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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:アブラハム

初めての聖霊降臨は、

エルサレムの一郭から始まりました。前記のブログではエルサレムはアブラハムがイサクを捧げて献身の決意を表明した場所だったと書きました。
また、サレムの大祭司メルキゼデクがパンと葡萄酒を携えてきてアブラハムを祝福したのです。サレムとは旧名のエルサレムです。またシオンの丘がイサクを犠牲とした岩がある場所であり、後にその丘に神殿が作られたのでした。

メルキゼデクとは誰か?聖書は多くは語っておりません。
ノアの子供。セムは100才でアルパクシャデを生み500年生きたと書かれております。アブラハムはサレム大祭司となっていたセツに出会っていたかもしれないです。

霊的に考えてみれば、「義の王」という意味をもつメルキゼデクはサレム(エルサレム)の王でパンと葡萄酒を持ってアブラハムを祝福しました。最後の晩餐と言われるところでも弟子達とイエス様はパンと葡萄酒を持って弟子達を祝しました。

ヘブル7:3ではメルキゼデクは「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。」と書いてあります。

アブラハムは、神の使者3人をもてなしてイサクが生まれることを告げられています。
この3人いた内お一人がイエスであったとヘブル7:3から思えてきます。
メルキゼデクとイエスと同一人物なのか?少なくともメルキゼデクはキリストの型であって主の働きを事前に啓示されています。
メルキゼデクが持ってきたパンと葡萄酒はアブラハムの戦いの疲れを癒やしました。
最後の晩餐で使われたパンと葡萄酒は新しい契約と救い、癒やしの象徴となりました。
イザヤ書53:4
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神がご自身の栄光と祝福を表す地として「エルサレムを離れるな!」と語られた経過をお話ししました。地域性もエルサレムを選ばれた気がします。当時は全世界に散っていたユダヤ人がエルサレムの神殿に礼拝に来ていました。
エルサレルの神殿の役目が終わり、神の霊は私達の霊に注がれたことを、各地に戻り伝えるには格好の場所でもありました。
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イザヤ59:20−21  「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」──主の御告げ──
 「これは、彼らと結ぶわたしの契約である」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない」と主は仰せられる

聖書の預言でも 主の贖いはシオン エルサレムからと語っていました。イエスはキリストとして復活なさり、昇天後、新しい契約に従って聖霊としてエルサレムに下ってこられました。 二段階で神は下ってこられます。一度目がペンテコステでした。二度目が再臨のp時になります。
続く。
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ドナルド・トランプ米大統領、

その言動の一つ一つに世界中が神経をとがらせている。
早速に戦火の火種と成り得るのは、イスラエル問題である。トランプ大統領の選挙公約の一つに「米大使館をテルアビブからエルサレムに移転する」と言うものがあった。これに対してイスラム諸国のみならず、「パレスチナ和平交渉再開に向けた国際会議」の議長であったエロー仏外相は、「挑発行為であり、和平への努力に対する脅迫だ」と強く批判した。
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ヨルダン政府も「超えてはならない一線である。破壊的な影響を与える」と警告している。ところがこれは1995年に米議会で「在イスラエル米大使館はエルサレムに置く」と定めた法律がすでに可決されているので、米国の政治家がエルサレムへの大使館移転を唱えるのは珍しくはない。米国内のユダヤ系有権者の支持と多額の献金を得るためである。

クリントンもブッシュも大統領就任前は選挙公約として移転を支持していた。しかし国際的な政治的事情から見送っていたのである。しかしトランプ大統領の場合、娘の一人イヴァンカは、熱心なユダヤ教徒のユダヤ人実業家ジャレッド・クシュナーと結婚し、ユダヤ教に改宗したが、父が大統領選挙を闘っている時「父が大統領になったら、米大使館をエルサレムに移転する」と語っているのをマスコミは取り上げている。一般に大使館はそれぞれの国の首都に置くのだが、イスラエルの場合、首都エルサレムは、周知の如く、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれの聖地であり、「聖地奪還」の激しい戦いがあり、現在の複雑なパレスチナ問題から、各国は大使館を首都エルサレムではなくテルアビブに置いているのである。

