ステパノとパウロに魅せられて
ローマのアッピア旧街道。
そこにあるサン・セバスティアーノ聖堂の脇から入れるカタコンブには、ステパノ{セバスチャン}の棺が安置されています。彼の物語は皆さんがよく知っています。キリスト教における最初の殉教者です。ステパのは語学に長けていました。それで、へブル語を話す人々とギリシャ語を話す人々の調停役でもありました。 またキリストの聖霊を受けて不思議としるしを行いました。
当時のユダヤ人 ユダヤ教徒からは、キリストの宣べることから反感を買ってしまい石投げの刑罰で殉教しました。
最後の一言は、「天におられるキリストが見える!」でしたが一層の反感を引き出す言葉となりました。
聖霊を受けたステパノにしか解らない世界がありました。使徒行伝7章=旧約の歴史も解ります。
その場にいた青年がパウロ。後に、復活したキリストに出会って改心しました。また異邦人宣教の立役者となりました。
ステパノの墓から歩いて行ける距離に あるクオバディス Quo Vadis 記念教会で、復活したキリストを思い巡らし半日程。祈りました。福音を、語りたい原点に成った場所。その所にはキリストの足跡が大理石に彫刻されて残されています。
ローマのアッピア旧街道。
そこにあるサン・セバスティアーノ聖堂の脇から入れるカタコンブには、ステパノ{セバスチャン}の棺が安置されています。彼の物語は皆さんがよく知っています。キリスト教における最初の殉教者です。ステパのは語学に長けていました。それで、へブル語を話す人々とギリシャ語を話す人々の調停役でもありました。 またキリストの聖霊を受けて不思議としるしを行いました。
当時のユダヤ人 ユダヤ教徒からは、キリストの宣べることから反感を買ってしまい石投げの刑罰で殉教しました。
最後の一言は、「天におられるキリストが見える!」でしたが一層の反感を引き出す言葉となりました。
聖霊を受けたステパノにしか解らない世界がありました。使徒行伝7章=旧約の歴史も解ります。
その場にいた青年がパウロ。後に、復活したキリストに出会って改心しました。また異邦人宣教の立役者となりました。
ステパノの墓から歩いて行ける距離に あるクオバディス Quo Vadis 記念教会で、復活したキリストを思い巡らし半日程。祈りました。福音を、語りたい原点に成った場所。その所にはキリストの足跡が大理石に彫刻されて残されています。
Quo vadis, Domine? クオ バディス ドミネとは、主よ いずこへ の意味。
パウロがローマの宣教に 困難を覚えて 撤退します。 ネロ王他がローマ皇帝が神でしたから、キリストを神と言うだけで捉えられ殺される時代でした。コロッセオでライオンと闘わされたり、多くの殉教者が生まれました。
ローマ帝国におけるキリスト教徒への迫害は日を追うごとに激しくなり、虐殺を恐れた者たちが国外へ脱出する事も当たり前になっていた。ペトロは最後までローマにとどまるつもりであったが、周囲の人々の強い要請により、渋々ながらローマを離れるのに同意した。夜中に出発してアッピア街道を歩いていたペトロは、夜明けの光の中に、こちらに来るイエス・キリストの姿を見る。ペトロは驚き、ひざまずき、尋ねた言葉が『主よ いずこへ?」でした。
その街道で 復活したキリストがローマへの道を歩いていると気がついたパウロが 発した言葉に主キリストは答えます。
キリストの返事は、『私はもう一度 十字架に掛かる為に ローマへ行く。あなたが私の民を見捨てるから、私がもう一度、私の民を救うために十字架に係に行く!」とパウロに語ります。
キリストの栄光に圧倒され気を失うパウロ! しばらくして気が付き起き上がり、
ハッとしたパウロが再び ローマに戻り宣教活動を続けます。
そしてその後 パウロは宣教し大きな収穫 大勢の信徒に成りました。
しかし 迫害は益々激化します
パウロは捉えられて パウロは十字架に掛かる。 キリストと同じではもったい無いと逆かさに十字架に掛かる事を望み 殉教しました。
参考 ヨハネでも使われて言葉です。
ヨハネ 13:36 シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
ヨハネ 13:36 シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
パウロがローマの宣教に 困難を覚えて 撤退します。 ネロ王他がローマ皇帝が神でしたから、キリストを神と言うだけで捉えられ殺される時代でした。コロッセオでライオンと闘わされたり、多くの殉教者が生まれました。
ローマ帝国におけるキリスト教徒への迫害は日を追うごとに激しくなり、虐殺を恐れた者たちが国外へ脱出する事も当たり前になっていた。ペトロは最後までローマにとどまるつもりであったが、周囲の人々の強い要請により、渋々ながらローマを離れるのに同意した。夜中に出発してアッピア街道を歩いていたペトロは、夜明けの光の中に、こちらに来るイエス・キリストの姿を見る。ペトロは驚き、ひざまずき、尋ねた言葉が『主よ いずこへ?」でした。
その街道で 復活したキリストがローマへの道を歩いていると気がついたパウロが 発した言葉に主キリストは答えます。
キリストの返事は、『私はもう一度 十字架に掛かる為に ローマへ行く。あなたが私の民を見捨てるから、私がもう一度、私の民を救うために十字架に係に行く!」とパウロに語ります。
キリストの栄光に圧倒され気を失うパウロ! しばらくして気が付き起き上がり、
ハッとしたパウロが再び ローマに戻り宣教活動を続けます。
そしてその後 パウロは宣教し大きな収穫 大勢の信徒に成りました。
しかし 迫害は益々激化します
パウロは捉えられて パウロは十字架に掛かる。 キリストと同じではもったい無いと逆かさに十字架に掛かる事を望み 殉教しました。
1986年のことですが このクオ バデス教会で半日ほど キリストの足跡の側に座り祈っていました。
私は当時、アルジェリアに滞在仕事をしていました。短い休暇中に訪ねました。
その場所 クオバデス教会で祈っていると献身したいと思いが沸いてきました。
現実とは色々の条件や環境からはかけ離れてもいました。 まして罪深い自分が献身してはいけないとも、キリストの足跡に触れながら泣きながら格闘していました。
今振り返ると当時を思い出します。死に至るまで、福音を伝えていきたいと思いと、自分はふさわしくない思いとが交差して祈りました。
自分の力や行いで福音を語るのであれば、今日の私は存在しません。
ただキリスト!その恵みとキリストの業によって福音が語られます。
今頃になって本心からキリストに在って 決意が出来る最近です。