安部首相が武器の使用を認めるように、

法律の適用の変化を進めています。

この日本の将来が掛かっています。武器不使用の兵亜憲法が崩れ始めています。

反対派 賛成派 日本には中道派もいます。それぞれの立場から様々な意見が飛び交っています

仲間入り。仲間同士、これがどんな仲間なのか?戦争したい仲間同士、武器を持ちたい仲間同士。反戦の仲間。その立場、仲間の意見でも左右される意見もある。
私たちクリスチャンは、聖書を土台にした考え方、発言。行動が大切です。

聖書の聖書の理解。教会教派によって解釈も様々。聖書に書かれている愛の交わりも限定した教会もあります。
他の教団、教会との人たちとの交流を禁止しています。今時・・この時代で驚きました。

アララテ山トルコ

癒やしの祈りも現代には不必要と考え方の教団もあります。異言の祈りを禁止したり、現代には不必要と宣言している教理教団もあります。
カルト化にも注意が要ります。韓国系のカルト教会が日本に入り込んで来ていますからご注意下さい。教理に関しては自分でご自分でも再度調べて下さい。キリストの弟子達も、キリストが語った旧約聖書の言葉を丹念に調べていました。牧師の言葉を復習するためにも良いです。

、聖書のことを何も知らない。又詳しく教えていなかった80歳を過ぎていた母が、教会で讃美祈りの途中で、突然 聖霊に満たされて異言で祈り、讃美始めたのです。
教理や解釈で否定しても、それ以上に、聖霊は動き、御自身び好む所に御霊の風を吹かせて下さいます。

又何度も伝えていますが、母はこの前には、痴呆の記憶喪失から、回復しています。3年以上。祈り続けて当然の回復でした。癒やしはあります。神の心に添った祈りも必要です。忍耐と希望、愛も必要です。


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神が定めたことがあります。

エデンの園の木の実を食べてはいけない!でも、神の言われたことを分かっていても、守れなくて誘惑に負けた人間アダム・神は男と女が結婚することを決めました、。
でも同性に関心を持ち魅了して、好きになる。いけない事と分かっていても・・ 結婚したいが良い出会いが無くて 性的処理の欲望のために同性と遊び出す。病的にトラウマで異性を愛せない人も中に入るだろう。

同性愛が神の目から見たら、神の本意では無いことは誰でも知っているでしょう。 多くの教会はそれを断罪してきました。有る牧師は、まるで汚い者に触るかのようなコメントもブログなどで見かけました。

神が食べると死ぬと言われたのに・・数河にはしなかった、存在を認めています。同性愛も、カインが犯した殺人も本来は罪を犯した時点で死なないで存在できるわけには、神の忍耐と愛があるのでは無いだろうか?

元々の神の願いから外れてしまった人々を罪人とのするのであれば、誰でもがキリストの十字架の罪の身代わりの死を受け入れるのであれば、救われます。同性愛の人々も・・

断罪してまま 汚い者を見る目つきのままでは。彼らには本当の福音・救いをと溶ける私たちクリスチャン役目は果たせない。

同性愛のまま人生を終える人もいるだろうが、中にはもがき苦しんで止めたいと思う人もいる。そんな人を探して救い出すキリストだと思う。

投稿した同性愛同士の事を含めて、現代の多様性にも通じる聖書の言葉ですね。

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十字架の最後に 左右に貼り付けになっていた罪人の個人的な決心と、その選択責任に成ると思いますが、その時までは教会の窓は開けておいた方が断然良いですね。あらゆる多様性が混在する現代社会。明確にイエス・ノーが書かれていない議論は避けようと思いました。ただ、失われた人を探しに、キリストは十字架に掛かった事だけは、感謝で忘れてはいけないです。神の決めたルールを守れない人々がいて、キリストに出会うならば救われる事を信じます。


『実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。』
        (エペソ5章11節)〜〜12節)

暗やみのわざを行っている人々の、あるいは、暗やみに属する生き方の仲間になることさえあってはならない。『仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい』。
生き方の指導原理は、暗闇に属する人々と交際しないというものであるべきである。
ペテロ第一3章10.11節
『いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえ悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、』『悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。』

「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかっていよ。」――――おびえきった馬のように悪から身を退けよ。―――馬は、風で吹き飛ばされた一枚の白い紙からも突然に身を退ける事がある。突如として、道のもう一方に跳びはねる。(勝れたD.M.ロイドジョンズの表現)それこそ罪について行わなくてはならない事だと使徒は言うのである。

悪に仲間入りせず、むしろ悪から遠ざかり、可能な限り悪から離れているようにしよう。 Tiduko Fujimotoさんの投稿 FACEBOOKの友人の引用している部分があります。