トランプ新米大統領が真に主なる神の御心にかなう政治的決断をなすことのできる様に祈っていただきたい。そして「エルサレムの平和のために祈れ」(詩篇122:6)と言う御言葉の勧めに従って「エルサレムの平和」のために祈っていきませんか?
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プロテスタント35.32%,カトリック21.19%, 英国教会0.65% 正教会関係1.67%, ユダヤ教 1.65% イスラム1.63% 無神論者 16.5% 仏教0.75% ヒンズー教0.42%, その他)

この資料は敬愛するお一人の牧師からのシェアーです。

エルサレムはモリヤの山とも云われ、アブラハムがイサクを、神への犠牲として 捧げようとした場所に神殿が建てられました。
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エホバでありエルシャダイである神が、

ウルにいたアブラハムに現れて、カナンの地に行くように命じました。
神の表れは、アブラハムに取りまししてどのような物だったのでしょうか?神が目に見える形であなたの目の前に突然!現れたらどうしますか?それも『カナンの地におまえが行けば、おまえを大いなる国民とする!』と 一言しか聞けなかったら・・あなたはその命令について行けますか?

幻覚、幻聴だったのか?と普通なら自分自身を疑いませんか?
しかし、偶像や罪にまみれたウルから、アブラハムは信仰と希望を持ち旅立ちました。

126701931629816319966_ur_shrineウルの遺跡。
 
神はアブラハムに語りかけて、彼に旅立つように・・ここでアブラハムは間違えたのでしょうか?
父のテラも甥のロトも一緒に旅立ってしまいました。{神のことを知っても、その命令、願いを取り違いをして仕舞うこともしばしばです。}
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数年かけて、カナンに着いた時に、エホバ成る神が自分の神であると認識 自覚をして 自ら祭壇を気づいて、神に感謝の捧げ物をしました。
祭司メルキゼデクに十分の一の捧げ物をする前のことでした。

アブラハムの息子、ヤコブもベテルで信仰によって十分の一を捧げています。創世記28:22
全能の神エルシャダイが私たちの神になって下さった事と礼拝をするとき、捧げ物を持って感謝をすることはごく普通のことでした。律法や慣例で決められた十分の一以前に、心からの感謝と礼拝行為 行動が捧げ物、十分の一だったのです。

けれどもその時には、信仰無くて捧げても 神は拒まれることを知りましょう。
 
c75e56bfバビロンの空中庭園の遺跡前
ヘブル 11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。

 
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献金に対する疑問や不満が

案外。多いのは何故でしょうか? 

そもそも、神にお金や品物を捧げる事とは一体なんでしょうか?始めて捧げ物を下聖書の記述は、カインとアベルが最初でした。アベルの捧げ物を神は喜ばれ、カインの捧げ物を何故か!?拒まれました。

その詳しいわけは、ご存じのように聖書(創世記4章)には書かれていません。神は捧げるときに喜んで感謝しているか否か!?カインの心は見られたのではないでしょうか?
カインは弟アベルが祝福サレ、自分が受け入れられなかったと知って、逆恨みをして弟を殺す迄に発展しました。悲しいことに人類の初めての殺人は家族、兄弟に向けられたねたみと怒りでした。


アブラハムは戦いに勝利したあとに、シャレムの王であり祭司メルキゼデクがアブラハを祝福にやって来ました。それに対して、礼拝と戦いに勝った感謝の意味もあっただろう、アブラハムの財産から、その十分の一を、彼、アブラハムの意志によって、祭司メルキゼデクに捧げました。聖書に書かれている初めての十分の一です。祭司メルキゼデクは500年以上、生きたノアの長男セムだと言われています。

メルキゼデクは称号であって、個人の名前では無いと言われています。

メルキ=私の王、セデク=義という意味が重なって出来た称号。
主キリストもメルキゼデクに勝る大祭司とされました。(へブル5:9〜10)
私たちクリスチャンは大祭司であるキリストによって、とりなしをされ祈られている存在なのです。
私たちは、何か捧げる時。献金する時、心の中を吟味してから、神に喜ばれるかを確認してから、行動しなくてはいけないと思います。

創世記14:20 あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

その後、多くの年月を経て十分の一の記述がレビ記等に書かれています。<続く>

 
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  神をもてなす。

今日は 信仰の人といわれたアブラハムの姿勢についてお話をしたいと思います。

アブラハムは神から直接、話しかけられる人でしたが、いつもいつもそうでは無かったのです。
今度は何時1神様に会えるか?話を聞けるかと待ちに待っていました。そんなある日のこと。

