神と出会うためには、その福音を語る教える、人の助けが必要です

その背後には,聖霊の働き、導きがあります。その導き、助けが,神から来た助けであるか?見極める事も,敏感であることも大切です。
神の助けはあっても,それが何時なのかは多くの場合は事前に告げられることは少ないです。

この点で,敏感だったのは,アブラハムでは無いでしょうか?何時 神からの現実的な知らせが来るのか分かりませんでした。 けれど 固く信じて,その日を首を長くして待っていたと思います。神ご自身が約束したとしても,あなたが確信し,義と認められても実行するのは神です。
漠然と信じても駄目では無いのかな?確信し待つこと,注意深く神の到来を待つことではないだろうか?
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創 18:2 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。
 18:3 そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。
 18:4 少しばかりの水を持って来させますから、あなたがたの足を洗い、この木の下でお休みください。
 
注意深く 何年も待つことも並み大抵では無いですが・・。うっかりしていたら,神の恵み、知らせも目の前を通り過ぎる可能性がありませんか? 神の知らせには敏感でありたいですね。

 もし私たちが,余りこの点で敏感では無い場合。私たちの隣人から神の助けを受ける事があります。
 決して強制はしない、謙遜な助けであり、その助けは私たちを神に導く聖霊様の助けと酷似している場合が多いです。私たちの信仰を助けてくれる助け 助言者 です。

若きサウルに仕えていた僕(しもべ) 彼の部下です。 
 第一サムエル記 9:4 そこで、彼らはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、見つからなかった。さらに彼らはシャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いたが、見つからなかった。
 9:5 彼らがツフの地に来たとき、サウルは連れの若い者に言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのことを心配するといけないから。」
 9:6 すると、彼は言った。「待ってください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへまいりましょう。たぶん、私たちの行くべき道を教えてくれるでしょう。」
サウルは 
彼の従者の助けで,サムエルに合う事が出来ました。神はそのことを事前に告げていました。
従者の信仰が,彼を導きました。{従者が 銀を献げようとした事を、サウルは拒否しています。此処に神への献身度合いが見え隠れしていませんか? 8節}

またこれと似たケールが ナーマン将軍と従者の話が聖書に書かれています 。従者の話を聞き入れて、ナーマン将軍は 神の癒やしを受けて 神と出会いました。

第2列王
5:3 その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。」

第2 列王 5:10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」
 5:11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。
 5:12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。
 5:13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
 5:14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。

 私たちを助ける隣人 助言者<また聖霊様>を退け 無視できるる事も簡単にできる、私たちです。 エリシャは,ナーマン将軍の最初に期待していた答えとは違ったこと伝えて、彼ナーマンは怒ってしまいました。 でも神の力を知っていた従者の忠告を聞き入れて 癒やされ神に出会いました。
 
私たちは案外よこうありたいと 最初に祈っていた答えとは無いでしょうか ?最初に神が違う答えを出されたら、それでも謙遜になって従えますか? 私たちは謙遜に,静かに語りかける 聖霊の助けには素直になって聞き従える心の余裕を持ちたいです。 如何でしょうか?

神様に祈って,叶えられない!?何故?理解に苦しむことも案外多いのでは?
身近なクリスチャン同士 教会内の人間関係・・ けれど その背後に 神が本当にあなたに,特別に知って欲しいと願って試練、訓練を与えています。赦しの心を育てる、非難ばかりでは無く,共に祈る心を育てる。。その結果。癒やされる、救われる等々・・

真意を知らず,表面的な現れだけで 言葉が不適当かも知れませんが,食わず嫌い頭越しに否定する方がおられます。特定の教団教理に対して・・
万が一、これがナーマンに示されたことと似ていたら・・?喰わず
嫌い頭越しに 否定している人には、聖霊様からの恵みが遠くなる気がしませんか? 

お互いに許し合い,切磋琢磨し合い 父なる神に近づく事 信仰をお互いに高め合う事を望んでおられます。 
ただ注意しなくてはいけない気がすること。
色々の表れがあっても・・預言 異言 癒やし身体に表れる変化 等々 感動したリーダーや説教者 その教会メンバー全体に愛に溢れ、神と人に仕える心、謙遜な心.喜びに溢れて 等があり、神に近づく信仰を燃え立たせ,神の臨在に導くのではあれば 頭ごなしにカルトと呼ぶ,判断は慎重にして頂きたい。 鍵は聖霊のご性質の一つ謙遜に勧めることです。強制的 強要に勧めるのであれば注意かな!?謙遜な助言者の働きは損なわれています。
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独りよがりになってネットで,誰々はカルトと実名の批判の書き込みを見る事。未信者への影響もありますから心が痛い!確かな証拠 間違いを指摘する人たちの連名でネットの批判にも必要ではと思いませんか? 神の御言葉がネットエチケットには必要では・・?
第一 テモ5:19 長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。
聖霊はいつも、控えめ、謙遜な助言者でなんですね。


最後までご覧くださり感謝します。父なる神が豊かに 祝福をなさいますように。