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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:クリスチャン同士

TVのドキュメントを見ていました。

 
日本人の女の子が外国人のクリスチャン夫婦に養子として引き取られる事を伝えていました。
感染症を患ったまま生まれてきた女の子でした。その実の両親は,そのこと引き取ることを拒否したようです。タウン症を患ったまま生まれてきて,育てる事を拒否されて・・日本在住の女性宣教師に引き取られ、クリスチャンとして育てられている男のこの事も伝えられていました。 

外国、アメリカでは難病を持ったまま生まれてきて,両親から見捨てられて子供と養子縁組をする団体があるようです。 育ての親は、難病が問題では無く、その子供の命が大事だとコメントしていました。その大体のコンセプトに深い感銘を受けました。

神は、どの様な命にも目的があって生まれてくると・・又親も、その子供の命を育み事によって,神からの大きな祝福を受けるのです。しかし、神はそれを拒否することも何故,許されるのか?
一概、一言では言い切れないです。 エデンで善悪の実を食べることも,拒否することも出来るように,人間を創造されました。何故?そのように,私たちを作られたのでしょうか?
神の性質の一部を持って、私たちの心も作られたのでしょう・・

同じ選択するのであれば,託された命は,最後まで育てて頂きたいですね。


子供を望んでいても 与えられない夫婦がいます。私たちの夫婦も,3度の流産を繰り返しました。
子宮筋腫から子供が生めなくなりました。その時には養子を取ろうと,妻が言ってくれましたが,間もなくして、その妻も癌で亡くしました。 何故ですか?と、神様に泣きながらも詰め寄りました。
時が流れて・・悲しみを乗り越える大きな慰めを神から頂きました。 何故 ? その慰めの,神の力は、妻が先立ったかの答え以上の物でした。

 さて、ドキュメントを見ながら、
乳児園 愛育園で福音を伝える奉仕をしていたことを思い出していました。 この施設は親からも引き取りを拒否(我が子を育てたいが、出来ない様々事情を抱えている親が居ます。) 面会は出来る事も在ります。 親に会いたいと願う子が居ました。神に祈るように,勧めたら、神は祈りに答えて,祈った子供に会いに来たそうです。それからしばらくして そのこの親が引き取りました。

現代の日本では、私が考えていた以上に・・親から見放されている子供達が多いことに,驚きを隠せませんでした。独身の男性(私自身を含めて・・)子供の里親になることは難しいというか 裁判所が,許可されることは少ない。独身の女性だと,独身男性の里親よりは簡単なようですね。男女差別は,子供の教育では日本に在る事自体も問題です。

本来のこと 親は子供を育て流布通です。しかし、育てられなくなった場合。養子として,引き取られても,集団で育つよりも、子供自身には幸せが違います。

 日本人、独りをクリスチャンとして信仰に導くことはとても大変です。
子供を引き取って,我が子として愛情を注ぎ,クリスチャンとして信仰を持たせて育てる方が,前記の未信者をクリスチャンにするより,神の国とその子供と育ての親には
大きな祝福と良い影響があります。

日本人のクリスチャンも積極的に養子のことを考えて祈った方が良いと思います。




 
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 クリスチャンは離婚する?

インターネットを通じて多種多様な相談を受けています。現代病と言えるウツ、精神総合失調、自殺願望、次に多いのが離婚です。

 先日、クリスチャンの女性が夫の関係で苦しんでいました。夫は教会内のある方に深い好意を抱いているようだからと・・夫もはクリスチャンでした。 その実際に、夫とは話し合っていませんその男性は教会の長老的責任者です。 責めても問題解決には至りません。 どうしてても耐えられないなら,暫くの別居を伝えました。モーゼも,ユダヤ人のわがままをこの点で認めていますが、神様の本意とは違いますけれど・・ この例は中断しています。祈っています。

 何年間の生活で夫の家族に対しても思いやり不足に耐えかねて離婚の結論出したクリスチャンの女性もいます。個別に話し合って引き留めてる事を試みました。彼の横暴さは治りませんでした。自分の子供にも,少し無責任でした。キリストの教えより,自分の考えを優先する男性(都合の良いときだけクリスチャンになる??)結婚当初はキリストを告白して信じていませんでした。