創世記
18:1 主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。
 18:2 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。
 18:3 そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。
 18:4 少しばかりの水を持って来させますから、あなたがたの足を洗い、この木の下でお休みください。
 18:5 私は少し食べ物を持ってまいります。それで元気を取り戻してください。それから、旅を続けられるように。せっかく、あなたがたのしもべのところをお通りになるのですから。」彼らは答えた。「あなたの言ったとおりにしてください。

 アブラハムは、上記に書かれた少しの水だけではなく、パンや菓子や、最上の牛を屠って、最高のおいしい牛肉料理も、旅人の姿をした神に提供し、大歓迎の意を表しました。

  アブラハムには、神は直接。以前にも現れていましたが、いつも いつも現れていたわけではないです。彼の心の中には、その経験と聖書の記録から、彼は神に出会いたいといつも心の中で願ったいたことがわかります。霊である神がまるで人のように見えて、旅をするかのように、アブラハムの前を通り過ぎようとしていました。
 私たちは普段は神様を直接、見ることは出来ませんが、私たちが霊的に、恵まれた時に、神の臨在を見ることが出来ます。時には神の気配を感じたり、霊的な神の言葉が耳にしたり、心に神の言葉が響いてきたりもします。と言っても普段からこのようなことは多くはないです。神を知る方法は様々です。多くは聖書の言葉を通して神に近づくことが出来ます。

 私たちは、神の導きを感じたり、知ったときには、神を歓迎する心で礼拝を捧げる心 
いつも求める心が大切です。 神様に会いたい! この願いをいつも持つことも大切です
神のと人間関係、友情を 信頼関係を築き上げる事が重要です。 

 普段は神を直接。見たり感じたりは直ぐには出来ません。でもいくつかの経験と、聖書を通して、神を知ることが出来ます。この場所で、教会で聖書を話を聞いて、あなたに真剣に神と出会いたい気持ちが起きるなら、神はあなたに近づいてくださいます。その第一歩は、キリストを求め信じることから始まります。見方や考え方を変えるなら、あなたの新しい人生が始まります。神を信じる決意には決して遅くはないです。

新約聖書 エペソ 3:12 
「私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。

  日々の生活に追われている私たちです。けれど、今日の場所で聖書の話を聞いて、あなたが真剣に、神に祈りあなたの人生の祝福と願い求めるなら、神はあなたに近づいてくださいます。繰り返し伝えられた中に基本的なことを見逃しています。キリストの十字架は、あなたの人生をやり直すことの基本的な救いが隠されています。

ペンダントやネックレスになるくらい誰でもがキリストの十字架のことは知っています、
 でもその 意味を知ろうとしたり、求めたりする人は少ないです。
  キリストを信じる物にはすばらしい力と恵みが耐えられます。ただ 黙って動かないで待っているだけでは与えられないこともあります。奥義が隠されていますし、探さなくてはいけません。

神が、今日。あなたのそばにいる間に、先のアブラハムが出来きた最大限の歓迎の意を表すことも重要です。もちろん、私たちは、牛をを飼育しいません。でもその最大限の歓迎の意を持つことは大切です。誰しも、自分が歓迎されるとうれしいでしょう。神も人間的な部分をもっておられます。  あなたが神様との個人的なつながりを深めていただきたいです。神との個人的なつながりの底辺では、信仰が重要です。信じて待つ心です。


ヘブル 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

聖書の話よりも、しばしの一休みや、食事のためだけであっても歓迎します
今日。皆さんが聖書の話を聞きに来てくださった事を感謝します。歓迎をします。
    
今日それだけで終わらないで、神様との個人的な関係、絆を深めてください。神の救いを自分の人生の中におきませんか?

