癒やしと契約の関係を書き始めて、

今回で40回目を迎えました。ご覧くださった方々には、神様からの大きな祝福が在りますようにとお祈りします。
 
さて、アダムが、神との契約を破り、犯した罪の結果。私たちの命は限りある者となりました。しかし、天の父は、私たちに永遠の命を与えるために、計画変更をしてくださいました。

私たち自身がこの世に生まれてから、神に背いた罪と、アダムから私たちが受け継いだ原罪から宣告された永遠の死。それらから、私たちを救わんとして身代わりに罪を背負って死なれ、復活した神の御子キリストを信じる事が条件です。

ロマ 6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

神が与える永遠の命。この福音を、この世の人々、隣人、家族に伝えるためのチャンスをうかがっている私たち、クリスチャンです。
永遠の命.この福音を信じるには、天国の存在を知る事が前提にあり、復活のキリスト様の存在を知る事も大前提です。

現代、私たちは直接、キリスト様を目にすること少ないです。キリスト様を直接。見ないでも信じる事。キリスト様への信仰は、信頼の積み重ねでもあります。過去になった出来事を確認して、未来を確信することです。
ヘブル 11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
エペ 3:12 私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。

 父なる神の計画は、御子を犠牲にしてまでも、私たちに永遠の命を与えて、神ご自身の最初の計画に 戻す事です。私たちの願いや祈りが叶わずとも、永遠を、命を、信じる事が重要です。何故でしょうか?創造の主である父なる神。その保護下に入る。そして永遠の命を頂く!!それだけでも素晴らしいことだからです。
キリストの存在の確証・・そのしるしを求めずして信じる事は素晴らしいことです。そうですね。幼子のように、親が語ったことを単純に信じる.そのような信仰を持つようにとイエス様も語られました。

ルカ 18:16 しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。

私たちは、キリストが生きている、しるしを求めます。祈りであったり願いであったり・・。その答えがなくても、キリストを信じ天国を期待することは大切です。

ヨハネ20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
マタ 12:39 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。 写真はヨナの墓があるイラクのモスク
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ヨナのしるしとは、現代の私たちにはキリストの十字架です。キリスト様が歴史の中に存在したことは、私たちは知っています。歴史学者、例えばヨセフスはクリスチャンでは無かった。歴史学者と思う視点からキリストの存在をを書いています。        
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中学生の頃、最初にたどり着いた教会で私は洗礼を受けました。
前記、このブログでも書いているように、洗礼を受けた頃には、しるしをばかりを求めないで、永遠の命を信じるように教えられました。奇跡や癒やしは、使途行伝の時代で終わったとも、ある日言われて疑問を持ちながらもそうなんだと思いました。
人生の計画も、病気になったときの癒やしも、御心のままに・・というスタンスが長く続きました。ひとまずは祈って・・答えられてと思ったら御心であり・・答えがなかったら御心でないと諦めるそんなスタンスでした。

しかし、母が救われず、信仰告白をしないままアルツハイマー病の記憶喪失に成って、戦記の御心ままにが一点し変わりました。 『天国を押し曲げても母を救ってください』 その強い願いに変わりました。そのきょんきょと成った尊が下記の御言葉です。
ヨハネ20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
使 16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。

この御言葉二つを握りしめて、3年半格闘しました。癒やしを求め色々聖書を調べ、色々の牧師の話を聞きに出かけセミナーにも沢山でました。 徐々に現代でも癒やしはある.しるしは在ると確信を得て、母のための救いを求めました。{癒やしを求めたのでは無いのです。救いです。}
そして母の記憶が戻り癒やされ、母は自身の口から キリストを信じると聞いて、キリスト様を感謝讃美しました。
ルカ 1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
信じきった者にはしるしが伴う事も知りました。 使途行伝の時代だけではないしるしが継続していることを知りました。
 
ルコ16:20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。
それから色々積極的に成って祈り始めて、癒やしやその他にも奇跡的なことが多く起きるようになって来ました。 神は祈りに応えられるのは やはり信仰=信じ切って神に期待することでは無いかな! ただ神様は、私たち個人個人の・・否 神様ご自身の計画に従って答えられることが在ります。祈ったからと言って、天の父なる神様の計画が優先されます。中には直ぐに{私たちの計画 願った通りの時間 日にち年月}無くても 応えて下さると信じ切ったら幸いです。神はその事には答えられると信じて居ます。何年かかっても・・アブラハムには、神が答えるまで25年近くかかりましたね。