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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:怒り

あらゆる願いをする前に、

自分の罪の告白と、神の許しを受けることは必要だと思いませんか!?

私の母親の救いを祈る前、母親に対応した 教会に属した方を 中々 許せませんでした。

一度。見舞いに来て言われたことから怒りがありました。
「お母さんはもう死んだ状態だ!」と  救いと癒やしの為に祈りもしてくれませんでした。

確かに母はアルツハイマー病 記憶喪失から植物人間状態だけど、、{1990年代。医師もアルツハイマー病のことは詳しく知らない時期。介護の為に、拘束バンドをする事とが当たり前の時でした。見るも無残な姿の母でした。私は癒やしは聖書に書いて有っても実際には解らない状態でした。}
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私は母を見舞いにはに来てくれたけれど、癒やしのために祈ってくれない!?その方に怒り心頭に💢 なりました。

怒りをコントロールすることが聖書に書かれているけどね、中々 出来ない自分が居ました!

完全じゃないけど、複雑な私の心の内を 神に打ち明け 未完ながらも 許す決心を告白しました。何故なら下記の言葉を聖書から読んだからです。

マルコ 11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」

母の救いを癒やしの為に、私が当てにしていた方が祈ってくれないならば、『どうすれば善いのでしょうか?』と神様に問いかけていると、前記、マルコの11:25が心に染み込みました。

憎んだ人。己を苦しめた人。悲しみに追い込んだ人、自分の存在を認めない人、その他の原因で、私たちを追い込んだ人を許すことは私たちは並大抵ではありませんね。
けれど、初めの赦しが完全じゃ無くても、赦し始める告白をしましたら、後は 聖霊が助けて下さいました!

初めの一歩は全ての告白からです。

後から実行、実践が伴うように聖霊の助けがありました。
神の御言葉からの励みとなり目標となりました。
 エペソ4:26 〜27怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。

私たちは些細なことが、重大なことだと思い始めて怒り許せなくなりますが、神様は私たちは怒る許せないと思える人の為にも、十字架に掛かられ救いの道を開かれているのですね。
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そのように思い始めて、辛いけれど 中々 実行しがたいけれど許す決心をしました。
すると聖霊は動いて下さリ、母の認知症が癒やされたとしか思えないのです。
ヤコブ1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。

初めのうちは 、神様には「あなたが望まれるから その人を許す決心をします!」 と告白しましたら、 神様は 助けて下さいました。 徐々に 聖霊の導きでしょうか! 心、精神的負担が癒されました。 怒りを忘れる事も出来るようになりました。 知恵として距離を置く・・残念でもあったけれど、その教会を離れました。 毎回 顔を見ないので、イライラ 不愉快な思いは、見たときにはしないで済みます。神から促された知恵でしたね。

その後 癒やしの付いての聖書の言葉と文献や 色々の集会、セミナーに沢山 参加して癒やしと赦しについて学びました。

ある日、決心して、聖書に書かれているように、母の癒やしのために断食して祈りました。
神の義が母の救いに導く為に、身体と心の癒やし アルツハイマー病原因の認知症、記憶喪失からさえも癒やされ 洗礼を受ける程 回復して 聖霊の満たし 異言で祈るようにさえ成りました。

 そして今日の私がいます。 また不完全ですが 赦しを心かけ ただで受けた癒やしを、私に依頼なさる方の為に祈っています。

 許すことは 祈りに応えて頂く 神様の条件の一つのような気がします。
初めのうちは 、神様には「あなたが望まれるから その人を許す決心をします!」 と告白しましたら、 神様は 助けて下さいました。 徐々に 聖霊の導きでしょうか! 心、精神的負担が癒されました。 怒りを忘れる事も出来るようになりました。人が不完全ですが 許そうとする決心を = (実際に許すことは並大抵ではありませんね!)= 聖霊の助けがあります。


 何処へでも出掛けます。
救われることが、身体の癒しよりも最優先課題です。
救われるために、例えは、母のように重度な病状下で有っても神様に期待しています。
最後の瞬間迄さえも希望を捨てないのです。
それは下記の御言葉が保証しているからです。

