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心の風景、愛の聖書、福音と癒やしと日常から。ミカエル小栗

ミカエル小栗がつづる心の風景。聖書の福音は愛と救いと癒やし。日常の出来事の心の雑記帳風景ブログです。聖書に基づくカウセリング、祝福と救いと心の癒やしを祈ります。あなたの教会のメッセージ奉仕もします。ご依頼はメールにて!

タグ:#解決策

私たちがどんな状況下に陥ったとして、
思わぬ災害、病、解決策が見えない困難な状況 難問題を抱えたとしても、主キリストがおられ助け出される希望があります。そのためにも神への信頼を積み上げることが重要になってきます。
信頼は、一日二日で出来上がりませんが。それらを助け導いて下さる主キリストの霊、聖霊様がおられます。そして神様への信頼は、アブラハムとイサクの犠牲から、考えるとき、僅かでも神に従っていく決心さえ有れば、神は私たちの問題の解決の糸口を与えて下さいます。

アブラハムは神に従う、信頼をしようと辛い決心。折角、与えられた息子を決心をしました。その最後の時に、神はストップをかけて、解決の糸口、身代わりの羊をアブラハムに与えました。
病の癒やしにも良き医師や新しい医療知識と知恵を与えて下さいます。

 有るときには。、主を裏切ったとしたとしても、神への信頼を再び持てるように導きます。 
それは丁度。逃げた 裏切ったペテロ他の弟子をガリラヤ湖水辺でパンと魚を用意して待っておられた、主キリストの愛が有ります。

様々な問題 不信感 病を抱えてしまう私達です。 それでも見放さない主キリストです。 
ダビデも様々な問題を抱えたけど、その度に神から離れず 助けを求めて賛美し祈り願いをして 見放さないでと嘆願しました。私は癒しや問題解決の前に神を、深い愛を賛美しているのです。賛美の中に主 父なる神は喜ばれて栄光を表してくださると信じてます。

絶対的な信頼から生まれ信仰が芽生え、神との絆が深まります。
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そうです。聖書の世界観は、何となく身近に感じにくくて遠く感じやすいですね。けれど 聖書に登場した人たちは、私たちと同様に悩みながら 不信感を信頼に変えてきました。
少しでも 神の存在を身近に思えるようにと育ってくださる主キリストに、聖霊に助けられてきました。
私たちも 同じく 聖書の世界観は別世界では無く身近になるよう祈ります。
信仰が徐々に、聖霊様によって整えられてゆき、終わりの日にはしっかりしたものとなるように切に祈ります。聖書に出てくる信仰者達も私達と一緒です。
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その神の栄光が表されてあなたの抱えている問題や病の解決を見ることが出来ますように。
苦しみ 患難の中でも 神キリストには立ち上がれる力を持っています。言葉より涙しか出ない人々をかえり見て、信頼と希望を失わず保てますように いま一度 あなたの栄光の力 愛に溢れた慰めを与えてください。
ガリラヤで、パンと魚を用意して下さった主イエス・キリスト様。あなたの助けと慰め 励まし、具体的な解決と癒やしを待っています。 立ち上がれるように 信頼とやる気から与えて下さい。

アモス 4:12 それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。
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信仰を持っても

いわれない苦しみ 悲しみ 辛い出来事 愛する人の突然の死 事故死ほか言葉では言い表せない出来事、まだあるね、試練と解っも何故に?あと病などに 理解不能に成ります。
しかし 立ち止まり 再び キリストのみ翼の影 十字架の元に行くなら 私たちは救われ 癒やされます。
マタイ10:38 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。 中学生の頃に、始めて聖書を読んで、この言葉の意味が深くは分かりませんでした。でも『キリストに付いていこう!』と決心して洗礼を受けました。

自分の十字架とは何だろう?人生における様々な問題を、キリストの元に携えていく、その問題をキリストに下駄を預けること、一緒にキリストが背負って歩いて下さる事では無いでしょうか?
自分か抱え込んだ様々な問題を、キリスト完全に委ねて預けると、自分が背負う分が半減します。これは理論や理屈では無く本当です。神が解決するまで忍耐が伴うことも事実です。
直ぐに回答、解決されると焦ると間違います。あのアブラハムが神の心を間違えてイサクでは無く、
イシュマエルを産む結果となりました。神が解決、神の心に沿った約束を果たすまで25年間、アブラハムは自分の十字架を背負いました。
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人の力では無い解決を期待すること。 神に下駄を預けて忍耐し、神の介入を待つことが一つの自分の十字架では無いでしょうか?
キリストは一旦死んで、復活するまでの三日間の期間を父なる神に委ねられました。
<私たちも霊的に死んで復活 (問題解決する)期間がありますね。>

 差し迫った個人的な問題。私の身体に癌がみっかったこと! 癒やされる 癒やされないも神に・・自分の十字架として背負い神に委ねる、命をお任せすることでしょう。

 年金の入ったので全額おろして、財布に、けれど、作務衣のポケットに入れたは良かったが、全額落として、支払いに困っていることなども、自分自身の失敗さえも、神に委ねて知恵を頂く。 自分の十字架としては、その意味からは広いですが。
問題解決する全権を神に委ねることでは無いだろうか?、ある方は私の呟くツイートを見て下さって献金をして下さると申し出て下さいました。けれど別な方法、。届け出を期待しながら 感謝しながら一旦 辞退しました。神の介入 助けを期待しています。様々な、自分の十字架を背負う方法が有りますが、最終的には神が必ず解決します。
続く。
          

*いつも心の風景から、聖書の愛と福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます ブログランキング・にほんブログ村へ
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