コイノニアは交わりと訳されることが多いが、

原点をたどれば、 キリストの血を預り 飲んで一致することです。わたしたちが裂くパンは、キリストの体を食べて一致すること。これがコイノニアの言葉の発祥です。この「あずかる」の原語は実は「κοινωνία コイノニア」です。
クリスチャン同士が仲良く交わる、会話する。合流して楽しむことはないことが原点を見るとわかります。
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日本語「コイノニア」はだいたい「交わり」と訳される。パウロの言う「交わり」を理解するには、初代教会の状況を踏まえなければ分りません。
 初代教会は圧倒的に「プトーコイ 心底貧しい人Φτωχοί άνθρωποι 」すなわち、物乞いしなければ生きていけない人達で構成されいた。そこに生活水準が上の人々が徐々に共同体に加わり、貧しい人々との間に問題が生じ、そのことについてパウロが手紙を書き送るほど、初期の教会共同体においても貧しい痛みを抱えた人々が軽んじられていたということが赤裸々に報告されている。
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「プトーコイ」をなぜ「心底貧しい」というのか。
それはギリシャ語「プトーコイ」はヘブライ語の「アナウィーム」の訳だが、これは「心底貧しい人」「神以外に頼る他にない者」という意味で使われている言葉であり、宗教的・精神的な謙遜の貧しさではなく、具体的な痛みをもった人を指す言葉であるのです。

神はあえてその「心底貧しい人達」を教会のメンバーとして選ばれた、ということを忘れたくない。というのは、この初代教会の文脈から言うと、コイノニアが意味する「交わり」というのは、いわゆる交流であるとか仲良くするということではなく、心底貧しくされた人々とキリストに有る私たちとの「痛み分け」であり、様々な痛みやレッテル貼られた人々問題を抱えた人々との「痛みや『穢れ』の共有」を意味するのですね。
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経済的な貧しさもありますが、キリストを知らない霊的貧困、霊的な貧しさを持つ人々に福音を伝える霊的な働き分かち合い、キリストの教えを伝える。あなたが聖霊に助けから聖書で学んだことを、知ったことを隣人に愛をもって分かち合うことが重要になり、それが霊的なコイノニアの始まりでした。
教会と他の場所でクリスチャンが集まり交わる、リラックスして話し合い楽しみを分かち合う交わりがコイノニアでは無いのです。
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コイノニアを通して、キリストの血の恵み=救いを知り信じた上で 神の愛と救い。その教えを分かち合い実践する助け合いを共有することがコイノニアの第一の目的です。 その結果。キリストから離れることのないようにコイノニアが形成されました。コイノニアからあなたの隣人にキリストの血を飲む救い 福音を伝え分かち合い語る 実践する場がコイノニアではないでしょうか?    
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