あらゆる願いをする前に、
自分の罪の告白と、神の許しを受けることは必要だと思いませんか!?
私の母親の救いを祈る前、母親に対応した 教会に属した方を 中々 許せませんでした。
一度。見舞いに来て言われたことから怒りがありました。
「お母さんはもう死んだ状態だ!」と 救いと癒やしの為に祈りもしてくれませんでした。
確かに母はアルツハイマー病 記憶喪失から植物人間状態だけど、、{1990年代。医師もアルツハイマー病のことは詳しく知らない時期。介護の為に、拘束バンドをする事とが当たり前の時でした。見るも無残な姿の母でした。私は癒やしは聖書に書いて有っても実際には解らない状態でした。}
自分の罪の告白と、神の許しを受けることは必要だと思いませんか!?
私の母親の救いを祈る前、母親に対応した 教会に属した方を 中々 許せませんでした。
一度。見舞いに来て言われたことから怒りがありました。
「お母さんはもう死んだ状態だ!」と 救いと癒やしの為に祈りもしてくれませんでした。
確かに母はアルツハイマー病 記憶喪失から植物人間状態だけど、、{1990年代。医師もアルツハイマー病のことは詳しく知らない時期。介護の為に、拘束バンドをする事とが当たり前の時でした。見るも無残な姿の母でした。私は癒やしは聖書に書いて有っても実際には解らない状態でした。}
怒りをコントロールすることが聖書に書かれているけどね、中々 出来ない自分が居ました!
完全じゃないけど、複雑な私の心の内を 神に打ち明け 未完ながらも 許す決心を告白しました。何故なら下記の言葉を聖書から読んだからです。
完全じゃないけど、複雑な私の心の内を 神に打ち明け 未完ながらも 許す決心を告白しました。何故なら下記の言葉を聖書から読んだからです。
マルコ 11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
母の救いを癒やしの為に、私が当てにしていた方が祈ってくれないならば、『どうすれば善いのでしょうか?』と神様に問いかけていると、前記、マルコの11:25が心に染み込みました。
憎んだ人。己を苦しめた人。悲しみに追い込んだ人、自分の存在を認めない人、その他の原因で、私たちを追い込んだ人を許すことは私たちは並大抵ではありませんね。
けれど、初めの赦しが完全じゃ無くても、赦し始める告白をしましたら、後は 聖霊が助けて下さいました!
初めの一歩は全ての告白からです。
後から実行、実践が伴うように聖霊の助けがありました。
神の御言葉からの励みとなり目標となりました。
エペソ4:26 〜27怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。
私たちは些細なことが、重大なことだと思い始めて怒り許せなくなりますが、神様は私たちは怒る許せないと思える人の為にも、十字架に掛かられ救いの道を開かれているのですね。
そのように思い始めて、辛いけれど 中々 実行しがたいけれど許す決心をしました。
すると聖霊は動いて下さリ、母の認知症が癒やされたとしか思えないのです。
ヤコブ1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
初めのうちは 、神様には「あなたが望まれるから その人を許す決心をします!」 と告白しましたら、 神様は 助けて下さいました。 徐々に 聖霊の導きでしょうか! 心、精神的負担が癒されました。 怒りを忘れる事も出来るようになりました。 知恵として距離を置く・・残念でもあったけれど、その教会を離れました。 毎回 顔を見ないので、イライラ 不愉快な思いは、見たときにはしないで済みます。神から促された知恵でしたね。
そのように思い始めて、辛いけれど 中々 実行しがたいけれど許す決心をしました。
すると聖霊は動いて下さリ、母の認知症が癒やされたとしか思えないのです。
ヤコブ1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
初めのうちは 、神様には「あなたが望まれるから その人を許す決心をします!」 と告白しましたら、 神様は 助けて下さいました。 徐々に 聖霊の導きでしょうか! 心、精神的負担が癒されました。 怒りを忘れる事も出来るようになりました。 知恵として距離を置く・・残念でもあったけれど、その教会を離れました。 毎回 顔を見ないので、イライラ 不愉快な思いは、見たときにはしないで済みます。神から促された知恵でしたね。
その後 癒やしの付いての聖書の言葉と文献や 色々の集会、セミナーに沢山 参加して癒やしと赦しについて学びました。
ある日、決心して、聖書に書かれているように、母の癒やしのために断食して祈りました。
神の義が母の救いに導く為に、身体と心の癒やし アルツハイマー病原因の認知症、記憶喪失からさえも癒やされ 洗礼を受ける程 回復して 聖霊の満たし 異言で祈るようにさえ成りました。
そして今日の私がいます。 また不完全ですが 赦しを心かけ ただで受けた癒やしを、私に依頼なさる方の為に祈っています。
許すことは 祈りに応えて頂く 神様の条件の一つのような気がします。
初めのうちは 、神様には「あなたが望まれるから その人を許す決心をします!」 と告白しましたら、 神様は 助けて下さいました。 徐々に 聖霊の導きでしょうか! 心、精神的負担が癒されました。 怒りを忘れる事も出来るようになりました。人が不完全ですが 許そうとする決心を = (実際に許すことは並大抵ではありませんね!)= 聖霊の助けがあります。
何処へでも出掛けます。
救われることが、身体の癒しよりも最優先課題です。
救われるために、例えは、母のように重度な病状下で有っても神様に期待しています。
最後の瞬間迄さえも希望を捨てないのです。
それは下記の御言葉が保証しているからです。
使 16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。
私たち信仰が 期待が救いに 癒やしに導きます。神は個人的な対応をなさいます。このブログを読んで下さった方々の祝福を 救いを祈ります。
*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます。
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