涙の果てにあるものは?愛と憐れみか!?

{この記事は前回のキリストを信じて数十年、何一つ良いことがなかった! どのように祈れば良いのか? どうしたら苦しみが消えるのか? NO1とNo2。地平線の彼方に。からの続きです。}

ふと思い出した。今日は妻が卵巣癌が告知された日。子供が持てないとわかり 所構わず泣いてしまった!病院内に響いたらしく 沢山の入院していた人から励まされた。 
妹が子供が産めなくなったと知った兄{妻の兄}は丁度、妻の入院中、双子を授かりました。その一人を養子にして妹の子どもとして育てても良いと・・。言いようのない思い遣り 愛を受けました。

しかしながら、直腸癌が元で卵巣癌になったのです。そしてリンパ腺から肝臓癌に転移しました。 しばらくは回復をしましたが、当時は肝臓癌の除去をするだけの医療が有りませんでした。医師からの告知で「半年持たないと言われ」義兄の胸で大泣きしてしまいました。義兄がシッカリと私を受け止めてくれました。義兄の目に光る涙で、私を少し落ち着く事が出来ました。私人では受け止められない妻の癌告知と死でした。

1977年2月 12日 「今までありがとう、いい人 見つけてね」と最後の言葉を残して旅たちました。葬儀は大雪警報の中 バレインタインの14日。私が改めてびっくりするほどの大勢の人、友人や職場から集まって見送ってくれました。妻は人から愛されるタイプだったと知りました。

妻の遺品を整理中。一冊のノートを見つけましたら、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、。お父さん(=私への呼びかけ。} 一緒に生きたい。」と走り書きを見つけました。 福沢諭吉の言葉、平等から、死に対する不公平を見透かしていたのかなぁと思いました。

妻が亡くなる前、キリストを受け入れる再確認をしました。 仕事が忙しくなってから教会に行けてませんでした。 妻は良く教会奉仕を楽しみながらしていましたが、私が行けないので、一緒に行けないなら私も行かない!と言ってくれました。

私が海外駐在員の時、妻の兄はよく私の両親を見舞って、父がなくなったら増して 母を訪ねて安否確認をして下さいました。
妻が亡くなると同時に親戚付き合いが消滅しがちですが、前期の感謝もあり、義兄の優しさもあり、今でもお付き合いをさせて頂いています。 素直な気持ちから、兄ちゃんと呼べています。
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その他の人からも慰めと励ましはクリスチャンで無い人からも受けました。背後にはキリストが居たからだと思います。
そして、キリストは私の心を夢の中で御言葉を語りかけ慰めて下さいました、 。

「私のふしどが私を慰め、私の寝床が私の嘆きを軽くする。」ヨブ7:13

「主が自分の民を慰め、その悩むやる者をあわれまれるためだ」イザヤ49:13

「みことばは、、これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。」詩篇129:50

下記 写真は35歳 カナダにて、20歳前からお世話になった(間借りして調理師をしていた。)宣教師夫人{引退してカナダに帰国}訪ねて行った記念写真。
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ホッとしたつかの間、又新たな問題や悩みは起きてきます。けれど神様と向き合って示されたり、または読み起こした聖書箇所のお言葉を握りしめて、迷い 落ち込み また立ち上がる日々が有ります。

神が私たちを産んだ日、救われた姿を思い出すこと、つまり初めの愛に、神に戻る事はとても良いことだと思います。
「生まれ出た時から、わたしに負われ胎を出た時から、わたしに運ばれた者よ、わたしに聞け 
わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」イザヤ書、46章3〜4

私自身もそうですが、心が癒されて神と向き合う事ができるようになりました。辛い時。やはり主を私たちの前に置く事は「わたしは私の前に主を置いた」詩篇16:8 

色々の出来事の中には理解が出来ないことがあります。そんなときこそ、神から離れないで、信仰を止めないで、何故なのか?尋ね祈る事が必要です。そんな理由は直ぐに分かるときと、年月をかけて納得することがあります。

苦しみや悩み。また落ち込んだとき、迷いの時の一番の早い解決は。やはりキリストを目の前に置くことではないでしょうか? キリストの、ゲセマネの園で父なる神の御心を伺い訪ね、出来るなら避けたい杯、十字架を避けたい祈られました。その理由を納得なさり辛い道を選択なさいました。そして、私たちが救われました。
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明日は日曜日です。教会に行く体力があれば出かけて 賛美の歌と賛美感謝の言葉を神に捧げてください。体調がすぐれなかったら、自宅でも 祈りと賛美する尊い素晴らしい犠牲を持って礼拝を捧げてくださいね。 

アブラハムは自分のテントにおいて、神の到来を長く待ち続けました。地平線の彼方か3人が訪ねて・・通り過ぎようとしたので、彼は慌てて引き留め歓迎しました。
礼拝するときに牛2頭を高価な捧げ物 犠牲を持って礼拝をしたのです。私たちもアブラハム以上の犠牲を持って神、キリストの前に出ませんか? 

神ご自身が子孫を与えると言われ なのに何故 25年もアブラハムを待たせたのでしょうか? 聖書に書かれてある部分とアブラハムにしか分からなかった詳細なことがあると思います。個人個人に対応なさるキリスト、キリストに聞いてみましょう。忍耐して答えを頂きませんか? アブラハムのように・・。

全ての事 苦しみ 悩み 落ち込み そして病さえも 益に変えるキリストに、あなたの祝福を祈ります、もちろん 家族お一人 お一人の為にも 続いて祈り キリストのお名前により 祝福を受けるよう祈ります。期待し続けなければ、神は旅人のように過ぎ去りますから・・。キリストがあなたの所に着ますように。

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*いつも心の風景から、聖書の愛福音からの癒やしの記事をご覧下さり有難うごさいます。読まれた後。もし宜しければ、下記の投票のボタン 各項目バナーを押して下さいませんか? 未だキリストを知らない人々にも 目が止まりやすくなる為です。感謝申しあげます ブログランキング・にほんブログ村へ
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