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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:アドバイス

今日は、兵庫県のたつの市に出かけました。

私は神学校を卒業してから、40日断食を、愛知県足助に有る断食祈祷院で行いました。
リンク→断食愛知断食センター

もう20年過ぎましたね。同時期に、1人の牧師先生が同じく40日断食をなさいまして、大変親しくなりました。丹治記達成のために、大概に祈り合いました。その後、その牧師先生の教会に何度も招かれて礼拝メッセージと伝道プログラムとして、料理教室伝道と誰でも癒やしの祈りが出来るようになるようにセミナーを開くミニストリーをさせて頂きました。
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その後、九州に任命地があり、中々お目にかかれませんでしたが、祈りの課題を挙げて互いに祈り有ってきました。大きな教団に属しておられ、この度は、教団内でお一人の牧師が引退なさり、後任として、この度は神様の導きですね。兵庫県たつの市に任命されておられました。
4月に連絡がありましたが、今日、
初めてお伺いをさせて頂きました。急に予定が空いたので、昨日電話をし、訪ねました。
教会の方々とも親しく交わり、自己紹介をさせて頂きました。
私のミニストリー内容を知った方 教会会員さんが、牧師先生に要請なさったようで、近々 ミニストリーが出来るように機会をも受けて下さるようになりました。

礼拝後、食事をご馳走になりながら、近況を話し合いました。
初日と云うこともあって、ズッ〜と話していたかったのですが、適度な時間を見て帰路につきました。 

途中に龍野城に立ち寄りました。天守閣は無くて書院作りのお城です。
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明治に入り、日本にあった多くの城が、取り壊されました。明治政府に反旗をひるがえすことを恐れた方とも云われていますが?

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現代に至っては大変、惜しいことです。姫路城ほか幾つかの城は住民の熱意と誓約をして、取り壊しを免れています。龍野城は 後世になって立て直しが行われました。

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石垣は築城当時の物です。キリストに土台を据えたならば、色々の問題があって教会を離れても、神の言葉が心に土台として残っていれば、また城のように、信仰を立て直すことが出来ます。 聖書の言葉を日頃から蓄えましょう。

箴 8:17 わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。一旦、分け合って教会を離れたが、何処の教会に行けば良いのか?信仰の原点に戻りたい方の為に、私は聖書からアドバイス カウンセリングをしています。

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たつの市は薄口ヒガシマル醤油でも有名なところです。また赤とんぼ動揺の故郷とも云われ
揖保乃糸のそうめんでも有名なところです。
神様の導きと出会いに感謝します。
今日のメッセージは私にはタイムリーな説教で感謝でした。
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私達の人生を道に

喩えることができます。
穏やかな海に、嵐の海に、進めども先が見えない大海原の海にも喩えることも有ります。

人生は谷あり山ありの道にも例えます。私はこの例えからイメージできるところは、詩編23です。
ダビデも多くの苦難と試練。人生の行程を歩みました。

私達は家族 友人に守られ支えられながら生きています。けれど、大きな苦しみ、悲しみに。何か大きな問題は孤独の中で現実を直視し決意し、決断しなくては成りません。

       

決断をする際には、誰かのアドバイスを求めませんか?けれど、ここにも問題が潜んでいます。
アドバイス 相談する人によって、私達の決断、行動や考え方が左右されることがあります。

愛する家族を失い、重病になり苦しみ。その苦しんでいる様子を見た妻からも罵られたりしたヨブです。そこに3人の賢者が現れます。
ヨブ記には3人の賢者が、ヨブに対してアドバイス・意見を述べています。
3人の人格・信仰から、3人の考え方、信仰 その人格と申請から、それぞれに特徴ある意見を語りました。そしてヨブにアドバイスし意見して指導、示唆もしています。

けれど。ヨブが抱えた問題の本質と苦しみからは救っていません。
最後には、ヨブは自分自身の信仰から決断を下しました。
アドバイスした人は、本当の意味では責任を取りません。

