お盆が過ぎてしまいましたが・・

お盆の終わる頃には各地では送り火の灯火がおこなわれます。有名なのは京都の大文字焼き、五山の送り火ですね。 この日。8月16日は、仕事アルバイトの出勤日で4時過ぎまで仕事したが、灯火が午後8時でしたので急いで出かけて見ました。以前にも一度見ていた出町柳に出かけました。電車の駅が近いから便利だからです。出町柳の駅には神戸駅からJRを乗り継いで午後六時頃につきました。

その時にはすでにベストポイントには人々が席取りをしていたのですが、中州の川岸に座り込みました。前回の時には遅く着いたので左岸の隙間でようやく見ました。その時にはフイルムカメラでした。又画像も紛失していたので再度のトライです。
夜 出町柳駅灯火時間が午後八時に、右手文字から順番に灯火され燃えます。それまでの時間は思い思いに過ごしました。一人だと席を確保しても動けないのが欠点ですね。待ちきれない子供達が鴨川で遊んでいました。出町柳の河原

隣に座ったカップルは大阪からでした。差し入らないようにして軽い会話を交わしつつ灯火の時を待ちました。


大阪のカップル



日が落ちる頃になる頃になると、座る処が無いくらいの人、人になってしまいました。ガイドブックでも出町柳は有名ポイントですからね。
大文字の人出自宅でよく見ると知らないうちに男性がピースサインをしていました。笑い!今頃 彼はこの日の思い出を語ってるかな?

時間になり大文字の灯火が始まると一斉に人々は興奮して、『前が見えない、座れ。』と喧嘩腰になってしまいました。私も腰を低くしながら写真を撮りました。

大文字焼き

私は灯火後に数枚の画像を撮ってから上流の葵橋に向かいました。しかし、出町柳の橋の上は人混みで混雑。時間との勝負なのです。実は送り火の灯火は15分から20分ぐらいですからね。
葵橋に向かう途中から、船の形に燃える送り火が見えてきました。
送り火 船三脚を立てて一人自動シャッターですからタイミングが難しいです。

妙と法が見える北山橋まで行こうとしたけれど、あまりにも歩くには距離が在り、交通整理をしていた巡査に聞くと『歩くと遠いですよ。到着した頃には消えていますよ。』と情報を頂きました。その場所は出雲橋の橋詰めでした。
振り返ると出町柳よりも人出が少ない。又 大文字山の形も出町柳から見るより良くて灯火もよく見える。 周りには遮る明かりが無く見やすいですね。出町柳は色々の明かりが多すぎました。
私が巡査に『此所は穴場ですね。人も少なくて良いですね。』と話しかけると頷きながら『来年はこちらに来て下さいね。』と言ってくれました。此所で見るならば、妙と法の送り火が見える北山橋までの近いからです。

帰りは四条河原まで歩きましたが、小一時間は歩いたかな?場所が場所ですから、本物の舞妓さんにも出会いました。今思えば画像を撮れば良かったけれど、連れ合う男性がいましたので差し控えました。河床も21時を過ぎると閉店し始めます。と言っても一席。最低五千円からです。普通は7〜8千円から切りが無いです。
小腹を満たすために回る寿司で小皿数枚を摘み800円程で済ませました。
大文字の夜 先斗町


前日には、私が住んでいる最寄り駅前でも送り火が催されていました。今年の神戸は特に震災のことを思い出す時期ですね。
送り火

思い思いに、祈りをして手を合わせていました。亡くなった家族を尊び思い出すことは素敵ですね。

クリスチャンは、神ご自身をを礼拝します。人は礼拝の対象では無いので、私の亡くなった家族に対しての礼拝行為はしません。けれど、私も思い出して懐かしむ事とはあります。神には亡き家族の天国における安息は祈ります。亡くなった家族には直接。祈らないですね。家族の魂は、神の手にあるのですから、安心してゆだねています。

死んだ家族のことで思い悩む事は無いです。もし悩んだとしたら、家族の魂を自分の手に戻すことになり兼ねません。 亡くなった人に祈ったり、礼拝することから、神の手にゆだねて安息いる魂を、自分の手に戻してはいけないと思います。

 送り火を見ながら。今年の六月に、山で滑落死をした義兄のことを思い出して神に祈りました。送り火も、何かの切っ掛けとなり亡き人に思いを寄せるときにもなることは確かですけれど、だからといって亡くなった家族には祈らないのがクリスチャンのありかただと思います。