聖書の中には

直接、三位一体という言葉は書いて有りませんが、聖書の中には、父なる神、御子キリスト 聖霊の人格と働きが書かれています。

いつ頃、この三位一体が、私たちクリスチャンの間に認識され、キリスト教の公的な神概念として確定されたのでしょうか?

三位一体と言う言葉はギリシャ語からの由来です。当時の教父 心学者によって
ニケア会議 AD325年において公認 議論されてきました。

コンスタンティノポリス会議 AD381年で アタナシス信条として採択されました。
その後のカルケドン会議 AD451年 承認されました。「
ニケア・コンスタンティノポリス信条」として称されるようになりました。
「根、木、果実。海、陸、空の関係。」の関連性から三位一体論の確立に 次の人物が深く関わっています。テルトリアヌスから、アナンシウスへ。そしてアウグヌスティヌスの三位一体論 AD421年に完成しました。

アウグヌスティヌスの三位一体論の中には、「聖書によって、父と御子と聖霊は一つの同じ実体の不可分離的に等しくあって神としての統一性を示している。したがって3つの神では無く、一つの神であり、父なる神は、御子を生み出し、御子は父なる神とは別の人格の神である。聖霊は御子でも無く 父なる神でも無い別の人格の神である。そして聖霊も 御子も等しく父なる神と三位一体の統一性を保っている」と要約しています。
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第1ニカイア公会議(325年) 第2ニカイア公会議(787年)
信条として決まった事は下記に。 

わたしは信じます。唯一の神、 カトリック教会で使用
全能の父、
天と地、
見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。
わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。
主は神のひとり子、
すべてに先立って父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られることなく生まれ、父と一体。
すべては主によって造られました。
主は、わたしたち人類のため、
わたしたちの救いのために天からくだり、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、
人となられました。
ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、
苦しみを受け、葬られ、
聖書にあるとおり三日目に復活し、
天に昇り、父の右の座に着いておられます。
主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。
わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。
わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活
来世のいのちを待ち望みます。
アーメン。


プロテスタント 使徒信条

我は天地の造り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子(ひとりご)、我らの主(しゅ)、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架(じゅうじか)につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。
我は聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。
アーメン

ウェストミンスター信仰告白も上記に準じています。


続く!


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