年末になると

 喪中葉書が来ます。そのなかでビックリしたのは、母方の親族。従兄弟から、今月、奥さんが亡くなったと知らせを受けました。「葬儀が立て続けに成って連絡が遅れた!」と、電話をかけて知りました。
 早速。お花を贈りましたら再びお礼の電話で話込みました。幼い頃に、河で溺れそうになって、この従兄弟に助けられましたので、現在も命があります。

 従兄弟は、81歳。奥さんの看病を5年間して見送りました。気晴らしに東京でオペラ鑑賞などをしているようです。
 『葬儀に、たっちゃんを(私を)呼ばなくて悪かった。でもたっちゃん(私が)がその道には入り(クリスチャンとして)頑張っているからね。おばさん(私の母)を良く面倒見て、奇跡的な回復(アルツハイマー病記憶喪失)もあったしね。よく その道で頑張ったね。葬儀に来ても困るだろうから、悪いと思いながら遅れたよ。たっちゃんなりに冥福を祈って下さい。』と言われました。

 母が亡くなって葬儀の時には、兄は仏式で『これは俺たちの葬儀だから、おまえはキリスト式で、またやれば良い。』と・・その後 遺骨を抱えて 私が信頼し、母に洗礼を授けて下さった牧師のところに行き、母のために祈って頂きました。

 兄が亡くなって時も、葬儀には参加しても『焼香はしなくても良いよ』と気を遣って貰いました。
兄が亡くなる前にキリストを信じる意思を表していましたが、無理矢理にキリスト式で葬儀をと争わず云わずでした。
同様に他の親戚でも同じです。 
 
 私が中学を卒業する頃に洗礼を受けて、クリスチャンだと云ってきました。クリスチャンとして葬儀の心得も同じように伝えて、仏式の葬儀では焼香しない事を自然として無理なく理解して貰ってきました。 
「悪いけどクリスチャンは、神を、愛しているからそれ以外には礼拝しないのだよ。」と日頃から、『家族を愛し大事に思うけど、キリスト以外に神だ仏となった人を礼拝出来ないから許してください。』と言い争わず一歩下がりながら、その訳も証しをしてきました。

現在。全ての親族全員がクリスチャンにはなっていませんが、日頃の証が大切だと、改めて思いました。
今後も、その道に励みたいです。皆様のご指導と祈りを謹んでお願いいたします。

使徒24:14 しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、 私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部<聖書を>信じています。

 
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