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戦争と再臨の噂を度々聞きます。 主のご再臨の噂も飛び交う。今日この頃。 災害=おおきな地震 火山の爆発などが頻繁に起き, 戦争の噂も以前に増して強まってきています するとクリスチャンの間からは、再臨の噂が出てきます。 確かに三里は素晴らしいですが、その場にいて  仰ぎ見られたら素晴らしいでしょうね。 しかし、アブラハムに語った神の約束の地が完全に実現には至っていないと思います。   ユダヤがユーフラテスの領域まで 広がっては未だいないのでは?。約束の地は、「エジプトの川」からユーフラテス川までの領域とされ (創世記15:18-21、出エジプト記23:31 
        
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見解が別れる約束の地ですが・・またこの約束も、まだだと思います。 東の国で主が恐れられる位に= 日本人が多くは救われていない。 再臨、確かに素晴らしいですが、日本が救われていないので、素直には喜べない。 1980年代。ユーフラテス川の畔で、仕事をしていたことがある私は、 {ここまで・・この処までアブラハムに約束した地になるのだ!}といつも思っていたのす。 だから余計に、再臨と聞いて浮き立たれると ちょっと待てと、自分自身の心をブレーキかけてしまうのです。
少しでも、一人でも 日本人が・・『東の国が救われて、あなたを 父なる神を崇めて恐れる人が増えますように!』と祈っているのです。
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祈りを聞き、果たされる神。

前記のNO24と少しかなさります。
創12:1 主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」
私はアブラハムの生きたか、信仰にあこがれを抱いたのは、洗礼をうけた14歳。
それからアブラハム生まれたウルやダニエルが活躍したバビロンにも行ってみたいと単純に小さな願いを祈りました。      

                   下記の写真はウルの神殿跡

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神様は、1度祈って事をしっかりと覚えて下さいますね。
それから18年後、33歳の時に、それが実現しました。仕事ととしてその所を訪ねることが出来ました。社用ですから、旅費は要りませんでした。
 
また、パウロが難破遭難してたどり着いたクレタ島にも行きたいと願って実現したのが15年後でした。
何故? 多くの場合、創世記から読み始めていくでしょう。(^_^) 
神は語らずとも必ず答えを出します。 

                写真はイラク ユーフラテス川の背中に
ユーフラテス川1 (1)

中には自分の願った通りで無くても、良い結果をもたらします。神は良い方 善なるお方です。

神様は、必ず神様ご自身と個人の関係を大切になさるお方です。
トマス同様に、私たちにも、信じる事が出来るようにも助けて下さいます。


 その鍵は信頼です。

あなた自身が、誰かに何かを頼んだとして、いつも応えて下さると、その方を信頼が出来るようになりませんか?
1度口に出して御願いして、頼んだあなたが忘れていたとしても、「はい!これ。」と言われたら
驚いてその方の信用度、信頼が増し増すね。

信頼は信仰の鍵です。 神は絶対に良い事をして信頼です。
逆に言いますと、あなたが絶対的な信頼を寄せていると解った人は、他の人を差し置いて、なたを信用信頼する人の為に、答えを出そうとしませんか?

神はアブラハムに現れて、この個人的な関係が深まるまで幾つかの答えを先延ばしにもしましたけれど、必ず答えを出されました。

癒やし.この永遠の命が最優先。喩え死んでも、復活をして永遠に生きるのです。
この感謝と永遠の救いの信頼がなければ、この地上で癒やしはないのでは無いでしょうか?

難病であっても、「神には出来ない事がありません。」と言い切れる信頼関係は、小さな信頼の積み重ねです。

あなたは神に愛されています。神の表れを待つ気持が少しでもあるのであれば、先ずはあなたが神様を深く信頼することからですね。祈っていない亜子とは経験しません。直ぐに答えない。
経験しなかったと諦めてはいませんか?

神さまは絶対に良いことを、私たちして下さいます。その一つが癒やしと慰めです。

 
少しでも、神様に近づきたい信じたいと言う人には、トマスのように信じられるようにもして下さる神さまです。最初。トマスはイエス様の復活を信じられませんでした。この目で見ないと信じられないタイプでしたね。 それでもイスス様は、穴の空いた手を見せました。

癒やしは、イエス様の復活の力をただいて、病んだ身体の一部を復活されて新しくします。
これは癒やしで在り復活の恵みでもあります。 信じないものでは無く 信じる人であって欲しいとイエス様は語っています。

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今朝から、神戸は雨模様。

 私が住む六甲山系地区に春霞も掛かりました。
アルバイトが休みのシフトでしたから、本来は今年も終わりに近づいている梅林の撮影に行く予定でした。


買い物に出ようとして雨に濡れた沈丁花の花が綺麗でした。
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 お礼にプレゼントしたい買い物もあり、ついでに映画を見ようかな?と思い出かけることにしました。

神戸ハーバーランドに立ち寄りプレゼントの品物を買いました。

その後JR高架下を三宮まで歩くことにしました。そぞろ歩きだと案外時間が・・3〜40分かな?

