原点をたどれば、 キリストの血を預り 飲んで一致することです。わたしたちが裂くパンは、キリストの体を食べて一致すること。これがコイノニアの言葉の発祥です。この「あずかる」の原語は実は「κοινωνία コイノニア」です。
それはギリシャ語「プトーコイ」はヘブライ語の「アナウィーム」の訳だが、これは「心底貧しい人」「神以外に頼る他にない者」という意味で使われている言葉であり、宗教的・精神的な謙遜の貧しさではなく、具体的な痛みをもった人を指す言葉であるのです。
神はあえてその「心底貧しい人達」を教会のメンバーとして選ばれた、ということを忘れたくない。というのは、この初代教会の文脈から言うと、コイノニアが意味する「交わり」というのは、いわゆる交流であるとか仲良くするということではなく、心底貧しくされた人々とキリストに有る私たちとの「痛み分け」であり、様々な痛みやレッテル貼られた人々問題を抱えた人々との「痛みや『穢れ』の共有」を意味するのですね。
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