この世の物質的な助けとは違う、なにか? 神との結びつける何かを語り、信仰を深めるより、神から引き離そうとした面もあります。「あなたがそこまでして神を信じるのに、何か良いことがあったのか!?君が間違ったら、この試練が来たのだろ? そんなに信じても神は良いことをしないだろ!?」
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正しいとされる神の言葉。聖書の言葉に従っても、実際問題・現実問題・・中々解決されないよう現状が変わらないように思えることもあります 。

ヨブ9:12 ああ、神が奪い取ろうとするとき、だれがそれを引き止めることができようか。だれが神に向かって、「何をされるのか」と言いえよう。
ヨブの告白は、絶対的な神にたいする服従する決意表明ですね。
現実が迫るときに‥私達はこのように思います
ヨブ23:2〜3{私の手は自分の嘆きのために重い。ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。」
けれど神は即答を控えます。

それでも、ヨブの3人の友人はこの決意後にも 色々語っています。
ヨブ 28:28 こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」と告白後にも、ヨブの心も揺れます。この揺れるところ‥私達の心です。
次々を色々の問題 現実と言うライオンが襲いかかるからです。 

神は嵐の中から、ヨブに答えます。ヨブ40:1 そう言えば・・エリヤにも嵐の中から答えましたね。第一列王 19:12〜13 

さて、主は嵐の中から答えて<主の声は嵐の稲妻ようかも!! >
神は答えて、この世とは違う創造主の権威を示す。その服従。けれども、この世のルールの中にもある、神の存在に目をとめるように示唆なさいました。これはどのようなことなのか? 神はこの世の下で、様々な状況下でも、神を見いだす事。従うでは無いでしょうか?この世のしきたり、ルールの中、争いにも巻き込まれたとしても・・。

 最終的には個人が、その決断の負い目を負います。アドバイスした人は責任を負いませんが、下記のように、神からのしかりを受けます。
 
ヨブ42:7 さて、【主】がこれらのことばをヨブに語られて後、【主】はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。

良く聞く話で、あの人が言ったから‥私はこうなった!あんこと言われて、私がこうなった!
責任転換は、神は許されないですね。 この世で生きている限り、様々な現実問題の中には、己の要因 原因も含まれます。冷静に見て、神に相談 祈り願うことが大切です。悔い改めることは、悔い改めなくては成りません。

色々な意見を述べて 、ヨブを傷付けた3人を、神は祝福しなさいと命じました。人は自分を傷付けた人を許すことは困難です。しかし、神はその命令に従った時に、 ヨブ自身を祝福して、全てを回復なさいました。 あなたを傷付けた人は居ませんか? 恨んでいる人は居ませんか?
赦しの祈りを 祝福する祈りをしませんか? あなたが祝福されるためにも。

ヨブ 42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増された。
ここに、私達に負い目、苦しみを与えた人にも赦しの告白と赦しの祈りが必要で有る事が、神が示されています。万人祭司でもあります。

最初、ヨブは神の守りの中でも、マイナス要因の言葉を告白して、心配していましたので、サタンは其処を突きました。 

ヨブ1:5 こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

先々のことを計画することは、良いとしても、心配し過ぎは良くないですね。
『明日のことを思い患うな』とも 聖書マタイ6:33〜34 に書いてあります。患うほどに心配することは良くないと思えます。神様が語られた、『私が支えて守る。』イザヤ 41:10 でいわれた言葉に相反しています。
 
イザヤ 41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

キリストを信じても、ざまざまが事が有ります。病になります。「神よ 何故ですか?」と恨むのでは無く、神から目を離さない忍耐を、ヨブから見習う信仰を求められてる気がします。
これらの記事 ブログを読んで下さった方に 神からの祝福が豊かに注がれますように。
      私は祈ります。
 
詩 60:5 あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。そして私に答えてください。
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ある方の書いた後藤さんのブログを見ました。