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 この高架下は元高と言う名前の通りですが、通称、神戸 のみの市通りとも呼ばれていますよ。
シャッターが降りた所もまばらに有りますが、色々面白い店が多数あります。

 古着屋、骨董品、アンティーク時計、立ち飲み屋、食堂、シルバーアクセサリー ブティック  シューズ数えると切りが無く小さな間口の専門店が多くありますから、中古LPレコード屋 電気屋もあります。三ノ宮から元町までは、若い人向けの店が多く、元町から神戸駅までが蚤の市風で面白い店が多いですね。

 靴下 シャツの専門店で、和服を着たときに使用する下着を見つけて買いました。大阪の男性専門の呉服屋さんが商魂たくましく?勧められて お世話になった呉服屋さんである意味、義理で買ってから、着用するようになりました。

 夏は浴衣の下着としては蒸れないで涼しいですね。大丸とかデパート 有名店で買うと1500〜2000円くらいはしますが、その半値でした。私に、この下着(越中褌)を勧めた大阪の男性専門呉服屋さんは閉店して仕舞いました。あのご主人と奥さんは、今どうしているのかな・・?
三宮センタープラダにもあった歴史在る呉服屋さんも閉店しました。 

 和風というか小物には人気があるようですが、着物は普段から着る人が少ないからですね。それでも頑張っている呉服屋さんもありますけれど、、
何時も着物の売り出し案内のダイレクト手紙 チラシが着ています。

 幾つかみたい映画がありましたが、時間の関係で 「ワンチャンス」を見る事にしました。
オーディション番組から、一躍世界的に有名になったポール・ポッツの実話物語です。
人生には挫折があるが、希望を捨てないことを雄弁に語っている映画でした。少し涙感動、笑いも在り素敵な映画でしたよ。 公式サイト http://onechance.gaga.ne.jp/ 素敵なオペラも多数挿入されていて良かったですね。

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彼のきまじめさと心優しい人柄が偲ばれる歌声が大好きです。
人生には沢山のチャンスがありますが、多くは見逃してしまいますね。不安とか疑いが、そのチャンスを逃していると思います。

アブラハムが、3人の神の使いをもてなすときには、目を凝らしてその到来を持っていました。
牛をほふり良い肉を料理しました。子供が生まれると聞かされて、サラは笑って、そのチャンスを逃がそうとしました。神の言葉よりも現実を見たのですが、アブラハムはサラをたしなめ、ワンチャンスを逃しませんでしたね。創世記18章より。


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夏頃までには ノアの物語が映画となって封切りされます。けれど一部には聖書的では無い表現があるとか?注意深く深く見ないといけないかも・・。

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映画も外食も久々の贅沢をさせていただきました。鮭の腹身といくらのミニ丼とうどんのセットを美味しく感謝していただきました。映画のチケットで食事代も割り引かれます。独りでの食事ですが、神様に感謝と讃美しながら頂くと美味しく楽しく頂けますね。

三宮にも春の霧雨が降ってきていました。


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 アブラハムの生涯のブログを書き始める前に、

創世記12:1 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」
この聖書の言葉からの
私自身のアナザー・ストーリーを別のチャンネルブログに書きましたが、NO2としてこちらに書こうと思いました。NO1のアナザー・ストーリーはこちらにリンクしております。Googleのブロガー父なる神 愛の物語です。こちらをクリックして下さい。

バビロン壁画

                 
バビロンの城壁を飾っていたライオンの壁画
                  本物はニューヨークのコスモポリタン美術館他にある
 
 私が17歳だった時に、宣教師から創世記12:1 主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。とメッセージを聞いてから、アブラハムの生涯に特別な関心を抱くようになりました。
そして、私はイスラエルに旅をしたい。生まれた古里ウルにも行きたいな〜と思い祈り始めました。私は二十歳になり結婚しそんな、たわいも無い夢を次第に日々の生活の中で 忘れ去りました。

しかし、33歳の時に。神はその夢というか、小さく祈りに加えた数度の祈りを実現させて下さいました。

妻が癌で亡くなり、傷心の旅に出て パリの現地採用でアルジェリアに行きました。その仕事を終了してからイラクに行くように言われたのです。それはアブラハムが生まれ育った国でした。
 
