主は言われました。
マタイ 26:40 それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。」と・・また 別な聖書箇所では、この様に祈りなさいと『主の祈り』 を教えられました。
神と向き合う時間を大切にすることを前記 ブログから書いています。
すの前に座ること。それは神を讃美することです。その讃美を献げるためには、神の恵みを体験することです。
第一の恵みは、十字架の御代わりの死によって、罪からの解放と救いです。罪が許されて永遠の命を与えられ、キリストの血によって血縁関係がある神の子供なる特権も与えられます。
日常の中で次々と起きル問題の解決や心の願いも神は親身に応えて下さいます。
神を喜ぶ者の特権です。
詩 37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 何と力強い、神の御言葉でしょう。
キリストの血を携えて、神の神殿に・・聖所にも大胆に入り、神の御前に立つ頃が出来ます。
これは旧約の幕屋の時代には、想像さえも思い付かなかった出来事なのです。
私たちには、キリストによって祭司の勤めを仰せつかわりました。
祭司の勤め。それは幕屋の外で多くの犠牲の家畜の命を絶ち、その時に流される血を杯に取り携えて、聖書に運んで、その犠牲を献げた人の代わりに、罪の赦し、願いを神に祈ることが主な勤めでした。
又、命を絶たれた犠牲の肉を燃やして、香りを神にも捧げていました。
全焼の生け贄です。完全に燃やして灰になるまでには数時間かかりましたね。
多くの祭司がこの任務に付いていました。多くの祭司から選ばれた数名が大祭司として、契約の箱の置かれた至聖所の前に立ち、イスラエルの民のためにとりなして祈る事が許されていました。
新約の時代。キリストの十字架で流された血を携えて、父なる神の前に立つことが出来るようになりました。 この大切な特権と この祈り=全焼の生け贄を完全に燃やしきる数時間灰乗りの時間に変えるならば、大きな変化と祝福を、私たちは、神からの恵みとして受け取ることが出来ます。
キリストは一時間と言われました。やはりこの根拠は、全焼の生け贄に掛かる労力時間から来ているとおもいます。 キリストの血を携えることは、聖所で行うとりなしの祈りです。教会や友人知人の祝福と救い、国のためのとりなしでも有ります。日本<天皇家族の>が救われるように祈らなくてはいけないです。
日本のクリスチャン人口の増加も重要なとりなしです。とりなしは祈りで有り大祭司の勤めです。
費やすこの労力=費やす事も重要です。
あなたを祈りには、どれくらいの量力、時間をかけておられますか?
あなたの親しい友人、愛する恋人と過ごす時間は楽しくて、時を忘れますね。
この親しく過ごす時間が多ければ 多いほど親密さがましませんか? 神の前に座る時間が長ければ、それだけ神様のと親密さ、距離が短くなりますね。
キリストの父なり神の前で、私たちのとりなしをして下さっておられます。
私たちの心の願いを察知して、父なる神似、私たちのことをとりなして祈って下さいます。
マタイ 18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。