ツツジの微速度撮影中。

このつぶやきを見た方から、『沢山のつぼみが、次が何処が咲くのか分からないけれど、それは余計に楽しみですね。』とコメントを頂きました。

そのコメントから、下記のようなことを思い起こしました。

神様は、私達が、全てのことを知らないこと。分からないこと。理解できないことを
残されたのでは無いか?と・・ 全てを知らないことも神の心、御心の一つでは無いだろうか?

 詩編
103:16 「風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。」

    inoru

これから起きる全てを知っていたら‥分かっていたら・・かえって嫌だね。楽しみが無いね。

 先々を知るよりは、かえって幸せだろうと思いませんか?

また・・起きたことの中から、悲しみ 苦しみ 困難は忘れてもよいのでは?!
忘れる 幸せもあるよ。 また律法を忘れても・・

『主を褒めたたえること。』を決して忘れてはいけない気がする。

詩編
103:2 『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』
 
ヨブ記を観ると、神様は 人の愚痴を好まない気がしませんか?