心の花
 今月の6日に友人の葬儀が執り行われました。連絡を受けた日が急でしたので、既に休日を取った職場仲間がいて、彼に連絡が付かず代休を変わってもらえなく、残念ではありましたが、その葬儀には参加できませんでした。葬儀に参加された方からのお話では、賛美歌に包まれ涙もありましたが、どのシーンで起きたのか分かりませんが、彼の功績の語る中でしょうか!?笑いも起きたそうです。葬儀の中で笑いが起きるのはたいそう珍しいですね。

 亡くなった彼は祈りの勇士と言える方でした。いつも日本が救われるように、改革チェンジが起きる様にと祈り続けておられ、私にもそれらの祈りの課題をメールしてくださって、共に祈る動機を与えてくださいました。その方は70歳を超えてもバイタリティー溢れておられ将来の希望やビジョンの豊かな方でした。私のビジョンにも耳を傾けて聞いて下さり祈りを捧げて下さいました。彼は真剣に日本が変わるようにと祈り、実際に行動なさっておられました。『もっともっと、主キリストの栄光と日本の救いが有るように働きたい』が口癖のように、私には話して下さいました。未だ若い70歳代で天国に召されました。

 彼と出会ったのは、FGB(フルゴスペル ビジネスマン=男性キリスト信者が所属教会の枠を乗り越えて交流する場)で私たちは出会いました。将来の希望とビジョンに溢れて語られました。今夢を見ない若者が多いです。夢を見ないときから、老人の粋と言われるのに比べても、彼がキリストを愛して、そのために働きたいと色々な夢を持っておられ行動し溢れる若さも感じていました。

 しかし、志半ばで天国に召されました。色々の方々が見舞い、癒しの祈りを捧げておられました。遅ればせではありましたが、病の痛みと闘っておられる中でしたが、病室で癒しの祈りを捧げました。そのときに、栄光の主の輝きと2人の天使が彼を見守っている光景が見えました。死期が近いのかな!?亡くなっても3日目の朝には復活するのかな!?と思えるような主の栄光が、彼に手を置いて祈るときに見えました。

 人生には自分の思い道理ではなく、突然死が訪れます。彼の場合は癌でした。神癒を期待して、抗がん剤や延命処置は望まれませんでした。彼本来の意志とは違って、志半ばで神様が彼を迎えに訪れました。あれこれと人生の計画、それも神様のためにと思っていても、神は働くよりも永遠の安息と神様との交わりを望まれる場合があります。取り去られた家族や友人等は何故ですか?と疑問が残る場合もあります。
モーゼ−も途中で志や希望より、働くよりは、神はこの世を去り、神との交わりに入ることを望まれました。それらの境目は私たち人間には分からないです。

彼に出会い覚えられて祈られたことを感謝しております。色々の現実問題と戦い、心の弱さとも戦いながらでも、私も神の栄光と日本の救いを思い祈る一人として、彼、祈りの勇士の後に追随したいです。 

十字架と葡萄