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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:イースター

昨日は イースターでした。

皆様におかれましては どの様にお過ごしに成られましたか?
私はキリストが復活して、私たちに現れて下さったので、深く信じる事が出来ます。
キリストに再び出会える日を楽しみにもしています。

 全ての土台 旗印はキリストに在ります。過去に起きたこと、今から起きることを確信しています。
ヘブル 11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
 
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主キリストを賛美するための動画作りに精を出していました。
撮影、編集は比較的容易です。しかし、アップロード用のレタリング には大変時間が掛かります。パソコンのソフトが自動的に行いますが、
その間、パソコンが使えません。無理すれば使えますが、重たい 途中で途切れて仕舞うのです。今回は時二時間が掛かる4k高画質の編集にチャレンジしました。下記に啓示しましたので どうぞご覧下さい。
併せてチャンネル登録もお願いいたします。


復活に因んでナルドの壺がメーンに賛美動画を作りました。くつろぎながらご覧下さい。

           

            

  寛ぎの一時 神を思う霊想用に ご覧下さい。
            
 今回の花桟敷は4k動画です、画像が綺麗です。アイホーンで撮影しました。撮影時間が短い!なので本格的な 4kビデオカメラがあればと思いました。 神の御業をより美しく撮影したいからですね。 私の夢にビジョンになりました。
 
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 死に至るまで、キリストに従順に!

それが私たちの願いです。

しかしながらローマのコロッセオでライオンに殺されるような現実の苦しさ・・。

<現代ではライオンの代わりが多い>それでも聖書の言葉と現実とのギャップがある。
つまり・・祈っても直ぐには癒やされないことがある。神は癒やす神だと宣言したでは無いか?

 平和の君だと云ったでは無いか?その平和を祈れど戦争やテロがある。
祝福する<マラキ書などで>と云われたが、祈れども経済的に恵まれない事も有る。
政治から来るもの、信仰と政治に関しての方向性の違い。

 聖書の言葉が書かれているのに、現実的に起きないギャップ!
聖書が云うが鷲のように飛べない・・イザヤ書40:31と現実の違いはどのように埋めるのだろうか?
それでも様々な現実とのギャップを乗り越えて、神に期待するには、神の助けと導きが不可欠です! 
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祈りの答えが直ぐに無いからと云って 神を否定は出来ない。
聖書は神の人格から溢れた言葉だから、その神の人格に私達は期待します。
<聖書通りにならずとも、神の存在が現実です。
天国での祝福が待ちますから・・。>

それは神は私達の身代わりに死んで、復活しました。多くの神々の中で、キリストだけが雄一、よみがえった命のある神です。

私達の身代わりに十字架に掛かる、その愛と人格に期待しましょう。
ヨハ 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
黙 2:10 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
イザヤ 40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

鷲は高く飛ぶために、自我や古い肉体=思いを捨てなくては成らない。
鷲は成長するために自ら、そのくちばしを使い、自分の羽を抜きます。 

これを換羽、古い羽毛が抜け落ちて新羽に替ることを言います。

年老いた鷲は、自分自身の力、鷲の命の元になる獲物を捕らえる武器を捨てます。
自分自身が新しく力強く飛べる為に、そのクチバシを自分で岩にぶつけて壊します。 
爪も岩を利用して爪をはぎます。抜きます。
その痛みを自分から選択します 。そして、新しい爪とクチバシ、羽を得ます。羽やクチバシ、爪が新しくなるまでは、一定の期間は敵に襲われたり、餌もとれなく高く飛べない現実が舞っているのです。
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羽やクチバシ、爪が新しくなる為には、過去の経験から学びます。老いても学ばなかったり、選択しない鷲は、力強く飛べず、現実に負けて死を迎えます。高くは飛べません。
換羽や爪はぎ、クチバシを壊さない現状維持する。現実に負けた鷲は、そのままで死を待つのです。
私達も過去の経験を生かせることが出来るのは、神との人格との交わりの結果です。
命を延ばすため、新しい力を得て、鷲のように高く飛ぶためには、私達も現実を云う経験を捨て去るときが必要です。換羽しなければ、聖霊の風が吹いても高く飛べず、そのまま死を選ぶ 待つことになるのです。必ず高く力強い聖霊の風を期待する者だけが経験する信仰の領域を選択しなくては成らないのです。

