私たちには、必ずと言って良いほど・・

心の故郷、風景が残っています。私は現在。神戸に住んでいます。神戸と言えば六甲山です。
けれど、私の心の風景は、富山にある立山連峰です。現在、何度目かの引っ越しをして、神戸市内の新居に落ち着き始めて、やはり思い出す立山連峰の雄志です。

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朝日、夕陽、四季に応じて変化し輝きを増す立山です。

中学生の頃、クリスチャンになり、神を求める気持ちを起こさせた聖書箇所があります。
それが下記の詩編 ダビデの歌です。

詩編  都上りの歌
 121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
 121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。
 121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
 121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
 121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
 121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
 121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
 121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

仕事、結婚、妻の死、辛いことが色々あり、教会から・・信仰からも離れたときがあります。
けれど本当に困って立ち止まったときに、 私の助けは何処にあるのか{1節}?と思ったときに、この詩編の言葉によって、そうだ!神の処に帰ろうと決心が出来ました。

真の助け、救いは神、キリスト様しかないことを悟らせる言葉です。
近日の出来事でも、引っ越しの費用とそれに付随している諸問題も一度に!ではないですが、経済的な問題に対して、神は様々な方法と知識、知恵を与えて、様々な人々からの祈りと資金的な助けを、聖霊様からの促しをあたえられた結果。無事に引っ越しが出来ました。
正に3節の言葉通りです。

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幼いときから、詩編のこの言葉をくり返し読み返し、正に食べてきた気がします。
多少、自分的にアレンジしている部分もあります。 例えば「私の助けはどこから来るのだろう。あの山の彼方から来るのだろうか?その方が居て、私の所に来て、私を本気で助ける人は誰だろう?やはりキリストしか居ないのか?」とも言い換えたりもしています。

御言葉を繰り返して読むと、自分の身体に染み込んで、、多少のアレンジでこうなるのかもしれない?

食事をして、今日はステーキ 今日は焼き魚と記憶しても・・その栄養が身体の血肉に取り入れられたら・・
何を食べたかを忘れてします。美味しい記憶だけが残りますけれどね!
聖書は勉強として知識を得るために読むのではなくて。霊的な血肉の栄養源なのです。聖書を読みながら涙することもあります。 聖霊様が個人的に聖霊の言葉を用いて語られた時。 生きた言葉となります。聖書何章何節は一瞬、消えてしまいますね。

私の聖書の証には、時々。聖書箇所を端折る・・省略してします傾向があります。牧師なのにと、ご注意を受けたこともありますが・・(^0^)  美味しい御言葉の記憶は あのときのステーキ、刺身だったけれど・・どのような詳細な肉の部位だったのか! 美味しい刺身はただ美味しくて、細かな魚種のどの分野だったかを忘れてしまします。後から板前さんに聞き直し マグロのどの辺りかを聞く事は有りますね。

何章何節での記憶よりは 流れで 文脈で記憶しているからでしょうね。

御言葉を食べて血肉となることをお奨めします。文脈読みをお勧めします。

黙示録10:9 それで、私は御使いのところに行って、「その小さな巻き物を下さい」と言った。すると、彼は言った。「それを取って食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」
聖書を食べるように読むこと大切です。
聖書はいつも甘くはない事も有ります。きつく叱り、注意を受ける言葉もあり、実行し難い言葉もあります。
それでも聖書は正しく、私たちを元気付けて励まします。また慰めて下さる神の愛に満ちています。
あの輝く立山の雄志以上なのです。

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 121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
 121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
今日の私の存在は、キリスト様によって存在しています。
神に逆らって過ごしていても・・『私の恵みは、その誘惑よりは素晴らしいぞ!』と 、優しく語って下さり 実証もして下さり、私に思い知らせて下さいました。

神は何もにもしてくれない!答えてくれない!とぼやき 嘆く方もいます。
神と向き合い方や 祈り方を変えてみると分かります。神は真実ですが、神が主権者です。神の決められたルールが有ります。一脱すると 中々 神は振り返らない事も有ります。
しかし、諦めずに 大声を出し探し求めた人には その愛を示さられます。探す事は 答えでは無くて、キリスト様 ご自身を探し求めなくてはなりません! 答えだけを求めると、答えが無い場合に遭遇する事もあります。

神は決して眠っては居ませんからね。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 と書いてあります。目を覚ますのは、私達の方です。

神への祈りは永遠です。

この詩編の作者 ダビデはイスラエルの一番高い山 ヘルモン山{シリやとレバノン、イスラエルの国境を境にして 2814m}を見上げながら、この詩編を書いたのでしょうね? 
下記の画像がヘルモン山です。

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 ダビデは祝福と苦難のくり返しの波瀾万丈人生でした。
その中で、立ち止まり、祝福を受けてエルサレムに登るときの歓喜の歌です。
神のご人格を理解している詩編です。 私達も神の人格に触れた祈りと賛美を捧げたいと思いますね。

イスラエルの山と言えば、ギルボアの山にはこのような事も記載されています。

サウル王がペリシテ人との戦いの際に陣を構えた。この戦いで、イスラエルは敗北して、ヨナタンアビナダブマキエ・シュアがギルボア山で戦死した。

ダビデはサウルがこの山で死んだ故に、この山を呪った。そのために、今日もイスラエル政府による緑化政策にもかかわらず植物が育たないと言われているそうですよ。
ダビデの祈りの力ですね。  

また地を解放する祈りも必要ですね。=呪いを祝福に変える=ヘンリーグリーパー師のミニストリーにもつながっています。

聖書は勉強、知識を得るためではなくて、神との交わりの道しるべ。霊的に食べる食事ですね。
聖書には その食事のメニューが一杯あります。美味しい食事をなさって下さい。

あなたさまの祝福を祈ります。