後藤さんの所属牧師だったら、彼には、どの様に指導したのだろうか?と書いてありました。

 私は湯川さんのために命を捧げよう、危険を冒しても。。その彼
の心は優しい

隣人の為に、命を捧げることも聖書で言われています。 良き佐マリア人も聖書では教えています。

今は、彼を殉教者のように言われ始めています。
しかし、家族がいたら、家族を優先することも大事なクリスチャンの行動と私は思う。 


               
夜中に、訪ねてきた旅人のために、パンを借りに着た隣人を、最初は断った本当の理由は、その断った人の家族=子供為でした。父親として、子供に聖書読み聞かせて教える大事な時間だったと思われます。 それは、寝る前には、子供に聖書を教える事、信徒として成長させる事が、最も父親として重要だったのですから・・

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私は、戦争中の1980年代 イラクで4年半過ごしました。
私の家族は両親。結婚は死別でしたから・・  高度成長期にでもありましたから大勢の日本人技術者が単身赴任していた現場でも仕事をしました。 単身赴任中には、父親としての義務、キリストの事を、子供の残す信仰遺産は不十分になります。

さて、彼は危険地帯を歩き回り、それからの慣れが油断を生み出したと思える。
 アラブ人は一般的に親切、義理堅い。キリストの話しも旧約聖書の部分は聖書を分かち合える。

先祖からの遺伝子。遊牧の民の気質が残ってもいます。
日本は定住の農耕民族の遺伝子の違いがあります。
遊牧は、出会っているときには親しい。別れたら、それで交流は終わり。遊牧してその地を去れば砂漠では滅多に出会わないよ。

何年間も年賀状は書かないね。恩義は感じない その場の付き合いが多い。

気が許せない点が、長く付き合うと見えてくる。ガイドに裏切られたことも、私には解る。
ガイドを信頼できたはずだけれど、彼の心の欲望までは見えなかったのだろう。
 
TVで涙流していたガイドが行かないところへ・・そのガイドの彼が危険だと行った所に、
後藤さんは出かけたのは、慣れと油断が有ったのでは無いか?
『絶対に戻りますからね!』  との ビデオメッセージを残していましたけれど、油断が・・
慣れがあったのでは?と思います。
冷静に見れば、自己責任の範囲は、日本国内だけです。海外では国と国が その人の責任を負う取り決めがあって旅券が発行されています。
 
友人のために、命を捨てる覚悟が出来たから、最後になってしまった、自分撮りのメッセージとして自己責任と言ったのだろう。

しかし、クリスチャンの父親としての選択をして、一歩 下がれば良かったのではと思う。
勇気を持って下がることもクリスチャンとしても大事なことだと思います。


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 悲しい結果には変わらない。 最終的な事は神様が決められます。アラブの人たちも、彼の死を悼み、世界平和のために祈りの輪がアラブ人の中にも広がったことも、彼の功績。
戦争の悲惨さの中でも、普通に生きている人の事を、生きて伝える事も彼が出来たことだったので残念ですね。

イラク。キルクークで空爆に飛び交う中で生活。爆弾が抱えて飛び立って、帰りの飛行機には、その爆弾を投下して返って来ます。

現場でしか知解できない温度差がありますね。後藤さんにしか理解できない世界観と温度差は否めない。 牧師だから クリスチャン記者だからでは無く、。その前に、父親として家族を優先して守って欲しかったと思います。

 
彼の魂が、天国にて安らぎますように。祈ります。残された家族に平安と慰めがありますように。


 
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 カウンセリングをしています。


今日の夕方に会食をしながら話を聞き、カウセリングをしました。
出会ったのは数年前、出会う度に、話を聞き アドバイスと祈りをしてきました。

ネットで、私の事知り、連絡を下さいました。

本人は、精神的な病があると言っていました。確かに出会った頃には多少、落ち着かない点も希に感じましたが、それ以外 特に気になる言動行動は無かった。
普通の人、青年でしたね。

精神的な圧迫を受けた人には、多少 キレる傾向があると自己判断をしている冷静な感じでした。
精神病で無くても、それは誰でもおなじ事ですが・・

家族からの判断と、そのこと受け入れた医師からの渡されて、安定剤を飲んでいました。

躁鬱病=精神病の判断が、一旦なされると、医師は薬の処方を止めないですね。処方さえすれば、医師(多少偏見のある意見ですが・・)は収入源にもなりますから ・・手放さない患者としてもあるのでしょうか?

