私の命が消えるかも知れない不安で一杯です。


何故?こんな時に・・

ようやく宣教活動、伝道を始めようとした矢先です。

多くの人の祈りの支え,尊い献金によって神学校を卒業して・・

癌の宣告に不安に倒れそうです。

暗い夜道で,先が見えないのです。
恐れと悔しさで一杯です。

何故こんな時に・・未だこれと行った宣教活動もしていません。
このままガンに負けて死にたくないです。

父なる神よ。あなた絶望的は母の痴呆症 記憶喪失から回復させられました。
しかし・・今日の私にはそれさえも,遠い日のようです。

絶望感に打ちのめされそうです。今まで支援して下さった方々の顔を思い出しもします。
支援したけれど・・彼が死んだのは,御心ではなかったのだ!と言われそうです。

試練の時に,私を呼べと聖書には書いて有るでは無いですか?
今。祈っても,天上に祈りが跳ね返ってきそうです。
絶望感で先が見えないのです。

エリヤが砂漠に逃げたときに、あなたの細い声を声を聞いたと聖書には書いてあります。
ヒゼキア王の命も、あなたが,王に死を宣告後に,お気持ちを変えられましたね。

それは私には無縁なこと?関係の無いことですか?
苦しいです。あなたを疑いたくないのです。
けれど、あなたの無言が続けば続くほど,信じたい気持ちと不信仰の波に
私は翻弄されています。

どうすれば良いのかも判断が出来ません・・。

キリストの名によって,聖霊様、あなたが私たちの助け手と成って下さると
語って下さいました。

どうが、そのことを私の身の上に現して下さい。
あなたの御名が崇められるように求めるようにも,主の祈りを教えられたでは無いですか?
重く暗い気持ちに押しつぶされています。
祈る勇気さえも,失っています。

祈っても答えが無い事が怖いです。確かにあなたを信じて、永遠の命を頂きました。

喩えの無いほど感謝です。けれど主イエス様。 この世で生きている間に、あなたの栄光を見たいのです。魂の救いが無くして,癒やしも虚しい。つかの間ですが・・ でも今日。私はこの様で生きていますから・・ 今。あなたの栄光が見たいです。

すると神は、私に独りの男が、深い谷間を歩いている姿を見せられた。
それはダビデ王だった。戦いに疲れて孤独と闘いながら歩いて居る姿だった。

しかし,彼の前方には,その深い谷間を抜けたところには緑の牧場が見える夢だった。
私のダビデ王の姿に,私を重ねて、徐々に希望を見いだした。
辛いこの時を,喩え祈ることが出来なくても,失望に打ちのめされそうでも・・

必ず,緑の牧場があるのだから、この場所。死の谷間に留まらず,前に歩こうと・・
ようやく、その決心が出来たときに・・「安心しなさい」と小さい声を聞いた。

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上記の詩は、私の癒やしの体験です。胆石の手術するためにレントゲンをすると癌が見つかり,再度 MRIと血液は反応では癌でした。 しかし、手術の為に開腹手術をしました。医師が驚くほどに,癌の痕跡はあったようですが、その癌自体が縮小していました。

これは同じ記事が 父なる神の愛の歌 連載されています。