別件でも相談を受けていました。
この夫婦のために長い間。祈って来ました。

女性の方から気がつき、「先生有り難う。私の危機は乗り越えました。」とメールを下さいました。
相手を替えようと奮闘していた様な気がします。

歩み寄りと題して、私が返信した内容です。天滝の紅葉

こんにちは、ここ数日間、また、あなた方が気になり祈っていました。
お二人が何か神の為に良い判断が出来るように祈りで導かれていました。


クリスチャンと言えども、信仰、考え方、生活スタイルが元々違う二人が暮らすのですから、互いを認め合うことや、歩み寄りをしなければなりませんね。

聖書基本に依れば、家の主人が、まずその家を納めて信仰、収入源確立しなければなりません。妻は、それらを支える様に教えています。現代は、夫婦のあり方にいろんな考え方が入り込んでいますが、やはり妻からの歩み寄り、夫の歩み寄りは、家庭がうまくいく秘訣の一つですね。

歩み寄り、違いを認め合う、キリストの十字架の下に一つになる。夫(妻)の目に付く嫌なことを、主の流された血により、見過ごしてあげる事も良いです。つまり、旧約の過ぎ越しの祭りから知る事は羊の血(十字架のキリストの血)を見て見過ごしてあげるのです。

相手を責めるより、神にとりなしていのり、外堀を埋めて、道を作ってあげるのです。あれこれと自分の願い方針を神に言うよりも、神に指示 一方的願望を言わなくても,神は何が最善かを知って居られるから,御心通りになるような道が出来るように,お願いする決心が 一つのとりなしですね。

自分以外の人々の為のとりなしは、目に付くことを責める、問題視すりより、黙って、神に、その問題の外堀を埋めて、新しい道を示して下さる様に祈る事がとりなしの祈りの秘訣です。

相手の為に祈れば、神は見返ります。その一番が愛です。

夫婦の愛はとりなし、築く愛です。最初から、100パーセントを求めるのは贅沢。あなたが最初に結婚を決意した時に戻れば良いですね。あなた同様、彼も悩んでいます。

彼は内に、内向的こもるタイプで何でも口にしないから誤解(一般的に男性は細かなことを口にしない・?) しやすいけどもね。口にしない分、態度に出るから、あなたがイライラするけどもね。
シッカリ貴方を愛しているのは確かだよ。細かなあなたの事を見逃していることも理解して下さいね。


ホセアは、神の命令で娼婦と結婚。気ままな妻を許す毎日の中から、絶大な神の許し救い、導き方法を知りました。

毎日の細かな出来事、すれ違いより、神からクリスチャンに与えられた使命、クリスチャンホームを通しての、神の素晴らしさを伝える家庭使命を目指してね。

赤ちゃんも与えられたらいいなと祈っていますよ。これに関しては、女性からの歩み寄りは必要。男に自信を持たせる様に仕向けないとな〜。子供か産まれたあとの生活不安等々。私が居るから大丈夫、乗り切るからと暗黙の信頼関係を持たせる様に仕向けないとな〜。(女の知恵が必要)

子供は願わないと与えられない、願っても与えられない場合もあるけども、私は後者でしたから、、


過去より、未来に向けて出発してね、お幸せに・・祝福を祈ります。
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 色々の人生経験を体験した人々や

職業、考え方の違う人々が一堂に会して,神、キリストに讃美と祈りを献げて、
それぞれの教会の長老 牧師 司祭 神父と言う立場の方々から、聖書からの教えを受けて、神の気持ちを知り,更に神に近づく所です。

教会の長い歴史の中で悲しい結果を生み出し分裂もして争ってきました。
私自身も同じ経験をしました。 神に求めた事(癒やしが有る無い)が違うことで,悲しい思いで,その教会を静かに身をひきました。


仕事で,30〜40歳代にかけてイラクやアルジェリアのプラント工事に参加して,教会がないところでの生活も長かったです。

その時は、一人で礼拝して,聖書を調べていました。日本から、これは良いな〜と思う神学書も買って持って行っていました。結果。それらの神学書、信仰書を買うときには色々の教派の先生方の書いた書物なってしまいました。