選択できるのか、神の人格を信じたり、過去の経験を生かす事を選び取る事、自我と肉の思いを捨てることが必要になります。
祈っても答えられなかったが、神に期待したが駄目だった!とは思わずに、羽代わりの時期を絶える人が経験できる領域を神様、聖霊、そしてキリスト様に求めませんか?
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神を見上げて、現実の乗り越えるために、神の人格に期待しようではありませんか?
その人格から溢れている、聖書の言葉に期待しようではありませんか?
時が来たら、神が現実を乗り越える力の元、換羽させて<鷲だけは自分で抜かないと新しい羽が生えない!>期待を紡いでいきましょう。新しい力、クチバシ、爪と羽が与えられると期待を紡いでいきましょう。祈りが聞かれなかったことを選択して、神を捨てるのか?
小さな祈りが聞かれた経験を紡ぐかは、私達一人々の選択なのです。

終わりにイースターです。キリストの復活を賛美し感謝を捧げましょう。
私達の信仰が、この世においての現実から神への信仰へと復活するときです

             

              
 
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復活祭が大好きです。

中学生の頃に、この復活のことを知りました。神の力の凄さを感じ、知ってキリストを信じました。イエスが復活していなかったら、親の信じた信仰を意味も無く信じていたかも知れません。

世の中。色々宗教があります。唯一、キリストだけが復活しました。復活を記念して制作した動画が有りますのでご覧下さい。
               

復活祭のお祝いの象徴として、卵を使います。またイースターと言う言葉も使います。
ある時。この語源を調べてみました。すると、豊穣を祝う春先の祭が、キリスト教以前からありました。
ビロニアの豊穣の女神イシュタル(あるいはカナンのアシュタロテ等、中東・地中海地域の同種の女神)の名に由来していました。

                

イースターの語源としては、北ヨーロッパに残っていた、ゲルマン民族の北方神話の春の女神「Eostre」に由来すると言うもの。本来はキリスト教とは関係のない異教徒の春の祭りでした。

カトリックキリスト教の布教の際に、意味を変え、普及したと言われている。寒さ厳しい暗い冬から、草木が芽吹き動物たちが繁殖する春へと移り変わる様が、十字架で処刑された後に復活したとされるイエス・キリストのイメージと重なり、統合されていったとおもわれます。
カトリックのBedeという神父が8世紀ころに唱え始めたようです。文献に間違いが無ければ。。

ユダヤでは、春先には過ぎ越廼祭りがあります。この祭りの時に、キリストは十字架に掛かった後に、復活しました。ユダヤではバビロン捕囚から、ユダヤに戻って記念としてのプリム(プラム果実)の祭りが有名です。いずれも春先の祭です。

                      
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卵とウサギは、本来キリストとは関係ありません。春に起こったを祝う祭が、多産のうさぎや、卵は、豊穣の象徴でした。イースターという名称もバビロニアの豊穣の女神イシュタル(あるいはカナンのアシュタロテ等、中東・地中海地域の同種の女神)の名に由来しています。ちなみにこうした女神崇拝は聖書では厳しく禁じられており、本来キリストとは相反するものでした。

マリア崇拝も、古来のギリシャアルミテス女神。並びバビロンの女神信仰。セミラミス、あるいはイシュタルに仕えたバビロン宗教から始まった物が結びついたのです。エジプトの伝統的なイシス信仰。この信仰はヘレニズム時代からギリシャに受容されてギリシャ文化の地に根付いていました。

キリスト教がローマ国教となり、カトリックが誕生改宗はしましたが、政治的な反発その他を恐れた支配者は、女神信仰を許容している間に、マリア崇拝が生まれてきました。本来聖書は父性の神なのです。

カトリックの中の一部会派では、マリア崇拝を推奨はしていないけれど、文字が読めなかった時代に聖書を説明する聖画と同じたぐいにされている会派もあります。

とはいえ、偶像として礼拝する危険性を沢山含んでいます。癒やしの奇跡をおこなった伝承 マリアも崇拝対象に変わってしまいました。

神様は、この私を通しても、病の癒やし奇跡をなさいます。耳が聞こえる。歩けなかったのに祈ってからあるけるように、私の癌も手術する前には沢山の癌影がレントゲンで確認。術後には見当たらずに、胆石だけを除去。医師も不思議がっていましたし、癌は誤診だとも癒えないし・・ 
神様 キリストによって私の癌が消えたとおもいます。