半端でない薬を処方して飲ませる医師もいます。問題になってニュースにも流れたりします。

出会う度に、出来るだけ、自分から医師に頼んで薬を減らすようにとか、セカンド&サードオピニオン 医師と病院を変えても診断して貰うように勧めていました。
聖書からの言葉も、アドバイスの言葉の織り交ぜて 祈りました。私と話して会食をしたり
大阪の奉仕先の教会にも、一緒に出かけていたときもあります

彼とおなじ青年が、私の教会には居ませんので、おなじ年齢層が在籍している教会を紹介。
又 彼も 彼自身に会いそうな教会をネットで探して訪ねたりもしていました。

将来のこと考えるように進めてから、積極的に前向きになるように勧めて祈ってきました。
幾つかの預言もして、その順に叶えられても来ました。

就労支援センターにも通い始めるようにもなりました。
彼が苦労した件で、おなじ苦労や苦しんでいる人々にも関わって、救いに導きたいと新たな
願いが起きています。

神学校に行き学びたいと新たな願いが起きています。 そのための基本条件を今日は教えて話し合いました。

 少しずつ着実に 癒やされて来ていますね。私にとっても嬉しい事です。

今日は 久しぶりに ステーキガストで会食したあと 癒やしと将来の導きと、祝福を祈って来ました。

会食1



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人を生かす言葉       イラスト 聖書

  


今週初めは、奈良の教会に出かけておりました。数年年前にもなりますか? 40日断食をしていたときに、その断食祈祷院で出会った方からの招待でした。


彼に出会ったときには、糖尿で体調も悪く、事業も不振で落ち込んで、断食祈祷に来ておられた時に、私たちは出会いました。その後、お手紙などの連絡はありましたが、私たちは逢ってはいませんでした。お久しぶりに出会って彼は、私に、『あのときに、教えてくださった言葉とアドバイスで、私の人生は変わりました。健康も事業も収益が上がりました。』と大変な喜び、目頭も熱くなさっておられました。

 

出合ったときに、私は彼のために祈り、イエス様が彼のために示された祈りの言葉と共に、聖書の言葉を示しました。祈るときに、神様に質問しつつ祈ります。 私は『イエス様!!貴方の愛する方が、私の前に居られますので、適切な言葉を下さい!』と祈ります。


少しばかりのカウセリング、神様が下さったと霊的に感じたアドバイスで、彼を励まし希望の言葉を語りました。彼自身はその言葉を信じたのです。その言葉を実行したのです。聖書の言葉は喩えキリストを信じない方でも、書店では読むことができます。信じなくても聖書の言葉を知っておられる方もいます。

 

彼は聖書の言葉を信じ、カウセリングに耳を傾けてから、色々のチャンスに出会いました。見えなかった世界とチャンスが見えたのです。その言葉とは・・・

 
 『あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日の通りに果たされるためである。』申命記8:18です。 

彼はその言葉を心に据えて実行したのは、彼自身です。「その時から体調がよくなり、事業も収益が上がった。」と、感謝を述べられたのです。 神を真剣に求めた時から、色々のチャンスが得られたそうです。

先祖の約束とは、アブラハムをさしております。またアブラハムはイエス・キリストの型です。詳しくはその祝福の契約は、聖書 創世記に書かれています。

 

神様が、その彼の心労を知っておられて、励まされたのです。でも、聖書の言葉を『知っている、信じていた。励まされた。実行しよう。』と『知っていたけど・・中々、信じられない。実行しない!』では大きな違いが在ります。 過去や停滞,完了ではなく、未来に向かって、神が与えてくださった言葉を希望に変えて、明日に向っていくので、彼自身が祝福と生きていく希望を得たのです。


確かに、不安や厳しい現実は次々とあります。でもそれらを変える事が出きるのです。神の言葉を実行に移す決心が必要です。

 

