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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:アルジャリア

アルジェリアとは普段なじみがないのですが、

 私は若いときに8年,仕事を通じて住んでいました。今、FaceBookを通じて,叉別な角度で関心を寄せています。
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首都はアルジェ 日本の国土の約7〜8倍です。半分以上がサハラ砂漠です。上の画像は首都のアルジェの南側ですね。白い町並みが丘の上に所狭しと立ち並んでいます。この一角に歴史的な町並みが残るカスバがあります。








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私が住んでいたところは,この首都から140kmくらいはなれています。時々、仕事の都合で来たり、休みの時に,同僚の日本人を案内したり出来ていました。








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湊の近くには市場もあり,シーフードレストランも点在しています。
長く見えるスロープは,車も通れる道で、その下が個人商店や市場でした。




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長距離バスや鉄道がこの近くの広場から出ています。 何度か列車に乗って ティウズ(私が住んでいた町)まで帰ったこともあります。

アラビア系とベルベル系(カビリー地方に多い民族)とはわりと平和に暮らしています。 フランスの長い植民地時代を過ごして独立した国です。その独立の苦労が連帯感を強めているかもしれませんね。
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私は仕事を終えて,この国を去るときに、サハラ奥地と言われるタマランセットと言う町、タシッシール砂漠国立公園に行きました。
そこに行くまで,バスと飛行機、長距離の乗り合いタクシーを乗り継いでアルジャリアを一周しました。 

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タッシールには、砂漠になる前の狩りをしている壁画が残されているから、それらをみたいと想ったからです。




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また、乗り継ぐ飛行機が無く困っていたら、紹介されて、ランドクリーザーでもサハラ砂漠を1000kmの横断をしました。アマランセットからタッシール迄でした。
タッシールの現地の人が,用事でアマランセットからサハラ横断して
来ていたので、彼の車に乗せて貰いました。またしばらく彼の家にホームスティをさせて貰いました。


この壁画を見たときには感動をしました。中には、宇宙旅行をしているようなヘルメットに似た壁画もありました。今は住んでいない動物の絵も描いてありました。hekiga

砂漠の中では,人は弱く小さな者です。しかし大空の干しを見上げると,私達一人、一人の命には無駄が無く大切な存在だと気がつかされました。

日本では見えない星が,肉眼でも見えるサハラでした。
神の差なる威事には無駄が無く,私達の命にも,神によって与えられた者だと思えます。

 サハラが緑から砂の大地に変わったのは,激しい気象の変化です。
神が創られた青と緑の地球を守るように託されたのは、私達人間です。
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 タンスを開けたら

 今日。タンスを明けたらぽろりと写真が出てきました。
まだまだ、未整理の写真が沢山残っています。それは、未整理の物としてしまってあるのですが、その内の数枚が何故かタンスの隅に隠れていました。

私が初めて妻と京都に行った時の写真です。
和世と京都1



私にしては初めての京都でした。結婚して数年後のことです。東山の道を散策して清水焼きの楽焼きをした思い出があります。未だ、若い写真です。確か26歳くらいかな?二人の生活が未だ未だ続くと想っていました。その4年後に、妻は癌を発病しました。
30歳のバレインタインの日になくなりました。

 再婚を考えることもありましたが、積極的に考えることはなかったです。妻の死後。自宅に帰っても一人が嫌でした。待てども妻が帰ってこないからです。

気分を変えようと海外の仕事に従事しました。
          




クレオパトラの妹の墓




パリから中東、イラク。アルジャリア イタリア バルセローナ
カナダと仕事をしつつ、放浪をしました。 丸い遺跡はアルジャリアのティパサ郊外にあるクレオパトラの妹の墓と言われているミラミッドの一つです。エジプトに比べると小さいですけれど・・

当時のアルジェリアはカルタゴやローマの支配下にありました。
色々のローマ カルタゴ遺跡が沢山残っています。それが基で遺跡や考古学に関心を持ちましたよ。ローマ イタリヤ ギリシャに旅するきっかけにもなりました。






ティジウズ

アルジェリアで仕事していたときに、私の部下として一緒に仕事をした仲間です。帰国後の手紙では、みんなそれぞれに結婚をしたようです。みんな今頃どうしているのかな?あれから23年はたちましたから・・

今 アルジャリアではFaceBookのつながりで新しい政治運動が起きそうです。私が滞在していた頃にも小さな暴動はありました。大統領が替わった頃だったかな?その時には弾圧されて沈静化しているから、今度はどうなるのかなと心配ですね。

アルジャリアは1965年にフランスから独立した若い国です。それまで1830〜1962年までの約132年間。フランスの支配下にありました。1954年から1962年の間。独立戦争をしました。
私達の国が開国の支配下に100年以上も支配されたらと想うと・・ゾッーとしませんか?

そうでなくても、今の日本は、勢いが無くて外国の影響は受けていますけれど・・ 今の政治家は 自分たちの政党を守る余裕もないのですが・・彼らの視点は何処にあるのでしょうかね?

そうそう。私は、ティジウズと言う街に通年で7年住んでいました。
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