だじゃらとって私を崇拝する人は居ません。その違いをたどれば、女神信仰が間違った形で、カトリックの中の残っているからです。

イースターと言うよりpassover 過ぎ越しの祭と言った方が本来の言葉に近いですし、復活の卵よりは、羊の肉の方が良いのではと思います。

始めて教会行った中学生の頃。 十字架の絵を描いたらカナダ人宣教師から注意されました。これは偶像になり聖書的では無いと教えられました。十戒に書いて有るとも・・

その教会には多くの教会にある十字架の飾り物さえも無かったのです。 けれど、復活祭の時には卵が出てきました。 そのことを思い出し、悪い習慣が知らずしてプロテスタンを教会に入り込んで着る事は、サタンの策力かなとも最近は思うようになりました。

マリアを崇める人々、カトリック信徒さんの方々と論じる気持はありません。最初にで在った信仰ですから・・
けれど、私自身も牧師の言動に疑問を感じて、聖書を調べました。キリスト教以外の多数の信仰書を調べました。 母が痴呆症に成って記憶が無くなりました方です。癒やされて欲しい一心でした。

使 17:11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

過った解釈をしないためにも、聖書は聖書で調べる、旧約と新約を調べバランスを保つ事も大切です。 カトリックの方々も神父の言われる通りに鵜呑みにはしないで聖書を調べてていただけると良いです。(エホバの証人他。異端と言われる教会に通う人も・・ 異端とは思わないように、洗脳されることが怖いですけれど・・。)

さて私自身も、母の癒やしの為に色々調べてたどり着いたのは、「復活のイエスに会いたい。」となりました。切望する者には、イエスは来て下さいます。 祈って答えが無いのは、祈りの影にある本心には間違いが無いですか?切望度合いに間違いが無いですか? 神の栄光を表す時にとか?答えられる時期が、神様にも最も良い時期にと祈り加えていますか?

切望と聖書を調べるには限度は無いのです。

このブログを読んで下さった、あなたの祝福をいのり ます。

    キリストも私たちの信仰が無くならないように、とりなして下さいます。

ゲセマネの園の祈り

                 
この記事を書いて公言したら・・イースターとは言えなくなりましたね。 ただ英語でいななければ大丈夫?英語では何て言うのかな?との疑問が残りました。
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赤い月を見ましたか?


最近。夕暮れの夜空に、赤い月がよく見えるようになりました。

季節の変わり目に、地上付近の空気が入れ替わるからだとも言われています。

夜桜


ヨハネの黙示録には、赤い血の色の月が昇り、天地が変わることも描かれております。それはいつに成るかは分かりませんが、将来は必ず預言通りになると思います。
赤い月


ふと最近の赤い月を見て ふとキリストの受難週であることから、赤い月の動画作りを思い立ちました。

最初は、赤い月の動画が月がテーマにしました。一旦アップロードしてから、神様に感謝すると、『あれでもよいのか? 』と声が聞こえました。其れはまるで耳元でささやかれると勘違いするほどの強い思いでした。



それは耳に聞こえる音声では無いですよ。その声とも、思いともつかないですか、私自身が最初には考えたり、思っていた事以上の範囲外の事が多いです。

1十字架の竹田城


『そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。』 ヤコブ 4:8 の聖書箇所からも神は語っておられます。

普段 私たちは聖書を読んで、神様の考え方を知る事が出来ます。神様に信頼して個人的関係を強めることも、大切です。 あなたの親しい人とはよく話し合いますよね。逆に・・余り親しくない方とは、普段の会話は少なくて必要最低限の会話になりがちですね。

私たちは、神のご性質に似せて、創造されています。
とすれば・・ 私たちから更に一歩。神に近づいて神様の考え方を知りましょう。 聖書をよく読み、
普段の何気ない会話 =祈りとも言います。小さな語りかけることからも、神に近づく事は出来ます。
わたしは日常的に、神に語りかけるようにしています。