私たちが、神や信仰を持たないとしても、人を生かす事が出来る言葉を選んで、隣人に差し上げたいです。

私たちは、神のよって生かされている者。生きていこうとするなら、明日という日は希望に変わるのです。たとえ、今日には苦しみ、困難があっても・

それらを生み出す言葉は 私たちが思いやりの言葉でもあり、人を生かす言葉です。また直接、神が下さる生きた言葉です。

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ゼラニューム秋めいてきましたね。お元気ですか? さて土曜日16日には、数年ぶりに友人がたずねて来てくださって出会いを楽しみました。自宅に泊まってくださり、久しぶりの会話を楽しみました。翌日には彼の自宅のある伊勢まで一緒に向った。数年前の台風では、彼の自宅が宮川の氾濫で一階部分まで水没したが、すっかり立ち直っていた。氾濫した川も、そのことすら忘れたかのように静かにせせらぎ流れる川となっていた。近年では異常気象で被害も出ているが、立ち止まってはおられない生活がある。被害を受けて時には、彼の友人らが助け励まして力となったと静かに語っていた。
 
私も彼との出会いがあって今日に至っております。数年間になりますが、三重県津市でのセミナー講師として話しに出向き、彼のほうから声を掛けてくださったのでこの出会いが残った。世の中には一期一会を言う言葉がある。彼はそうしなかったのです。手紙や電話で色々話しあい、多くの励ましを受け、お互いの考えや思いを伝えてあって確認しあっておりました。今回。私がふと漏らした言葉を心に刻んで覚えてくださり、大きな助けを今回与えて下さった。出会った最初の頃には、このようなことは思いもしなかったことでした。

人それぞれには幾つもの出会いがあります。その一つ、一つにはやはり大きな意味があります。その点では一期一会は無いのではないでしょう。その出会いを一度きりにするかどうかは、私たちの心の選択で決まるのでないでしょうか? 出会いによって助けられ励まされます。あるいは傷つき悲しむ出会いもあります。出会いによって恋が生まれ、愛が育ちます。深い友情も育ちます。 人生を変える出会いもあります。

先週はテロについて書いておりましたが、そのテロを起こした人々にも出会いがあります。悲しみや問題を共有しあった出会いが、私たちの想像を超えて爆発したのです。彼らにはその出会いが有意義な出会いと思えたのでしょう。同じ考えの者の出会いが、テロもたらすようになったのです。

最近。北海道稚内で少年が、依頼殺人を犯してしまいました。TVの内部真相では、その少年たちの両親は離婚していて、同じ境遇で励ましあってリセットしたかったようです。その依頼を断ると、孤独な生活に戻る不安が強く怖くて、常識概念を越えてしまったようです。よき理解者や彼らの人生に励ましを与える大人が、身近にいなかったのは悲しいですね。

ある身近な人からのアドバイスで、国を変えることもあるのです。
戦後、近江(滋賀県)に住んでいたクリスチャン・ビジネスマンが、マッカサー大佐に進言して、日本の歴史と国民性を力説しました。その後、昭和天皇との出会いを生み出し、歴史にも例が無い戦後保証金が無くなり、天皇制も守られました。

政治を行う人々も、私たちの推薦選挙が必要です。誰を選ぶか?新首相に選ばれる背後にも、色々の思惑。複雑に絡んだ出会いが存在しております。政治家は、私たちの出会いから、出会いと繋がってといることを。一人一人の顔を忘れないで、すみやすい日本を生み出して欲しいものです。敵対勢力はある意味では、よきアドバイスも生み出します。聞く耳のある、国のリーダーが欲しいですね。

さて、このブログを、私が書き始めるきっかけも、一つの出会いからです。思いもしなかった方が、また私が数日前から書いていたブログを見てくださって、コメントまで頂き励まされております。ブログ上であっても嬉しい出会いです。
私は、明日に向ってよき力となるように、小さな日常の中にある出会いを大切にしたいです。その中に隠されている、神の励ましと力と愛を見出したいです。

十戒で有名なモーゼは、人生の失望の果てに、砂漠にひっそりと隠れるように生活している中で、神に出会いました。彼は偶然とは思わないで、神からの訓練を受けて、イスラエルのリーダーとなりました。彼が80歳の時です。人生に勇気を与える出会いを、これからも探して生きてゆきたいです。人は一人では生きてゆけない。お互いを認めて助け合うように、神に作られていると思います。

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