私たちは神に許されました。

しかし分かっていても、多くの人は「許してください!」と祈り始める気がします。

けれどキリストは 私たちに、このように語られました。
切っ掛けは弟子の質問で 「何度 許せば良いのでしょうか?」でしたが

キリストはこのように語られ教えられました。

『七の七十倍 許しなさい。』 七は完全数です。その完全さの七〇倍とは無限な許しを表現しています。私たちの隣人に対しても、。神が私たちに対しても完全に許すと断言なさった表現なのです。

神、キリストが十字架に掛かって私たちを完全に許されたのですから。隣人も許し合う事を父なる神も望んでおられます。 

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」 この御言葉は聖書に8回でてきます。神の気持ちです。
ダウンロードgariraya
裏切ったペテロたちをガリラヤで、出迎えて許して諭すキリストの姿
マタイ18:21〜22 
 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います

此所でもキリストは数学的な例えから永遠の許しを語られ、前記のブログ{何時までも許しを願う人}の中で語りましたが、キリストの完了したの言葉も数学的な用語・・初めがあって完全な完了を指す言葉を用いました。

あなたが祈る前に、隣人を許すことも 神は勧めています

マルコ11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
 
神は、私たたちを 完全に許されているのです。だから、「許して下さい」と祈るよりは 隣人を許す祈りをしませんか? これが中々 難しいのですから・・。神の助け無しには出来ませんから・・。

出来ないこと、
繰り返す悪癖があります。これを気付かせて キリストのお姿 清さに近く様に神は信仰の成長を願っています。

何時までも信じたままでは良くないと神が願っています。 許して下さいといのるよりは。成長させて下さいと祈りませんか?

詩編32:5〜6 
  私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ
 それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。
ここでの悔い改めと前記のブログからの完了とは許しの視点が違います。
神が気付かせた事は・・
しかし気付いたことは、神と人に対しても素直に許しを請うことも大切です。過ちと失敗は素直になって告白しましょう。

神は許すが、人は中々。許さないことも多いです。人が・・私たちを許さなかった人の上に留まります。責め合うことは避けませんか?
 神、キリストからの七の七十倍の許しが在るのですから・・。
 
やはり神に対する信頼と感謝 が大切ですね。