肉声と間違えるほどの時もあります。 以前。長距離運転中 眠気が差したときに、脇腹をたたかれ『起きろ!!」と 後・・数十メートル先には おおきな崖がありました。 
砂漠の中で祈っていて 強い臨在の中 記憶を失いつつも 私はあなたを愛していると 声を聞きました。

今回は単に赤い月のテーマから、復活のテーマに変えたアイデアも頂きました。

神様の思いが伝わり理解できます。時には声さえも・・聞こえています。声は音声の声では無い事が多いですが・・聖書の言葉が肉付けされた生きた声のように、心の奥深くに響くことが多いです。

私たちは何かをするときには・・例えば事業をおこなう時とか新しい事を始める時など・・ 御心を求める事が多いですね。どの様に、あなたは御心を求めておられますか?

神様が示された想いは、そう簡単にコロコロ変わりません。あなたの祈り 願いを聞かれて、御心を替えて一旦。許された事も変わりません。御心を替える事はそんな簡単では無いですが、ヤコブはベテルで神様と相撲を取りました。神様と相撲を取る・・祈り続けることが重要です。

祈るだけでは駄目です。着実に 聞いたこと、御心知ったときには、それらを実行し続けなければ結果も出ません。聖霊様の助け、導きを求めていきましょう。

竹田城を動画の中では、天上のエルサレムに見たたたました。フォトショップで加工処理してあります。

竹田城ー夢の雲海3



イースターの朝には間に合いませんでした。何度も編集し直して時間を要しました。一秒単で見え方にこだわりました。聖霊の助けも求めました。完璧さを求めますが、切りがなく・・色々アイデアが浮かんできました。
アトは私の編集技能が付いていけませんでした。

イースターの朝 野の百合 どうぞ土覧下さい。



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今年の初めに、

2014年のイースターと検索すると 4月13日を表示されました。

私は勘違い違い。?

インターネットにその情報をアップロードした人の間違い・・?分かりませんね

けれどキリストの受難週の始め=東方教会のカレンダーと 西方教会 カトリックとは微妙に日が違っていました。 参考に・・http://www.calendar-365.com/holidays/easter.html         http://www.almanac.com/content/when-easter

今年の過ぎ越しの祭りには、イスラエルでは完全な日食になるようです。

奴隷化していたユダヤ人達をエジプトから救い出す際に、子羊の血を鴨居に塗りエジプト人とユダヤ人との判別するように、神が定めた記念日です。それが過ぎ越しの祭りの起源です。
その過ぎ越しの日。キリストが十字架で 全ての人類のための犠牲になりました。羊の代わりに・・
その三日後に生き返り、その復活を記念する日がイースターです。生まれ代わりの象徴的な印しに卵が使われるようになったとか?その理由については知らないです。

sugikoshi


特別な食事もします。奴隷時代の粗末な食事を記念して食べます。

20110418192113


夜のように暗くなり、主キリストが十字架上で無くなったときと同じです。 
完全日食を、ルーマニアに宣教に出かけた時にそれを経験しました。

又、エルサレムには第三の神殿建築が計画されていて、現在はそれに変わりべき建物が建てられているそうです。あの黄金ドームの近くらしい・・?

イスラム教の聖地でも有るエルサレム。そのシンボルが黄金のドーム。
アブラハムの子供。イスマエルの子孫が、神の憐れみを受けて、大きくなりイスラム・アラブ系の民族となりました。元々信じている神はエホバ成る、神でしたがマホメッドがそれの信仰形態を替えました。

宗教戦争は避けるべきですが、黄金ドームが取り壊されて、第三の神殿が建てられて世界は変わるでしょう。終末に向けて走り出すでしょうね。

クリスマスと復活祭は一年中 祝い続けたいですね。 
暦に左右されない。心の感謝を礼拝として捧げても良いのではとも思います。


日本でもイベント=商魂たくましく 定着させようとしているようです。
卵形のケー−スに入れたお菓子を売りだしたいみたいです。!?

