google-site-verification: google8bec6e3f3bda2812.html

心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:ティジウズ


 古いビデオテープを、DVDに変えています。

画質は劣化して変化していました。
私は北アフリカのアルジェリアに1980年通算で8年住んでいました。 後はイラクに4年。他にパリやカナダ、スペインなど駐在先を転々をしました。

 何となく昨日。YouTubeの画像を検索していたら、私は住んでいた町、アルジェリアのティジウズの風景の画像と,案外と良い歌を歌っている動画に出会いましたので,此処に紹介しますね。


ティジウズは、アルジェリアの中部の地方都市です。山岳民族が多く住んで居ます。
カビリー地方とも言います。

独自の言語と文化もあります,同じアルジェリア国内のアラブ人系とは違う意識と誇りを持っています。
金髪や青い瞳の人も多く居ますよ。知能指数も高いです。現地人の採用試験を実施した結果です。

1847年にフランスに支配され植民地に成りました。1962年7月に独立。100年以上の支配から,独立しました。 今でも、フランスの影響を受けています。カビリーの人々は,私達、異邦人にはフランス語で話しかけてきます。あえて、アラブ系の人にはアラブ語を話さないカビリィーの人もいます。

アラブ語とフランス語が公用語として認められています。もちろんカビリー人は同士はカビリィー語で話しています。

北アフリカですが,2000mクラスのアトラス山脈も有り、雪も降りますよ。始めて,着任した日に雪が降りました。アフリカ=雪が降らないイメージを壊されて、慌てて冬物を買いだしたことが,一つの思い出ですね。

どうぞ、ご覧下さい。
 冒頭に出てくる大きな岩山は、ジュルジュラ山系のユダの手と呼ばれる岩山です。

           


      
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

  ニュースではネット革命と言われて・・

 中東の国々は,政府への抵抗を深めています。その中の国の一つ。私は、アルジェリアには1980年から8年間ほど滞在していました。他には3年間はイラク。他の国々には4年海外生活をしました。

第二の故郷といえるほど、アルジャリアの地方都市 tizi-ouzouには沢山の思い出があります。

tizi-ouzou1

 私が滞在していた頃にも,政府に対する抵抗運動がありました。学生達が中心でした。でも軍が、彼らを制圧しました。今回はあのときから比べて,余計に長年の長期政権の不満がたまってきていると想います。定職が困難。収入が低い、女性の地位も低いと感じていました。

 政府の軍は抵抗する若者の耳を切り落としたり、性器を切り落としたり、目に針を刺したりされたとも聞いたことがあります。
今回は何が起きるか心配です。

軍がレジスタンス=抵抗する人達に味方をしないと成功はしない。もし彼らは圧政に対して立ち上がるなら・・応援もしたいが、日本からでは,困難ですね。FACEbook1


日本でも政府への不満を爆発させても,暴動やデモにも発展しにくい。1960年代には学生運動はありましたけれどね。

このことがニュースになり、FaceBookの検索から、tizi-ouzou ティジウズ 数人の若者とつながりました。ネットの凄さとも想いますね。

首都のアルジェから15km離れた,山と海に挟まれた地方都市です。県庁所在地がtizi-ouzouの町です。丘の上に在ります。tizi-ouzou-la-ville



私は市役所の近くに住んでいた後、郊外に変わりました。仕事の関係です。




町の郊外には,山間部にも町や村があります。休みの時には、カメラを片手に歩き回りました。フィルムカメラの時代ですね。
jyurujyara123 

左の山の頂上付近にも行きました。ユダの手とも言われるジュルジュラ。アトラス山脈の一部です。此処に,冬には雪が降ります。 アフリカに雪? 初めは想像をしておらず、夏物ばかりを持っていき,慌てた思いでもあります。







jyurujura

tizi-ouzou ティジウズの人達は他のアルジャリアの地域と比べてとても勤勉です。 現地採用のテストの時には、知能指数がとても高い人達が多かった地域です。 日本人との気質とも合いました。沢山の友達も出来ました。








villages-tizi-ouzou

この国はどのように変わっていくのだろうか?

今の大学生達は,私の友達になった人の子供の年代ですね。
学生だけでは,中々難しいが,多くの犠牲が出ないことを願うばかりです。







tizi_ouzou04

画像は、ティジ ウズ の山間部の町の風景
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 タンスを開けたら

 今日。タンスを明けたらぽろりと写真が出てきました。
まだまだ、未整理の写真が沢山残っています。それは、未整理の物としてしまってあるのですが、その内の数枚が何故かタンスの隅に隠れていました。

私が初めて妻と京都に行った時の写真です。
和世と京都1



私にしては初めての京都でした。結婚して数年後のことです。東山の道を散策して清水焼きの楽焼きをした思い出があります。未だ、若い写真です。確か26歳くらいかな?二人の生活が未だ未だ続くと想っていました。その4年後に、妻は癌を発病しました。
30歳のバレインタインの日になくなりました。

 再婚を考えることもありましたが、積極的に考えることはなかったです。妻の死後。自宅に帰っても一人が嫌でした。待てども妻が帰ってこないからです。

気分を変えようと海外の仕事に従事しました。
          




クレオパトラの妹の墓




パリから中東、イラク。アルジャリア イタリア バルセローナ
カナダと仕事をしつつ、放浪をしました。 丸い遺跡はアルジャリアのティパサ郊外にあるクレオパトラの妹の墓と言われているミラミッドの一つです。エジプトに比べると小さいですけれど・・

当時のアルジェリアはカルタゴやローマの支配下にありました。
色々のローマ カルタゴ遺跡が沢山残っています。それが基で遺跡や考古学に関心を持ちましたよ。ローマ イタリヤ ギリシャに旅するきっかけにもなりました。






ティジウズ

アルジェリアで仕事していたときに、私の部下として一緒に仕事をした仲間です。帰国後の手紙では、みんなそれぞれに結婚をしたようです。みんな今頃どうしているのかな?あれから23年はたちましたから・・

今 アルジャリアではFaceBookのつながりで新しい政治運動が起きそうです。私が滞在していた頃にも小さな暴動はありました。大統領が替わった頃だったかな?その時には弾圧されて沈静化しているから、今度はどうなるのかなと心配ですね。

アルジャリアは1965年にフランスから独立した若い国です。それまで1830〜1962年までの約132年間。フランスの支配下にありました。1954年から1962年の間。独立戦争をしました。
私達の国が開国の支配下に100年以上も支配されたらと想うと・・ゾッーとしませんか?

そうでなくても、今の日本は、勢いが無くて外国の影響は受けていますけれど・・ 今の政治家は 自分たちの政党を守る余裕もないのですが・・彼らの視点は何処にあるのでしょうかね?

そうそう。私は、ティジウズと言う街に通年で7年住んでいました。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