上野にある洋館にも行きました。

上野不忍池から近い、旧岩崎邸の洋館に行きました。偶然立て看板の案内を見つけてのことでした。

建物は洋館・和館・撞球室からなり、洋館部分は1896(明治29)年、三菱財閥の三代目である岩崎久彌(=ひさや 三菱創業者・岩崎彌太郎(やたろう)の長男)が建築家ジョサイア・コンドルに設計させたものだそうです。設計者のコンドル氏は、鹿鳴館(現存せず)やニコライ堂(御茶ノ水)、三井倶楽部(港区)などを設計しました。洋館は木造2階建て、地下室付きです。地下通路は全ての建物につながっていて、使用人がゲストに廊下で出会わないように配慮されていたと、この建物絵御見学後、それも偶然にNHKのブラタモリの番組でも取り上げていたので知りました。tokyo asakusa 099
ルネサンス式やUSAのカントリスタイル(ペンシルバニア地方)日本初のバルコニーが設えてあります。これは後の日本住宅マンションにバルコニーやベランダの原型になったとか 

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上野に行って時間があれば見学しても価値があります。とても広い庭があり、年代を感じさせる樹齢を経た木が伸びています。iwasakitei 096関東大震災には、とても広い庭を避難所として解放されていた事もあります。



戦後のGHQにも摂取されて事もあります。岩崎家個人所有から接収されその後民間に、官庁に。今は東京都の管理下にあります。台東区 上野不忍池通り交差点 湯島交差点からも近いです。区立上野公民館の裏手にあります。

皆さんは、神奈川県大磯町にある社会福祉法人「エリザベス・サンダース・ホーム」をご存じでしょうか?
三菱財閥の当主であった岩崎久弥氏のご令嬢(岩崎弥太郎氏の孫にあたる)は、クリスチャンとなり神奈川県大磯町にある社会福祉法人「エリザベス・サンダース・ホーム」と創立貢献した。澤田廉三外交官夫人であった澤田美喜先生が、戦後、多くの戦災混血孤児を、その生涯をかけて、引取り、そして育て、2,000人以上という孤児の方々を立派に世に送り出された、その拠点となったところです。

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澤田さんは先ず、孤児たちの施設を作る為に、岩崎家が国に物納した大磯の別荘を司令部に掛け合い、当時では大金の400万円で買い戻しました。iwasakitei^sanroom


戦後の財閥解体で岩崎家といえども財産は乏しく、自分の持ち物を処分したり、多くの人たちから膨大な借金をしたり、そのほか寄付を集めたりしてお金を作ったのです。

 <室内のサンルーム>



iwasakitei-kaidanそして、最初に寄付をしてくれた英国人女性、エリザベス・サンダースの名にちなみ、1948年に「エリザベスサンダーズ・ホーム」を創立しました。



<二階に上がるホール>








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<日本伝統をとりいれた豪華な壁装飾>

戦後の財閥解体で岩崎家といえども財産は乏しく、自分の持ち物を処分したり、多くの人たちから膨大な借金をしたり、そのほか寄付を集めたりしてお金を作ったのです。


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 <家族は洋館には住まず、やはり日本家屋、
畳での生活をしたようですね。>





iiwasaki-tei085岩崎家は、薩長の下級武士でした。坂本竜馬などにも関わりがあります。先賢の目で商いをして財閥へと成長しました。『夢は叶う。』を実行した。戦後の財閥解体の歴史で多くの財産も失いましたが、不屈の精神は、今の三菱系の会社にも通じているのでしょう。

大きな庭から、帰り際には、ゲストをもてなす為だけに、建てられたビリヤードをするためだけの立てられた離れがあります。

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この建物の壁を見ると 神戸の洋館、鱗の家を思い出しました。
iwasakitei 088さて。財閥解体の歴史は、現代では形を変えて、大きな財産でなくても相続税に変わっています。時には、個人の築いていた財産が子孫に伝えられないのは変だと思うときがあります。アメリカではない税制だと聞いた記憶があります。その代わりに、大きな収入があれば、色々の施設、教育機関などのスポンサーになる企業が多いです。その分。寄付した物には税金は掛けられないと聞いたことがあります。日本の色々の福祉施設や教会への献金を必要としています。日本の税制で福祉に関わる物には軽減をして欲しいですね。何となく、そんなことをも思いました。
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<神戸の洋館、鱗の家>


iwasakitei 095 <孤児院を創立した澤田さんが座ってかもしれない椅子>




さて、戦後間もない日本では、孤児たちに対する謂れのない偏見や差別には極めて厳しいものがありました。澤田さんや混血孤児たちが外出すると、罵声を浴び、心ない中傷や批難が相次ぎました。しかし、そんな中にあっても、澤田さんは悲しみや優しさ、そして深い愛情をもって孤児たちを守り、並はずれた情熱と強い意思を持って困難に立ち向かい、このホームで述べ2,000人以上の孤児たちを育てたのです。クリスチャンとしても素晴らしい働きをしました。私は彼女を知って、イギリスのジュージ・ミラーと重ねてしまいます。

 1980年78才で澤田さんはスペインのマジョルカ島で亡くなられました。生前、澤田さんはこう言っています。
「私の旅……それは、この子どもたちのために、誰からも何も言われない国、いやな見つめる目のない国、そして、大手を振って歩ける国を求めて歩く……これが私の旅になりました」

 特別な偏見はなくなりつつある日本ですが、アジア人への偏見、韓国人の偏見は未だに高齢者に多いことは悲しいですね。案外と私と同年配の中にも残念ながら多い気がします。

ヤコブ  1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。

ヨハネ 14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

旧岩崎家の洋館内部は現在 撮影禁止でした。資料の中からの転写掲載です。