帰国後に、母の癒やしから違いを感じたことも事実です。保守的なバブテストの教えを土台に、聖霊はと言うペンテコステ カリスマの集会にも導かれました。

1960年代、中学生の頃。調理師になること目指したので、高校には行きませんでした。 昔の言葉ですが,当時の中学卒業生の就職は金の卵と言われてもてはやされていた時代です。 高度成長期に入りたての頃です。

 若い時に、神学校入学したくても、宣教師から、高校卒業していないから、あなたが神学校には入れません。駄目ですと言われていました。 結局。50歳になって,色々の神学校に学歴の件で問いあわせても,良い返事!!

 私は 色々の集会で,カトリックの神父様にも数名出会い,その教会に出向いて祝福の祈りを受けました。
カトリックとプロテスタント。マリアやパウロ、ペテロの聖人、神格化の違いがありますが・・現在、生きている人にとりなしの祈りを依頼するかしないか・各自の判断と信仰です。争って私たちが結果を出さなくても,神様の判断が最後の時に在りますから・・。

 プロテスタントの中でも、それそれの教派の良さが在ります。お互いの違いを認め合っても,違いを強調して争うことは、神が悲しむと思います。クリスチャン同士が細かいことの違いでもめるのは変だと思っています。神様は悲しむと思います。愛と一致するように心がけています。

 病気の癒やしは絶対にない。それは使途行伝の時代だ! と言っていた牧師の息子が重い心臓病に・・そうなれば。人はやはり自然と神に祈ります。その息子は癒やされました。医療と信仰の力です。大きな、小さな違いは,神は直接。各個人に教えられると思います。その方(牧師)は神の癒やしがあったと方向を変えました。私たちが直接違いを指さすことは無いと思います。

 指さすと言えば・・ インターネット上で。2チャネルなどでは,教会や牧師を、指さして色々書き込むことは悲しいことだと思います。 人の目、額に付いているゴミのことで呟いているのと同じです。
自分自身のゴミ&チリを綺麗にしてからでないと書き込みはいけないのでは?と思います。
インターネット上では未信者さんも観ます、その未信者さんがキリストご自身に結果的に失望したら,書き込みした方々が,神の前では、どの様な責任を果たすのでしょうか?

 聖書に書いてある額面通りを信じています。教理教派の違い。解釈の違いが多生あったとしても、その点を争わすに神様にお任せ、私たちは主キリストに在って一つです。

 ペンテコステ系の牧師さんの悪霊の取り扱いの間違い 行き過ぎから傷付いてしまう方もいます。異言は絶対と言われて傷付く方もいます。神が時を与える。と思います。急ぎすぎた結果をもとめるのは・・? 神が子供を与えると言ったのに、何年かかってアブラハムは子供イサクを得たのでしょうか?

清め派と言われる教会では,清めを強調しすぎて・・傷付いています方もいます。
罪を犯したからと毎日のように罪の赦しを祈る方もいます。ナーマン将軍は,自分の描いた筋書き通りの清めはなかったのです。


人はうっかりとか。意識的にも罪を犯しやすい性質は,死ぬまでは治りませんからね。開き直るのでは無く,悪から遠ざかり,罪を犯さないように,自分を見張る必要は無くなりません。でも、過って犯したならば、素直に神に告白し,神の力、十字架で許されていることを確認して讃美する方が良いです。
 
 安心して十字架の下にある救いの憩いを得てください。繰り返して、『許してください。許してください。』と言う祈る必要は無い。それ以上の神との信頼関係を・・つまり親子の関係の下にある絶対的な信頼を築いてください。

幼子は親に逆らっても,親が自分を赦す事を信じ切って,ケロとしています。それは親子の愛と信頼だと・・神様も同じ、嫌それ以上に 十字架で死の代価を支払い、買い取った親子関係なのですから。許しを毎日請うのでは無く、こんな事(罪)をしてしまったけれど,告白した後、過去現在 未来と許されていることを讃美したいです。

 各自家庭でも,意見の違い考え方が違いますけれど、家族として纏まるときのように,クリスチャン同士も違いより愛し合う。認め合う方が余計に大事だと思います。

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