目的は違いますが、日本にも イースターが定着すれば、私たちクリスチャンもイースターの本当の意味の説明から、福音が伝えやすくなりかも知れないです。

nixtusyoku
 

私はキリストは復活したからこそ、私の神。主キリスト信じるようになりました。 復活が無かったら、どの宗教もどれも同じになります。

 又。臨在とかその意味も知らない頃。イラクの砂漠の夜。一人宿舎(プラント工事でヒートという村の郊外の砂漠にあった宿舎)から外に出て祈っていると気を失うような経験を・・その時まるでキリストの胸に抱かれているように夢心地になりました。 その時に妻との死別 他の信仰的なトラブル 色々問題を抱えて、キリスト教から離れようかな?と思い始めていました。 でもその・・今でこそ臨在だと分かりますけれど・・その時の経験とその後 直ぐに読んだ聖書の言葉が私を支えています。 キリスト教=宗教的なことから離れても、神様 個人から離れられないです。キリストは私にとっては宗教では無く 生きる事です。

何故?夜の夜中に外に出たのかと申しますと 窓辺から火の柱を見たので、その場所に行ってみようとしたのです。
 
帰国後、母の痴呆症からの回復。私の願からの回復。生きて臨在なさっておられる経験をたくさんしました。
それらを経験して、聖書の言葉を照らし合わせて、キリストは今も昔も変わらないと信じています。
感情や経験した感動は、年月と共に薄らぎますが、何時も新鮮で在り感動するキリストの言葉。聖書の言葉を土台にすべきと思います 。
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今度の日曜日はイースター。キリストの復活の記念日です。

あなたは復活祭と言われると何を思い出しますか? White__lease_
多くの方はイースターエッグ。つまり卵ではないでしょうか?

 私は焼き魚とパンを思い出します。
ヨハネ 21:9 「こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。」と聖書に書いてもあります。私が献身すべきかどうか?レストラン辞め悩んでいた頃です。それほど信仰が強い分けてもなく、思い悩んでいた頃でした。ある夜に祈っていると、私の部屋にパンと魚を焼く匂いが充満したことを思えています。
深夜のことですから、隣家からの魚やパンを焼く香りではないと思いました。その香りをかぎながら、主イエスがそれらの香りを備えて、私は励まされたと感じました。
私は調理人ですから、私が理解できる方法で、主が無言の内に励まされ、資格や条件ではなく、主を愛する情熱によって導かれると感じたのです。主の命が、私の中にわき上がりました。

 ペテロがイエス様は十字架にかかった後、古里のガラリヤ湖に帰りました。イエスと裏切ったこと、ユダヤをローマから救い出すこと期待して失望していました。その様なペテロ達が解る方法でイエスが語られ、その復活の臨在を表されました。
Easterno1

ヨハ 21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。 

 さんざん漁をして釣れなかった魚を、方法を考え方を少し変えるだけで、大漁になってので、彼らを驚きました。
少し見方を変える。方法を変える。答えがなかったからと諦めずに少し待つ。待つ長さにはそれそれの導きがあります。でも決して諦めたり、焦って神が望まない方法で人間的な方法に頼っても、決して良い結果には到達は来ません。神の方法でないと駄目です。

 十字架で死んだはずのイエスが、生き返ったことを理解できる事は、食事を一緒にすることでした。彼らが働き無駄になったと思っている間に、イエスはパンを供え魚を焼いて待っておられました。

 ペテロの心の傷を、「私は愛するか?」と三度繰り返して、克服させました。この三度とは、鶏がが三度無く前に知らないという言葉の裏返しとなりました。ペテロの心の傷を取り去り癒されました。 心が癒されて、それと主が復活した姿を見て、その後の宣教の力となり苦難試練を乗り切る力を得たのです。それぞれの弟子に似合う方法、理解できる方法で、弟子達の個人個人に、イエスはその姿を現され理解させられました。

神イエスのことが解らないと言われる前に、一歩イエスに御歩み寄ってください。あなたが理解出来る方法で、神の姿を表してくださるように祈り求めてください。 一旦祈った祈りには華ながず答えが来ます。焦ってあなたの元の生活に戻らないでください。

待っているなら、復活の主イエスが現れてくださいます。EasterNo2

ヨハ 21:17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

あなたに託された羊。宣教と方法で主の御名を崇めてゆきましょう。

主イエスの復活が、私の心に在ります。現実的に多苦しいときも沢山、在ったとしても乗り切る力と希望をなっています。 あなたの上に、主の復活の力を味わい祝されますようにと祈ります。

 満開の桜の中で賛美の踊り http://www.youtube.com/watch?v=JDEf5oDv9EQ
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