ゼラニューム秋めいてきましたね。お元気ですか? さて土曜日16日には、数年ぶりに友人がたずねて来てくださって出会いを楽しみました。自宅に泊まってくださり、久しぶりの会話を楽しみました。翌日には彼の自宅のある伊勢まで一緒に向った。数年前の台風では、彼の自宅が宮川の氾濫で一階部分まで水没したが、すっかり立ち直っていた。氾濫した川も、そのことすら忘れたかのように静かにせせらぎ流れる川となっていた。近年では異常気象で被害も出ているが、立ち止まってはおられない生活がある。被害を受けて時には、彼の友人らが助け励まして力となったと静かに語っていた。
 
私も彼との出会いがあって今日に至っております。数年間になりますが、三重県津市でのセミナー講師として話しに出向き、彼のほうから声を掛けてくださったのでこの出会いが残った。世の中には一期一会を言う言葉がある。彼はそうしなかったのです。手紙や電話で色々話しあい、多くの励ましを受け、お互いの考えや思いを伝えてあって確認しあっておりました。今回。私がふと漏らした言葉を心に刻んで覚えてくださり、大きな助けを今回与えて下さった。出会った最初の頃には、このようなことは思いもしなかったことでした。

人それぞれには幾つもの出会いがあります。その一つ、一つにはやはり大きな意味があります。その点では一期一会は無いのではないでしょう。その出会いを一度きりにするかどうかは、私たちの心の選択で決まるのでないでしょうか? 出会いによって助けられ励まされます。あるいは傷つき悲しむ出会いもあります。出会いによって恋が生まれ、愛が育ちます。深い友情も育ちます。 人生を変える出会いもあります。

先週はテロについて書いておりましたが、そのテロを起こした人々にも出会いがあります。悲しみや問題を共有しあった出会いが、私たちの想像を超えて爆発したのです。彼らにはその出会いが有意義な出会いと思えたのでしょう。同じ考えの者の出会いが、テロもたらすようになったのです。

最近。北海道稚内で少年が、依頼殺人を犯してしまいました。TVの内部真相では、その少年たちの両親は離婚していて、同じ境遇で励ましあってリセットしたかったようです。その依頼を断ると、孤独な生活に戻る不安が強く怖くて、常識概念を越えてしまったようです。よき理解者や彼らの人生に励ましを与える大人が、身近にいなかったのは悲しいですね。

ある身近な人からのアドバイスで、国を変えることもあるのです。
戦後、近江(滋賀県)に住んでいたクリスチャン・ビジネスマンが、マッカサー大佐に進言して、日本の歴史と国民性を力説しました。その後、昭和天皇との出会いを生み出し、歴史にも例が無い戦後保証金が無くなり、天皇制も守られました。

政治を行う人々も、私たちの推薦選挙が必要です。誰を選ぶか?新首相に選ばれる背後にも、色々の思惑。複雑に絡んだ出会いが存在しております。政治家は、私たちの出会いから、出会いと繋がってといることを。一人一人の顔を忘れないで、すみやすい日本を生み出して欲しいものです。敵対勢力はある意味では、よきアドバイスも生み出します。聞く耳のある、国のリーダーが欲しいですね。

さて、このブログを、私が書き始めるきっかけも、一つの出会いからです。思いもしなかった方が、また私が数日前から書いていたブログを見てくださって、コメントまで頂き励まされております。ブログ上であっても嬉しい出会いです。
私は、明日に向ってよき力となるように、小さな日常の中にある出会いを大切にしたいです。その中に隠されている、神の励ましと力と愛を見出したいです。

十戒で有名なモーゼは、人生の失望の果てに、砂漠にひっそりと隠れるように生活している中で、神に出会いました。彼は偶然とは思わないで、神からの訓練を受けて、イスラエルのリーダーとなりました。彼が80歳の時です。人生に勇気を与える出会いを、これからも探して生きてゆきたいです。人は一人では生きてゆけない。お互いを認めて助け合うように、神に作られていると思います。