おはようございます。
最近は友人からもらった製パン機でパンをつくりますが、 市販のパンには添加物や保存剤が含まれる可能性が高いですけど、自家製には無く安心して食べれることを感謝します。
さて、「悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか」(1コリント5:8)

昨日 準備するときに、タルトとパンを作ろうと思って準備をしていました。パンの分量をきちっと計ったつもりでしたが、大きなミスをしました。

製菓用の薄力粉を間違ってパンに使ってしまいました。その他の分量バターやイースト砂糖などはきっちり測っていたのですが、肝心の小麦粉が強力粉はありませんでした。焼き上げる発酵段階で変だなぁと思って、、小麦粉が間違ったとハッと気が付きました。
どんなにきちっと分量を測っていても1つ間違うと出来上がり、完成具合が違ってしまいます。(食べることができたけれど、)理想通りの仕上がりではありません。
パンを作るときはパン種になるイースト菌は不可欠ですが、その他の材料の分量によって出来上がり、焼き上げる色合いも違ってきます。
パンを焼くときに不可欠なものがもう一つあります。それは塩です。

私たち個人個人もそれぞれの個性や持ち味があります。神様は教会を立ち上げるために私たちの個性やタラント賜物を用いようとしておられます。
その中でパン作りに例えるとすれば、塩は教会をひとまとめにする働きをする働きに通じる気がします。
パン種は教会を成長させる聖霊の働きに似ている気がします。
聖書ではパン種を入れないパンを過越の祭りや聖餐式に用いるように書かれ勧められています。強いて例えるならば神の力、聖霊が入らない罪の形 原罪の形から救われた感謝と賛美を意識し、神によって救われる望みと信仰をさらに膨らませるように勧められている神様の思いではないでしょうか。

私たち一人一人がその個性に合わせて塩の働き、パン種の働きを発揮させて教会成長とか 信仰の成長を発展進めていきたいと思います。
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「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。
私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか」(1コリント5:6〜8)。

「塩」は聖書の中でかなり重要な言葉になって、「神の契約の塩」(レビ記 2:13)、「永遠の塩の契約」(民数記 18:19)、「塩の契約」(歴代誌 II 13:5)、「塩をまき」(エゼキエル書 43:24)(士師記 9:45)、「地の塩」(マタイ 5:13)がみられ、健全の生活には「塩味のきいたもの」(コロサイ4:6)があり、「塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。」(マルコ 9:50)
上記、

以上から、私の今日の失敗は、よく確認しない、作り慣れてるからと言う安心感が大きなミスを招きました。
神様は私たち一人ひとりに素晴らしい素材としての恵みを与えておられます。
食材を図る=聖書によって吟味される素材(聖書箇所)を用いること。
パン種の用い方に注意すること。入れすぎても足らなくても良い膨らみ方はしません。ちょうど良い頃 具合に神様がパン種 聖霊を 祈りの答えを注いでくださいます。
注いでくださった以上に大切なのは、私たちが練り上げられることです。この練り上げ方が(試練)不足するとおいしいパンはできません。そのタイミングを見計らう目が必要です。それと出来上がりを期待する希望と信仰、食べていただく神様(共有する教会メンバー)に対する愛が必要ではないだろうか。

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