いてありました。彼から聞いていた説明と食い違いがあります。

手紙や品物は刑務官の事前 チェックはあります。彼の手紙の文面も先に確認されてから、私の処に届くはずなのですが?・

 私の思いが通じないので残念ですね。それにしても・・仙台の刑務所は厳しいのだろうか?
鹿児島の刑務所に本を送ったときには、本の制限のことは聞かなかったし、返送されてこなかった・嗜好品は破棄したとの連絡がありましたけれど、<理由は所内で争いを避ける(食べ物の恨みは怖い。)ためだそうでした。各刑務所での対応が違う気もしています。こちら、鹿児島刑務所の人は殺人では無いです。

 刑務所は狭い世界です。人権が守られるように願います。社会に出て受け入れられずに、またわざと罪を犯して戻る人もいます。彼は刑を終えて、社会復帰を願っています。彼の上に、主イエスの守りをいのりつつ。

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