使 16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。
私たち信仰が 期待が救いに 癒やしに導きます。神は個人的な対応をなさいます。

このブログを読んで下さった方々の祝福を 救いを祈ります。

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 人には感情があります。

動物にも感情表現とも言える季語哀楽の行動もあります。

しかし、人の感情には言葉をを伴う豊かな表現が出来ます。この感情のために、人は悩み、傷つきます。これは動物には無いと思います。

天地創造の神は、神の性質に似せて、人を、アダムを創られました。神には豊かな感情をお持ちです。それを人にも与えられました。神と交わる喜びを持つためです。
サタンにだまされて誘惑を受けて、罪が人に来たときに、怒りや哀しみの感情が、その犯した罪の結果、人にやってきました。

ねたみが、カインに来たときに、カインは自分がしたことよりも、ねたみと怒りが弟アベルに向かって、コントロールが出来なくなって仕舞い、弟アベルを殺すほどでした。
                                  カインとアベル

また『キリストは怒っても、その怒りを、その晩の内に整理しなさい。翌日まで持ち越さないように。』と、言われています。どの様に怒りを管理整理するかは、赦し以外にはないです。

私たちも神に許されたように、ひとを許す事が出来るように、祈るのです。

許した事による祝福は、後になって、私達を幸せにします。

キリストの言葉は重要です。神も怒りの感情をお持ちです。その怒りの頂点が、最後の審判です。

しかし、パリサイ派を、キリストに屈辱を与えた人々を十字架の上で許されました。
許す事は、難しいです。私達に怒りを与えた人、その人を神は赦し愛しています。
神が既に赦し愛しておられるのに、私達自身が許さ無いのは変では無いでしょうか?


ローマ 書12:19  「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

感情や欲望に対して ローマ書 13:14  主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。

怒りをコントロールしないことは、

ヤコブ書 1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
1:22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。


怒り続ける最後は殺意です。 けれど殺意は同時に、本人にも死がもたらされますので、注意深く、怒りをコントロールしなくてはいけないです。
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 刑務所からの手紙を前記で書きましたが・・

 手紙をくれた彼は初犯で殺人でした。 殺された家族を思うとその家族には怒りもあるでしょうね。 
けれど殺された人は、彼の彼女ー結婚を誓い合った中だったそうですが・・レイプされて自殺をしてしまいました。
彼はその怒りを、殺人という形で報いました。 しかし殺人は殺人。日本国の法律では許されないし、神の国でも許されないことです。

アゲハチョウ1
彼は長期間、刑務所で刑に服しつつ過ごす結果となりました。死刑で無かったことは良かったです。

聖書では人類初の殺人、カインの話が書かれています。
創世記
4:8 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
4:9 【主】はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
4:11 今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
4:12 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」
4:13 カインは【主】に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。
4:14 ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」
4:15 【主】は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで【主】は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。


神は最初は、アダムの裏切り、罪に対しても、地上の命に限りを付けました。救いの道を設けて、その救いが来ることを信じるように申しつけられましました。カインの弟殺しにも、死が控えるようになさいました。けれど、すぐに殺人に対しては死を持っての報いを与えませんでした。カインの額に印を付けて、アダムとエバから生まれる人々から遠ざけました。

 日本の国では殺人罪には、死刑が適用されることが多いです。死刑が合法されることには、私が疑問を持ちます。
判決で、死刑を喜ぶこと。「死刑になって報われる。」とかのよく聞くコメント・・しかし・・これでは、心の中で・・人の手を借りて 人の命を。。神さえもすぐに取り上げなかった命を合法という手段で取り去る結果となるからです。心の中の殺人罪を犯すことになる結果となります。

あなたは日本の死刑に対してはどの様に思われますか?
世界中でも死刑を合法としている国は少ない。 どの様な形であれ、死刑とは人が尊と言われる命そのものを強制的に取り去る結果となります。
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