獅子の門4空中庭園1 











左画像はバビロンのタイルの
イシュタール門。レプリカですが、右はく宇宙庭園の遺跡の前 
イラクでは4年まり滞在してイマした。休日のリクレーションとして遺跡を訪ね観光することが出来ました。 遺跡後には幾つもレプリカが造られていました。イシュタールの門の本物はドイツ ベルリンのベルガモン博物館 にあります。<遺跡を発掘して持ち帰ったのです。この神経に疑問は?>


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バビロンは
ネブカドネザル王などほか古代アッシリアの王達によって造られた町です。
バビロンを見学中に小さな土器を発見しました。 イスラエルの民が捕囚時代に奴隷として働いていた町 国です 。
考え深い思いが湧いて着ました。ダニエルなど物語に、彼が捉えられていた牢獄は何処だったのか?とか火に焼かれないで生きておられた場所は何処なのか等を思い出していました。




1バビロン壁画バビロンのへ戯画と土器 



バビロンの他にも、イラクでも指折りの大きさを誇るグジラードの有るサマーラの町にも行きました。

このサマーラのモスクには予言者 ヨナの遺骨を納めてある墓がモスクの中にあります。  
イスラム教でもヨナは聖人の一人です。この干し煉瓦で作られた塔はバベルの塔をモデルにしてある聞きました。人影が見えますが、その中の一人は私自身です。




P9ヨナのモスクサマラの塔2 













バビロンはチグリス川の氾濫で埋もれてしまいました。それを延々と発掘中でした。また新たに人が住めるような町を造ろうとフセイン大統領が計画しているとかも聞きました。
バグダット美術館には色々の美術品遺跡からの埋蔵品が展示されていました。

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 イラク戦争でフェセイン大統領が捕まり混乱したときに、このバグダッド美術館が襲われ盗難に遭いました。今はもどってきたのかな?

下記の画像は獅子の門横にあるレプリカの前です。バビロン3
 
私の未だ30歳代。



 





下記の画像はアブラハムの古里 ウルの月の神殿。 この建築の方法が、 バベルの塔に近いと言われています。 バベルの塔が建てられていたところに、バビロンが造られてとも言われています。

ウルの遺跡31このウルの遺跡を発掘中、基礎を調べるために更に掘り下げると多数の人骨が発見されました。地下20m位だったそうで、地質学的にも古代・・ノアの時代の人骨だったのです。

このページにも触れましたが。フセイン大統領がバビロンを再建して、 現代の
ネブカドネザルになりたがっているとも聞きました。

しかし、そのことを現地のイラク人から誇らしく聞いたときに、この預言を思い起こします。
 



 
エレミア書51:37 バビロンは石くれの山となり、ジャッカルの住みかとなり、恐怖、あざけりとなる。
 51:38 彼らは共に、若獅子のようにほえ、雄獅子のように叫ぶ。
 51:39 彼らがいらだっているとき、わたしは彼らに宴会を開き、彼らを酔わせて踊らせ、永遠の眠りについて、目ざめないようにする。──【主】の御告げ──

フセイン大統領<フセインの記念切手>



51:61 エレミヤはセラヤに言った。「あなたがバビロンに入ったときに、これらすべてのことばをよく注意して読み、
 51:62 『【主】よ。あなたはこの所について、これを滅ぼし、人間から獣に至るまで住むものがないようにし、永遠に荒れ果てさせる、と語られました』と・・

チグリス川の氾濫などで、バビロンは15〜20mのドロの下に埋もれたのです。人々が住めなくなり 忘れられた町となっていました。フセイン大統領は、聖書の預言を知っていたのか?知らないのか?このまりを復古する意志を持ったために。神の意志が動いたのでは無いだろうか?

 さて、このイラクの砂漠で、私は、火の柱を見たり、うすらの大群に出くわしたり 神の臨在に打ちのめされたり、旧約聖書の出エジプト記のような体験をさせていただきました。神様に感謝です。

信仰が正しかった、強かった?いいえ、その逆で、妻を亡くしていたショック・教会内の対人関係のゴタゴタなど・・神はいないように感じ、クリスチャンを辞めようかと考えていて、そんな時に火の柱を見ました。 神の一方的な憐れみです。

イザヤ 59:1 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。 59:2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

いかなる時も、どの様なときも、神は無言でも私達を見守り、導かれる父なる神なのです。
 
 
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